抄録
【はじめに】認知運動療法においては、運動器の力学的・構造学的回復だけでなく、適応的な運動プログラミングを実現する為の情報器官としての回復を重要視している。情報器官としての肩複合体の損傷は、中枢神経系が収集する情報に変質を起こし、身体システムに影響を及ぼす為、損傷が解剖学的に治癒した後も上肢挙上困難やリーチングの障害が残存することが少なくない。肩甲骨の重要な機能特性として、上肢の体幹・頭部からの自由化とそれを実現するためのカウンター・バランス機能がある。カウンター・バランス機能とは、肩の屈曲に伴う上肢の重量の変化に対して、主に僧帽筋、前鋸筋、三角筋などの共同作業によって肩甲帯を体幹に固定する作用である。今回、鎖骨骨折症例3例を通して、肩甲骨のカウンター・バランス機能について、情報器官の観点から訓練を実施し良好な結果を得たので報告する。
【症例】鎖骨骨折術後3例。3例とも上肢挙上に伴って、早期からの肩甲骨の挙上・外転、頚部・体幹の患側への側屈・肘の屈曲が出現し、上肢挙上困難を示した。またこの時、3例とも共通して「腕が重い」と記述した。
【病態仮説・治療アプローチ】上記のような病態と患者の記述は、肩甲骨を体幹から一定の距離に保持する支柱としての鎖骨の骨折により、肩屈曲時の上肢の重量に対する肩甲骨のカウンター・バランス機能の発揮に必要な重量の情報を中枢神経系が収集・選択出来なくなった結果、体幹・頭部から肩甲骨を分離することが困難となった状態ではないかと仮説を立てた。そこでまずは、異常な筋緊張を呈している肩甲骨周囲筋(主に僧帽筋上部線維)に対して、数種類のスポンジを用いての圧情報の識別課題から開始した。静的な筋緊張が制御され、左右の肩甲骨の対称性と体幹からの分離運動がある程度獲得された後に、上肢の重量を予測・認識する認知課題(肩下垂位・肘90°屈曲位で前腕を単軸不安定板上に載せ、板の前方先端に負荷した重垂の重量を識別する課題)へと進めていった。
【結果・考察】3例とも重量の認知課題を進めていくことで、「腕が重い」という記述や肩甲骨の異常な運動性は消失し、上肢の挙上・リーチングの範囲が改善した。肩甲骨がカウンター・バランス機能を発揮する為には、運動開始前に上肢の重量が予測されている必要があると考えられる。しかし、症例ではそれが困難になっている為に、上肢挙上に伴って僧帽筋上部線維を中心とした筋群の早期からの過剰収縮により、肩甲骨が異常な運動性を発揮し、上腕骨の運動が阻害されたことで、上肢の挙上・リーチングが困難になっているのではないかと考えた。そこで、重量の認知課題を行うことで、上肢の重量の情報が予測・認識出来るようになったことにより、肩甲骨の異常な運動性が制御され、肩の運動範囲・リーチングと患者の記述が改善されたことは仮説を支持する所見と考える。