抄録
【はじめに】末梢神経損傷は、切創、骨折などによる断裂や圧迫、手根管症候群に代表されるような絞扼などで生じる。臨床症状は感覚障害及び運動障害であり、理学療法を行う上で、麻痺の回復過程を把握することは重要である。しかし、長期経過を報告したものは少ない。今回、切創により正中神経麻痺を呈した一症例に対し、麻痺の回復過程について長期的な経過観察を行い、興味ある所見が得られたので報告する。【症例及び経過】15歳男性、ドアのガラス片にて左手首受傷。左正中神経完全断裂及び左浅指屈筋腱部分断裂の診断で、神経縫合及び腱縫合術が施行され、術後3週で理学療法開始となった。 理学療法では渦流浴を併用しての関節可動域運動より開始し、その後筋力増強運動、さらに廃用性萎縮の予防、筋再教育を目的とした低周波治療を行った。また、感覚機能の改善を目的に、表在知覚が徐々に回復してきた2ヵ月頃より、Dellonの提唱するSensory Re-Education(感覚再教育)を取り入れた。方法は、サイコロやコイン、ビー玉等の材質や形状の異なる材料を予め記憶してもらい、閉眼でその材料を識別してもらう。この時、正中神経支配領域の母指、示指、中指での3点つまみ動作により行った。<知覚神経の回復経過>知覚神経線維の軸索再生を示すTinel徴候は、術前で手首創部、術後7週で手掌中央、10週でMP近位部、13週でPIP部、4ヵ月で指尖部へと経時的に末梢へと伸びていった。表在知覚に関しては、健側を100%としたときの患側の触覚の回復経過を観察した。開始時、正中神経支配領域で完全脱出、術後8ヵ月で70から90%、その後は緩徐な改善傾向を示した。物体識別感覚の回復については、Sensory Re-Educationの際の正答率を調べた。結果、術後2ヵ月では正答率0%、8ヵ月で60%、12ヵ月で80%、その後の回復は緩徐であった。<運動機能の回復経過>開始時いわゆる“猿手”を呈していたが、術後4ヵ月で短母指外転筋がMMT2レベル、7ヵ月で4レベル、1年4ヵ月で5レベルまで回復した。握力は1年7ヵ月で健側33kgに対し30kgであった。【考察】軸索の再生を表すTinel徴候は1日1から1.5mmと報告されており、本症例もほぼ同様の傾向を示した。また、物体識別感覚は表在感覚の回復よりも改善に時間を要した。つまり、知覚神経の回復様式は、まずTinel徴候の進展、そして単純な表在感覚の改善、最後に物体識別感覚の回復であることが示された。日常生活動作において、触覚による物体識別感覚は、視覚を補う大切な複合感覚であり、hand rehabilitationの最終目標の1つと言える。今回行った経過観察では、物体識別覚の回復は運動機能の回復と共に、予想外に長期間を要した。末梢神経損傷における理学療法期間に関しては、損傷の部位や程度により異なるが、知覚・運動両機能の回復度が緩徐になる約8ヵ月から1年頃までは、根気よく続ける事が大切であると思われる。