日本物理学会誌
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最近の研究から
共鳴非弾性X線散乱によるルテニウム化合物の磁気励起の観測
鈴木 博人
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2024 年 79 巻 5 号 p. 230-235

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抄録

数ある4d遷移金属化合物の中でも,Ru化合物はスピン三重項超伝導や量子スピン液体など,興味深い強相関電子系物性の舞台として注目を集めてきた.これらの現象の理解のためには,電子系内部での相互作用を定量的に決定する必要があり,磁気励起スペクトルの観測は極めて重要な知見をもたらす.その代表的手法として中性子非弾性散乱が長年利用されてきた.しかしながら,中性子非弾性散乱過程は断面積が小さく,十分な統計性を持つデータを取得するためには多量の単結晶を必要とする場合がある.また,中性子を吸収する化学元素が試料に含まれていると,実験が困難となるケースもある.

近年,新たな磁気励起観測手法として発展している分光法が共鳴非弾性X線散乱(Resonant Inelastic X-ray Scattering, RIXS)である.RIXSは量子電磁力学における共鳴散乱過程であるため散乱断面積が大きく,微小単結晶に対しても適用可能な利点を持つ.近年の放射光輝度の向上に伴い世界各地の放射光施設で分光器の開発が進展しており,軟X線(100 eV<hν<2 keV)および硬X線(hν>5keV)領域ではエネルギー分解能の飛躍的な向上が達成された.これにより銅酸化物高温超伝導体(3d電子系)やIr酸化物(5d電子系)におけるマグノンやプラズモンといった素励起の分散関係の解明がなされた.

ところが,中間領域であるテンダーX線領域(2 keV<hν<5 keV)においてはX線光学技術が未開拓であり,RIXS装置が存在しなかった.4d電子系物質はL吸収端のエネルギーがテンダーX線領域に属するため,RIXSを用いた物性研究が不可能な状況にあった.

この状況を打開するため,我々はドイツ電子シンクロトロン(DESY)における6GeV放射光施設PETRA IIIにて新たなテンダーX線領域のRIXS装置(Intermediate-energy RIXS, IRIXS)の開発を行った. IRIXS装置の完成により幅広いX線領域においてRIXS実験が可能になり,4d電子系物質の素励起研究の技術的基盤が整った.

IRIXS装置をRu化合物SrRu2O6とα- RuCl3に適用し,特徴的な磁気励起の観測を行った.いずれもRuイオンが蜂の巣(ハニカム)格子を形成する磁性絶縁体であり,SrRu2O6は高い転移温度を持つ反強磁性体,α-RuCl3は最近注目を集めるキタエフ(Kitaev)量子スピン液体候補物質である.SrRu2O6においては,直径50ミクロンの微小単結晶ただ一つから明瞭なマグノン分散の観測に成功した.線形スピン波理論に基づく解析により,S=3/2スピン間のハイゼンベルグ相互作用および一イオン異方性項を決定した.一方,α-RuCl3においてはフラストレートしたJ=1/ 2擬スピン間相互作用を反映し,エネルギー分散の小さな磁気励起が観測された.現実物質を記述するキタエフ–ハイゼンベルグ模型の理論計算との比較から,強磁性キタエフ相互作用・ハイゼンベルグ相互作用・非対角相互作用項を決定し,α-RuCl3がキタエフ模型をよく近似することを解明した.

様々なRu化合物に対するRIXS測定から,4d電子系物質の豊かな物性の発現には電子のスピン軌道結合が重要な役割を果たすことが明らかとなった.本研究の知見はより豊富な3d電子系多軌道磁性体にも適用可能であり,今まで見過ごされていたスピン軌道結合の効果を再検証することが重要であろう.東北大学青葉山キャンパスにて2024年度より運用を開始した3GeV高輝度放射光施設NanoTerasuにおいて,超高分解能軟X線RIXS装置の調整が進んでいる.10 meVを切るエネルギー分解能が実現されれば,3d遷移金属化合物やランタノイドにおける量子磁性の研究が大きく進展すると期待される.

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