抄録
【はじめに】小脳は姿勢の制御や随意運動の協調性などに重要な役割を果たしており、認知プロセスなどには貢献しないといった古典的な考え方は、近年の脳科学の知見より修正されてきている。小脳障害のリハビリテーションも最新の知見によって再検討する必要があり、認知運動療法では認知理論に基づいて系統的な治療を行っている。今回、小脳の認知機能に着目して小脳梗塞患者の病態仮説を立て、検証としての訓練を行い、良好な結果を得たので報告する。
【小脳の認知機能と観察の視点】1990年代以降の研究により、小脳の認知機能の重要性が明らかになってきている(Persons,Foxら)。そのなかでも特に重要な知見として以下のものが挙げられる。1:小脳は情報処理が効果的に行なえるよう感覚情報の獲得・監視・調節をしており、運動制御そのものを行うのではない(Bower,1995,1997)。2:小脳の活動は運動学的な難易度ではなく、対処しなければならない問題の認知的な難易度に対応している(Persons,1997、Gaoら,1996)。以上の知見より、小脳疾患を観察する視点としては、どのような状況下でどのような感覚情報を収集・予測・分析できないのかを評価する必要性が導かれる。
【症例紹介】70代男性。診断名:小脳梗塞(主に小脳虫部・両側半球の梗塞)。座位では右殿部、立位では右下肢への荷重が不十分で、左側方へ重心移動時に左後方への体幹動揺が著明であった。右殿部と右足底部における触・圧覚は保たれていたが、それらの定量的な知覚が困難であった。
【病態仮説と訓練】本症例は、右殿部の触・圧覚情報を定量的に知覚することができず、それらの予測・分析が困難になっている。そのため、左側方への重心移動時の右殿部の荷重量の変化を予測して姿勢制御ができず、左後方への体幹動揺が出現するのではないかと考えた。同様に右足底部での触・圧覚情報の定量的な知覚が困難な為に右下肢への荷重が困難となり、立位時に左後方への体幹が動揺するのではないかと考えた。訓練は、左右の殿部・右足底部で硬度の異なるスポンジの認識課題を中心に行なった。
【結果と考察】右殿部・右足底での触・圧覚の定量的な知覚が可能になるに従って、右殿部・右下肢への荷重が可能となり、体幹の動揺も改善し、約2ヶ月の経過で歩行が自立した。本症例は感覚は保たれていたが、感覚を分析して定量的に知覚し、運動の制御に活用することが困難となっていた。定量的な知覚には、記憶・判断に基づいて比較する認知プロセスが必要である。本例において知覚の認知プロセスに対する訓練が有効であったことは、前述の基礎知見を支持する臨床知見である。したがって小脳障害の病態解釈に基づくリハビリテーションは、認知プロセスに対する訓練として計画しなければならないと考える。