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癌組織の生産する特殊毒性物質(トキソホルモン)
中原 和郎福岡 文子
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1949 年 40 巻 1 号 p. 45-71

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抄録

癌組織が何か毒性物質を生産するであろうということは,かなり古くから考えられていたのであるが,今日まで何等特殊なものが見出されていない。これは癌における全身的障害が具體的につかまれてなかったのでかような物質を探す手懸りがなかったためであると思われる。
近年になって,肝臟カタラーゼの著明な減少が,癌の全身障害の一つとしてはっきり認識されるようになった。肝カタラーゼの減少は以前から癌患者及び擔癌動物において觀察されていたのであるが,最近Greensteinの研究によってその意義が非常に明らかになったのである。
Greensteinは擔癌動物の肝臟カタラーゼが他の酵素に比し著しく減少している點を確かめ,さらに癌を外科的に切除すると肝カタラーゼが正常に復し,再移植するとまた肝カタラーゼが減少することを明らかにした。姙娠動物では肝カタラーゼは正常であり,巨大なエムブリオームを作っても何等の影響がない。すなわち,肝カタラーゼの減少は癌に特異である。また試驗管内實驗から肝カタラーゼ作用の減少は,作用が抑制されるのではなく,カタラーゼ量が減少するのであることを證明した。
そこで癌組織が一種の物質を生産(分泌)し,それが血液を介して肝臟に至り,肝カタラーゼを減少せしめることが當然考えられるのであるがGreensteinは腫瘍エキストラクト中にかような物質があることを證明し得ず,結局動物體内に腫瘍が増殖していることが必要條件であると結論したのである。
我々はGreensteinがこの物質を證明し得なかったのは,それが癌組織中に極く少量しか含まれていないため,普通にエキストラクトを作ったのではその作用が認められないのであろうと推定した。もしさうなら,癌組織からその物質を濃縮物としてとり出せばその作用を證明し得る筈である。ここに報告した我々の實驗はそれを成し遂げたものである。
この物質は病的組織が生産する,特殊な毒作用を持った一種の内分泌物と考えることが出來る。その意味で我々は假にこれを「トキソホルモン」と命名した。
その濃縮分離方法としては,種々の豫備實驗を試みた結果,次の方法が最も確實であることを決定した。すなわち癌組織を水で浸出し,浸液を適當量に蒸發濃縮し,これに2倍量の純アルコールを加えて生ずる沈澱を採り,乾燥してエーテルで洗うのである。收量は原料の5∼8%が普通である。
物質の作用はそれを正常マウスに注射し,肝臟カタラーゼ作用の減少によって判定する。
正常マウスの肝カタラーゼは個體による變化が多く,我々の實驗した73例では酸素量で最高16.4,最低4.6,平均7.9となり,大多數例は6∼10,5以下は極めて少數で全例の4%位であった。
ところが癌のアルコール沈澱物50∼100mgを注射すると,20時間位で肝カタラーゼが顯著に減少する,多くの場合正常の最低値を突破し,甚しいものは2近くまでも減少する。
我々の檢した癌組織は全部人體材料で,胃癌が大部分であったが,直腸その他の腸癌,乳癌,胃癌の肝臟轉移,肝癌の淋巴腺轉移,肉腫としては黒色肉腫,細網肉腫があった。トキソホルモンはこれ等の總てから證明することが出來た。
對照實驗としては,癌或いは胃潰瘍患者から切除した正常胃或いは腸粘膜,及び動物の正常組織を動物體に注入して壞死に陷らしめたものから同樣の方法でアルコール沈澱物を採ったが,これ等は何れも肝カタラーゼには何等の影響をも與えるものではなかった。
またトキソホルモンが死んだ癌組織の分解産物ではないかという點を決定するため,癌組織の特に壞死部の多いもの,或いは體外で腐敗せしめたものについて檢討したが,壞死或いは腐敗によってトキソホルモンが増加することは全く認められなかった。
トキソホルモンの化學的本体は未だ明らかでないが,それが耐熱性であること,加熱によって凝固しないこと,エーテルに不溶,水によく溶け,水溶液からアルコールで沈澱することは明らかである。このような性状から差し當り多糖類と非凝固性蛋白との關係が考えられるが,我々むしろ後者と關聯しているものと考えている。多糖類として分離することには成功しなかった。
この研究は單に癌組織から毒性を有する一物質を抽出したというのではない。一定量を注射して動物を殺す物質は癌組織は勿論,正常或いは壞死組織等からも容易に分離することが出來る。このような毒性物質は肝カタラーゼを減少せしめる作用を有しない。トキソホルモンとは全く別個のものである。
トキソホルモンは惡性腫瘍組織から分泌され,體液に運ばれて動物體の一定の細胞機能に障害を與えるもので,しかもその障害(肝カタラーゼの減少)が癌に於ける殆んど唯一の顯著な全身障害と認められている點に於て特別な意義を有するものである。

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