日本物理学会誌
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最近の研究から
固体におけるフォノンの流体力学
町田 洋
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2021 年 76 巻 7 号 p. 444-449

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抄録

熱伝導は我々の日常生活に密接に関係する物理現象である.人類は長い営みの中で様々な物質の熱伝導の良し悪しを見極め,用途によって適材適所使い分けてきた.たとえば火を使って調理をする際は金属製の器具を用いることが一般的である.なぜなら金属は熱伝導がよいために,火の熱を効率的に食材に伝えることができるからである.

金属の熱伝導のよさは金属中を自由に動き回ることができる伝導電子の存在に依る.しかし固体における熱伝導の主役は電子だけではない.室温で最も熱伝導のよい固体は,伝導電子が存在しない絶縁体のダイヤモンドであり,銅に比べ5倍も熱伝導率が高い.ダイヤモンドにおける熱の担い手は,フォノンである.固体の量子論は,フォノンを気体分子のような粒子として扱うことで,絶縁体の熱伝導を説明することに成功を収めた.しかし気体分子と異なり,フォノンの運動量はフォノンどうしの散乱において必ずしも保存されないので,フォノンは気体分子と同一ではない.

ところが固体ヘリウムなどごく一部の物質では,フォノンの運動量が保存される散乱が支配的な温度領域が存在する.そこではフォノンどうしが頻繁に衝突するほど熱がよく伝わるという,固体の散乱現象に慣れ親しんだ者にとってはにわかに受け入れ難い現象が生じる.またフォノンの運動量は四方を囲む結晶の壁との衝突を通してのみ結晶に受け渡されるため,フォノンは円管内を流れる粘性をもった流体のように結晶内を運動し熱を運ぶ.このことから同現象は,フォノンの流体力学的熱輸送とよばれる.

現象の華々しさの反面,その発現にはフォノンの運動量が失われる散乱を凍結させるための極低温と不純物等を含まない極めて純良な試料が必要とされ,これらの容易に満たし難い制約条件のために,同現象にまつわる研究は近年に至るまで50年ほど大きな進展がなかった.

最近,我々は熱伝導率測定から,2次元層状物質の黒リンとグラファイトにおいてフォノンが流体のように熱を輸送する温度領域が存在することを見出した.特筆すべきは両物質とも試料が特段純良ではない点であり,長らく考えられてきたことに反して,フォノンの流体力学に必ずしも試料の純良性は必要ではないことが明らかとなった.むしろ不純物によるフォノンの散乱を陵駕するほどに,運動量が保存されるフォノンどうしの散乱を活発化させる特殊なフォノン構造が鍵となっている可能性がある.

さらにグラファイト試料の積層方向の厚さを薄くしていくと,フォノンの流体力学的性質が顕著になるとともに熱伝導率が増加し,最も薄い試料では室温でダイヤモンドの熱伝導率を超えることが明らかとなった.これは薄いグラファイトシートが優れた熱伝導特性をもつことを示しており,ナノスケールのデバイスの排熱を促進する技術の向上に資する重要な知見になると考えられる.

現象の背景にはグラファイトの極めて異方的なフォノン構造が関わっていることが示唆されるが,満足のいく解釈は得られていない.フォノンの波としての性質を考慮に入れて,グラファイト中のグラフェン層間の界面におけるフォノンの散乱を理解することが今後の課題である.

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