智山学報
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現代における教化考
ー光明真言をかたちにー
粕谷 隆宣
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キーワード: 教化, 自利と利他, 光明真言
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2016 年 65 巻 p. 375-388

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抄録

    寺院は全国におよそ75,000(1)あるという。コンビニよりもはるかに多いその数は、しばしば「次世代の新しい教化」の有力インフラとして、語られることがあったと思う。
 葬式仏教と揶揄されるがごとく、教化活動を行っていないとの批判やお布施(金銭)の問題、散骨、直葬、家族葬等々、昨今は次から次へと寺院に関する問題が浮上している。その中で七万五千という「その数」は魅力的であり、有効に活用していく方法が種々考えられてきた。寺院危機や僧侶不信が叫ばれて久しい現在、寺院自体が何か新しい方策のもと、自ら救世主となる道を模索するためである。
 しかし、この希望的観測とは真逆に「寺が消えてゆく」時代が間近に迫っているのかも知れない。
 2015年5月に発刊された『寺院消滅ー失われる「地方」と「宗教」ー』(鵜飼秀徳著 日経BP社)は、2ヶ月後の7月時点ですでに四刷。この種の書籍では異例の部数といえるだろう。この状況は世間(寺院側も含まれる)が、まさに「寺が消えてゆく」ことを実感しつつある証左と受けとることもできる。
 「25年後、高野山真言宗では40%の寺院が消滅する」(同上書、163頁)。この衝撃的なデータは、今後、仏教界がきわめて厳しい時代を迎えることを象徴している。確かに方々で過疎化の問題が取りあげられ、それに伴って寺院運営も厳しくなっていくことは承知していたが、これほどの予測が立てられていたのはショックである。ショックというよりも他人事でない。
 「だからこそ、寺院存続のため有効な教化方法を」と考えるのは極端かも知れない。何より過疎化という社会変動に、仏教界がすべて足並みをそろえるのは不可能だと思う。しかし、こうなっていくと予測されていながら、何も考えず、ただ素知らぬふりをしているというのもいかがなものか。
 そこで、今回は標記のタイトルで、今後の真言宗の教化について考えてみることにする。これを具現化する機会は「いつでも、どこでも、いたるところに、みち溢れている(2)」はずだが、まずは、その前提となる教理基盤をおって、密教精神を共有していきたい

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2016 智山学報
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