ここに翻刻紹介する「大師河原紀行」(写本)は、江戸時代後期の歌人であり僧侶であった白蓉軒桂豁(はくようけんけいけい、1783?~1831。以下、桂豁と略記する)が、文政6年(1823)3月15日に、厄除弘法大師、川崎大師として広く知られる真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺を参詣した際の紀行文である。
今回使用した写本には、「大師河原紀行」の他にも「大房村紀行」「深大寺紀行」「雑司谷紀行」「釣上紀行」といった五つの紀行文が収められており、原表紙外題には『一日之柴折』と書名が記されている。
「大師河原紀行」を含む『一日之柴折』について、『日本古典藉総合目録』には次のようにある。
統一書名 一日の柴折(ひとひのしおり)
巻冊 一冊
分類 紀行
著者 白蓉軒/桂豁(白蓉軒/桂谿)
成立年 文政年間
著作注記 〈般〉大房村紀行・深大寺紀行・雑司谷紀行・大師河原紀行・釣上紀行を収む。
国書所在 【写】学書言志(手稿本(1) )
所在に見える「学書言志」とは、中国文学者・書誌学者の長澤規矩也(1902~1980)の書斎号「学書言志軒」を表す(2)。『一日之柴折』には、号であった「静盦(せいあん)」の落款が押されていることから、長澤規矩也の蔵書であったことが分かり、現在は関西大学図書館長澤文庫の一本として所蔵されている。
「大師河原紀行」は、分量三丁と短い作品ではあるが、江戸時代後期の川崎大師参詣の一端が垣間見える貴重な史料であり、また、これまで未紹介でもあることから、本稿では全文を翻刻紹介する(3)。また「大師河原紀行」には、道すがら詠まれた十九首の和歌も書き留められており、桂豁という旅人についても若干の考察を試みたい。