抄録
【目的】生活習慣病の予防や加齢に伴う筋萎縮(サルコペニア)の予防のため、中高齢者に対して筋力トレーニングが奨励されている。しかし、筋力トレーニングは疲労や苦痛を伴うことも多く、その普及には至っていない。そこで、安全かつ効率的な筋力増強法の早期開発が望まれている。近年、温熱刺激は骨格筋の肥大を引き起こすことが報告された。骨格筋の肥大は、タンパク質合成の相対的な促進によって生じるが、温熱刺激による筋肥大を引き起こす分子機構は未だ明らかでない。一方、転写因子の1つであるnuclear factor-κB(NF-κB)は細胞質中でInhibitor κB(IκB)と会合し、不活性型として存在しているが、サイトカインなどの刺激によってIκBが解離・分解され、NF-κBが活性化される。また、NF-κBの活性化は、骨格筋分化の抑制およびタンパク質分解に関与することが報告されており、骨格筋量の調整に関与していることが示唆される。これまでに我々は温熱刺激による骨格筋肥大の際に、骨格筋中のNF-κBの活性が抑制されることを確認した。しかしながら、温熱刺激に対するNF-κBの活性と骨格筋肥大の関連性は明らかでない。そこで本研究は、温熱刺激による骨格筋肥大におけるNF-κBの関与について検討した。
【方法】実験対象には、マウス骨格筋由来筋芽細胞C2C12を用いた。タイプ1コラーゲンがコーティングされた培養プレート(直径35 mm)を用い、C2C12を増殖培地にて3日間培養しサブコンフルエント状態にまで増殖させた。その後、分化培地に交換して培養することで筋管細胞に分化させた後、実験を行った。C2C12に対して温熱刺激(41°C、60分間)を負荷する(温熱)群、NF-κB 阻害剤投与(BAY)群、BAY+温熱群ならびに無処置の対照群の4条件を設定した。本研究で用いた温熱刺激条件により、培地の温度が温熱刺激開始後およそ45分後に41°Cに到達し、その後維持される。NF-κB活性化の阻害剤としてはBAY11-7082(1.25 μM)を用いた。温熱刺激を基準として、0、12、24、および48時間後に細胞を回収し、可溶性筋タンパク量の変化、heat shock protein 72(HSP72)、IκBαの発現量についてウェスタンブロッティング法により検討した。また、細胞分画を行い、細胞質分画におけるNF-κBの発現量を検討した。各タンパク質発現量の比較は、各条件の可溶性タンパク1 mg当たりの相対的な発現量とし、対照群の発現量を基準に温熱負荷後の変動をその相対値として示した。各実験における平均値は、分散分析とそれに続くTukey-Kramer法による多重比較により比較を行い、危険率5%未満を持って統計学的に有意差ありと判定した。
【結果】温熱刺激48時間後、対照群と比較し、温熱群では筋タンパク量の有意な増加が認められた(p<0.05)。BAY投与ならびにBAY+温熱群の筋タンパク量も、対照群に比べて有意に高値を示した(p<0.05)。また、温熱刺激後、HSP72の発現量の一過性の増加が認められた(p<0.05)。温熱群、BAY群、BAY+温熱群においてIκBαの発現量も一過性の増加が認められ、細胞質のNF-κBの発現量も増加した(p<0.05)。
【考察】温熱刺激によって引き起こされる筋タンパク量の増加は、IκBαおよび細胞質中のNF-κBの発現量の増加を伴うものであった。IκBαが分解されることでNF-κBは細胞質中から核内へ移行する。したがって、温熱刺激によりIκBαの分解が抑制され、NF-κBの抑制が引き起こされたと考えられた。また、BAY群においても、細胞質中のNF-κBの発現量の増加および筋タンパク量の増加が確認された。このことより、NF-κBの活性抑制は筋タンパク量の増加を引き起こすことが確認された。さらに、温熱刺激とNF-κB活性阻害剤投与の組み合わせにより、筋タンパク量の更なる増加は認められなかったことから、本研究において観察された温熱刺激による筋タンパク量の増加は、NF-κBシグナルの抑制を介したものであることが示唆された。
【理学療法学研究としての意義】温熱刺激による骨格筋肥大の分子機構の解明により、安全かつ効率的な筋力増強法の早期開発が可能となり、中高齢者の健康維持及びリハビリテーションへ大きく貢献できると考えている。
本研究の一部は、科学研究費補助金(若手B, 19700451; 基盤B, 20300218)の助成を受けて実施された。