抄録
【目的】電気刺激で筋を刺激し収縮させる方法を,神経筋電気刺激(Electrical Muscular Stimulation:以下EMS)と呼ぶ.EMSは,刺激強度や周波数,パルス幅,刺激時間の長さなどの条件を,任意に変化させることができる.その結果,適切な条件で実施可能である.EMSの用途のひとつに,電気刺激による筋収縮を補助具のように利用し,中枢神経系の障害などで失われた動作を再建する機能的電気刺激(Functional Electrical Stimulation:以下FES)が挙げられる.FESで日常動作を再建するためには,電気刺激の制御信号を操作して筋収縮を誘発するため,多くの筋収縮を制御する必要がある.しかし,現状はある特定の動作の補助を目的とするものが多く,汎用性が低い.より健常者に近い機能を実現し汎用性を高めるためには,筋収縮の適切な制御が課題となる.筋収縮を適切に制御するためには,電気刺激の条件により,筋収縮に伴う関節運動や電気刺激に伴う疼痛がどの程度生じるのかを明らかにし,疼痛のない範囲で関節運動を補助する必要がある.しかし,刺激条件の変化により関節運動や疼痛がどの程度生じるかは明らかではない.電気刺激を生体に与え始める際の刺激条件としては,立ち上がり時間が重要なパラメーターのひとつであり,その条件により疼痛の生じる程度が変化することが予測される.しかし,立ち上がり時間の違いが実際に生体に与える影響は明らかではない.そこで本研究では,電気刺激の立ち上がり時間の変化が,筋収縮による関節運動と電気刺激に伴う疼痛にどのような影響を及ぼすのかを明らかにすることを目的とした.
【方法】対象は,神経学的・整形外科学的な既往歴,現病歴のない男性10名とした.測定姿勢は,肩関節内外転・内外旋0°位,肘関節屈曲60°位,前腕中間位,体幹垂直位の端座位とし,全被験者で利き手であった右側を対象側とした.電気刺激には,低周波治療器(イトーES420)を使用し,刺激周波数50Hz,パルス幅400μsとした.低周波治療器の出力電圧は50V±20%,波形は対称性二相性パルス波とした.表面電極は上腕二頭筋の筋腹中央に貼付した.刺激強度は,疼痛に耐え得る刺激強度の最大値に対して0.85倍とし,立ち上がり時間は1秒,3秒,5秒とした.関節角度の記録は,電気角度計を使用した.得られた関節角度の電圧は,サンプリング周波数1kHzにてA/D変換した後に,ローパスフィルター(10Hz)を通過させた.関節角度変化の傾きは,肘関節屈曲開始時から最大屈曲時までの回帰直線を算出し,回帰関数から傾きを求めた.また,電気刺激に伴う疼痛の程度はVisual Analog Scale(VAS)を用いて調査した.肘関節屈曲到達角度と角度変化の傾き,VASは,いずれも3つの立ち上がり時間を要因とした一元配置分散分析で解析した.その後多重比較検定は,Bonferroniを用いて行った.いずれも有意水準は5%未満とした.
【説明と同意】本研究はヘンシンキ宣言に沿って実施した.また,事前に研究内容等の説明を十分に行った上で,同意が得られた被験者を対象として実験を行った.
【結果】肘関節屈曲到達角度は,立ち上がり時間による有意差がなかった(F=1.52,p=0.25). VASも,立ち上がり時間による有意差がなかった(F=2.77,p=0.09).関節角度変化の傾きは,3つの立ち上がり時間で有意差が見られた(F=4.89,p=0.02).多重比較検定の結果,立ち上がり時間1秒と5秒との間で有意差が見られた(p=0.03)
【考察】本研究結果から,立ち上がり時間の差異により関節角度変化の傾きは変化するが,肘関節屈曲到達角度と電気刺激に伴う疼痛には差がみられないことが明らかになった.先行研究では,立ち上がり時間に関しては,どの値が筋収縮や疼痛が最大になるかを示した体系的研究はなく,臨床においては,個人の耐性や快適と感じる主観的な感覚に依存してFESを用いることが多いとされる.本研究から,傾きの速度に応じて運動パターンが変化する可能性が示された.よってFESにおいて,目的とする関節運動パターンを実現するためには,電気刺激の立ち上がり時間を考慮する必要があることが示唆された.
【理学療法学研究としての意義】本研究は,中枢神経系の障害などにより自発的運動が困難な症例に対して,筋への適切な制御を行うためのFESの刺激条件を示す,基礎的知見になると考えられる.