日本物理学会誌
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最近の研究から
直交ダイマー系のプラケット一重項状態――THz領域の高圧下ESR測定による観測
櫻井 敬博肘井 敬吾太田 仁
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2019 年 74 巻 9 号 p. 633-638

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抄録

近年,代表的な量子磁性体の一つであるSrCu2(BO32という物質において,長らく期待されていたプラケット一重項と呼ばれる量子状態への相転移の観測が相次いでなされた.本系は磁性イオンのCu2+S=1/2)がダイマーを組み,そのダイマーが2次元平面上で互いに直交して配置するという,いわゆる直交ダイマー系物質として大変よく知られている物質である.その特異な構造に起因して種々の興味深い物性を示すが,その一つがプラケット一重項状態である.

本系のスピン格子は,正方格子に更に対角の相互作用を直交するように入れたものと等価になる.対角線で結ばれる二つのスピンがダイマーに対応する.従って,この格子の基底状態は,ダイマー内の反強磁性相互作用Jの強い極限,即ち孤立ダイマーではダイマー一重項状態,そしてこれにダイマー間の反強磁性相互作用J′を加えていったその極限,即ち正方格子ではネール状態になる.ところがJとJ′が拮抗する中間の領域では,スピン間にフラストレーションが強く働き,基底状態は自明ではなくなる.理論研究によれば,ダイマー一重項状態やネール状態とは異なる特殊な状態,即ち4つのスピンで一重項を形成するプラケット一重項状態が基底状態になる.

さて本物質は,プラケット一重項との相境界近傍のダイマー一重項側にいることから,圧力の印加によってプラケット状態が実現できるのではないかと期待されていた.しかしこの転移は,いわば非磁性から非磁性への転移であるため,観測が難しいことが予想される.この転移を明瞭に観測する一つの有力な方法は,励起状態を観測することである.理論的には本相転移は1次転移で,励起エネルギーに不連続な変化があることが予言されていた.一方で圧力実験には付き物の,圧力による相互作用パラメータの変化をどう評価するか,という問題がある.本系に対してはこれまでいくつかの圧力実験が行われてきたが,この問題に関しては正しく取り組んだ研究はほとんど無かった.

これらの問題を解決し得る有力な実験手法の一つが,我々が開発したTHz領域における強磁場高圧下電子スピン共鳴(ESR)である.我々は従来より行っていた単純な透過型ESRのノウハウを活かし,通常金属が用いられるピストンシリンダー型圧力セルの内部部品を,THz波が透過するセラミクスに全て置き換えるという方法で,0.05–0.8 THzの周波数領域と2.5 GPaまでの高圧下でのESR測定を可能にした.これにより本系の低励起状態を圧力下において直接観測し,基底状態から第一励起状態までのエネルギーギャップの圧力依存性に不連続な飛びを観測することに成功した.転移圧力は1.85±0.05 GPaである.また我々は,観測されたエネルギーギャップに対し,モデル格子の厳密対角化による計算結果を用いて解析することで,相互作用パラメータの圧力依存性を曖昧さなく決定することにも成功した.転移点はJ′/J=0.660±0.003と求められた.エネルギーギャップのJ′/J依存性が既存の理論と大変よく一致し,転移点も理論と矛盾無いことから本系のプラケット一重項への量子相転移を観測していると結論付けられる.

このように本手法は,磁性体の圧力効果を,その低励起状態を通して直接的に観測し得る非常に有効な手法である.

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