抄録
【目的】 脳損傷後の機能回復は、中枢神経の軸索再生能力が低いため非常に限定的である。しかし、損傷を免れた皮質脊髄路軸索からの側枝形成(Sprouting)により代償的な神経回路の再構築が一部おこり、運動機能の回復がもたらされることがある。この代償性回路形成の促進が中枢神経再生への有効な手段になると期待されるが、効率的な神経回路の再構築には、神経細胞自体の軸索伸長能力を増強することが重要である。本研究では、軸索再生の阻害作用をもつチロシン脱リン酸化酵素SHP-1に着目し、SHP-1の抑制が皮質脊髄路の再編成を促すか否か検証した。【方法】 生後40日齢の野生型およびSHP-1ヘテロ欠損マウスに対し、左大脳皮質運動野の切除術を施した。切除前後の非損傷側大脳皮質において、SHP-1および軸索伸長因子として知られるSTAT3の発現量とリン酸化(活性化)の程度を、Real-Time PCR、Western blottingおよび免疫組織化学染色法を用いて解析した。また、脳損傷後の皮質脊髄路の再形成の程度を検証するため、非損傷側の右大脳皮質運動野に順行性トレーサーであるBiotinylated dextran amine (BDA)を注入し、非損傷側皮質脊髄路の損傷側へのSprouting数を頚髄において解析した。さらに、脳損傷後の運動機能の回復過程を、前肢の運動機能評価法であるCylinder testとGrid-walking testを用いて評価した。【倫理的配慮】 全ての動物実験は大阪大学大学院医学系研究科動物実験規定を遵守し、動物の個体数や苦痛は最小限にとどめて行なった。また遺伝子組換え動物に対しては、大阪大学遺伝子組換え実験実施規則に基づき実験を実施した。【結果】 健常な野生型マウス大脳皮質の免疫組織化学染色により、皮質脊髄路を構成する第V層ニューロンにSHP-1が局在することが確認された。Real-Time PCRを用いて野生型マウスにおけるSHP-1の発現量を調べた結果、脳損傷後にSHP-1の発現量増加が認められた。次に、SHP-1およびSTAT3の活性化について調べるため、Western blottingによりSHP-1およびSTAT3のリン酸化を解析した。その結果、野生型マウスでは、脳損傷後にSHP-1のリン酸化は有意な増加を示したが、STAT3のリン酸化に変化はみられなかった。一方、SHP-1ヘテロ欠損マウスでは、脳損傷後にSHP-1の増加はみられず、STAT3のリン酸化が有意に増加した。さらに、SHP-1ヘテロ欠損マウスでは野生型マウスと比較して、皮質脊髄路の頚髄におけるSprouting数の増加および前肢の運動機能回復が有意に認められた。【考察】 本研究により、大脳皮質損傷後、SHP-1が軸索伸長因子として重要なSTAT3を脱リン酸化(不活性化)することが示唆された。また、SHP-1ヘテロ欠損マウスにおいて、大脳皮質損傷後のSprouting数の増加および前肢の運動機能回復が有意に認められた。以上のことから、SHP-1の抑制がSTAT3の活性化を促すことで、非損傷側皮質脊髄路のSprouting数を増加し、これに伴う神経回路再編成の促進が運動機能回復に寄与することが示唆された。【理学療法学研究としての意義】 脳損傷後、傷害から免れた皮質脊髄路のSproutingにより代償的な神経回路の再形成がおこり、運動機能の回復が得られることがあるが、この現象は非常に限定的である。代償性回路形成を促進するメカニズムを解明することにより、効果的な神経回路の再編成を促すという新たな観点からリハビリテーション治療の可能性を開くことが期待できる。