抄録
【目的】複数課題に対する注意の評価として二重課題条件下でのパフォーマンス変化をとらえる指標が用いられ、この二重課題パフォーマンスの低下は高齢者における将来の認知機能低下と関連することが報告されている。しかし、認知症の発症リスクが高いとされる主観的な記憶低下や軽度認知障害(mild cognitive impairment: MCI)を有する高齢者における二重課題パフォーマンスの低下と認知機能との関連については十分な知見が示されていない。また、二重課題パフォーマンスの低下と脳の形態変化との関連は明らかとなっていない。本研究では、MCI高齢者を含む地域在住高齢者を対象に二重課題下での反応時間と認知機能および脳萎縮との関連を明らかにすることを目的とした。
【方法】主観的な記憶低下(もの忘れ)の訴えがある、もしくはClinical Dementia Ratingが0.5に該当する日常生活の自立した地域在住高齢者112名を対象とした。認知心理検査としてMini-Mental State Examination(MMSE)、Alzheimer's Disease Assessment Scale-Cognitive Subscale(ADAS-cog)のほか、注意機能および遂行機能検査を実施した。反応時間測定では、自然立位にて単純反応時間(simple reaction time: SRT)と二重課題反応時間(dual-task RT: DRT)を測定した。SRTでは、前方50cmに呈示された光刺激に対して対象者が手で把持したボタンをなるべくはやく押すまでの反応時間を1msec単位で計測した。DRTでは、指示された数字から逆カウントを行う認知課題(例:50、49、48)を付加した条件下でSRTと同様に反応時間を測定した。SRTおよびDRTともに練習試行後に3回ずつ計測し、それぞれ3回の平均値を個人の代表値とした。対象者をMMSEが24点未満の認知症が疑われる(probable AD: pAD)群(14名)、MMSEが24点以上では、ウエクスラー記憶検査による論理的記憶の低下(教育年数を考慮)を認めたMCI群(36名)と論理的記憶低下を認めなかった対照(control: CON)群(62名)の3群に分類して、SRTとDRTを群間比較した。また、SRTに対するDRTの遅延の程度をdual-task cost(DTC)=DRT/SRT×100と定義し、群間差を比較した。さらに、DTCを3分位に近似した値で3群(A群:140%未満、B群:140%以上180%未満、C群:180%以上)に分類して、DTCと認知心理機能およびMRIによる脳萎縮との関連を調べた。
【説明と同意】対象者には本研究の主旨および目的を口頭と書面にて説明し、同意を得た。本研究は国立長寿医療研究センター倫理・利益相反委員会の承認を受けて実施した。
【結果】pAD群、MCI群、CON群における反応時間の差異を比較した結果、SRTに群間の差を認めなかったものの、pAD群およびMCI群ではCON群に比べてDRTが有意に遅延し、DTCが有意に高い値を示した(p<0.05)。DTCにより3群に分類して認知心理検査の結果を比較すると、ADAS-cogのほか、Symbol Digit Modalities Test、Trail Making Test(TMT)part B、ΔTMTといった複数の注意および遂行機能検査において、C群はその他の2群と比べて有意に低い能力を示す値であった(すべてp<0.05)。また、DTCが最も大きいC群では、最も小さいA群に比べて脳全体の中で萎縮している領域の割合が有意に高かった(A群:6.4±3.7%、C群:9.3±4.7%、p=0.013)。
【考察】単一課題下での反応時間では群間差を認めなかったが、pAD群およびMCI群ではCON群と比べて二重課題下での反応時間は遅延を認め、二重課題パフォーマンスによる評価の重要性が確認された。また、二重課題パフォーマンスの低下は注意機能や遂行機能の低下、脳萎縮と関連することが示された。これらの結果は、アルツハイマー病(AD)との関係が強い脳萎縮や認知機能の低下と関連する能力のひとつとして、二重課題パフォーマンスが重要な指標となり得ると考えられた。しかし、これらの関連の因果関係は不明であるため、縦断研究や介入研究による検証が必要である。
【理学療法学研究としての意義】MCI高齢者のAD移行リスクは高く、ADの根本的な治療法が確立されていない現状では、MCIやAD発症を予防または遅延させる取り組みが重要となる。本研究の結果は複雑な環境下での注意配分能力の重要性を示す有益な情報を提供するものであり、高齢者の認知機能低下を予防する方策に対する理学療法研究の発展に意義のある結果を含むものであると考える。