抄録
【はじめに、目的】 腱板断裂の報告は棘上筋や棘下筋腱断裂が大部分であり、Reschによると肩甲下筋腱断裂は比較的まれで腱板断裂の3.5~8%に認めたと報告している。その為、肩甲下筋腱断裂は発見が遅れる事が多く、その修復が困難である事が多い。修復不能な肩甲下筋腱断裂に対する治療法の一つとして大胸筋移行術があるが、術後理学療法に関しての報告は渉猟した限り見当らない。今回、修復不能な肩甲下筋腱断裂に対して大胸筋移行術を施行した3症例の術後理学療法を経験したので、共通した特異的な理学所見と術後理学療法について報告する。【方法】 対象は2007年3月から2008年10月までに当院で修復不能な肩甲下筋腱断裂に対して大胸筋移行術を施行した3例である。平均年齢は71.3歳で、受傷機転は転落により肩伸展位で牽引された症例が2例、転倒により肩伸展・外旋が強制された症例が1例であり、広範囲に肩甲下筋腱断裂を認めた。全例に棘上筋腱断裂を合併し、1例のみ上腕二頭筋長頭腱断裂も認めた(以下:症例3)。術前ROMはpassiveでの屈曲が平均156.6°でlift off testは全例が陽性であった。手術は大胸筋上腕骨付着部上方3分の2(以下:移行筋)を切離し、烏口腕筋と上腕二頭筋短頭の共同腱の深層を通してsuture anchor法にて小結節に埋没・縫着した(以下:移行部)。棘上筋腱断裂も同様に大結節に埋没・縫着した。上腕二頭筋長頭腱の断裂に対しては外科的処置を行っていない。術後6週間はScapula plane45°外転位固定を行った。術後理学療法は、3日目より開始し、固定期では移行筋のストレッチを施行すると共にpassiveでの屈曲ROMの改善を図った。また、肩甲上腕関節を固定した上で肩甲骨上方回旋筋群の収縮ex.を施行した。固定除去後は肩甲上腕関節での伸展・内転・外旋ROMの改善を図ると共に結帯動作の向上に努めた。更に移行筋・腱板筋群の収縮ex.を施行し、activeでのROMの改善を図った。【倫理的配慮、説明と同意】 対象者に対して本発表の主旨を十分に説明し、同意を得た。【結果】 術後、初診時のpassiveでの屈曲は平均83°で全例において移行部に疼痛を認め、疼痛が出現した角度にて徒手的に同部における移行筋の緊張を緩める事により疼痛は消失した。術後平均11.0週にてactiveでのROMはほぼ健側差なしとなり、Lift off testは平均11.6週にて陰性となった。術後3ヶ月で全例がADL上支障のない状態まで改善した。術後6カ月で重労働が許可され、全例可能となり、肩関節疾患治療判定基準は術前の平均54.3点から94.6点に改善し、理学療法終了となった。終了時、症例3のみ重労働時に肩峰下部に軽度の疼痛が残存した。【考察】 大胸筋移行術の術後理学療法では移行部の修復過程を考慮した運動療法の展開が重要と考える。特異的な理学所見として全例において他動屈曲時に移行部痛を認め、疼痛が出現した角度にて徒手的に同部における移行筋の緊張を緩める事により疼痛は消失した。本術式では大胸筋胸骨枝の走行の変化から肩関節外旋だけでなく、挙上時により強く緊張すると考えられ、移行部に牽引刺激が加わった事で疼痛が生じたと考えた。術後早期における移行部痛の出現はその修復過程を阻害するに共にROMの改善を停滞させる。この為、移行部より近位で徒手的に移行筋の張力をブロックし、移行部への牽引刺激を極力排除した状態にてこれより近位の筋線維に対してストレッチを行った。その際、移行筋を上・中・下部線維に大別し、個々の筋線維の走行と上腕骨を一致させた肢位から起始と停止を離すように選択的にストレッチを実施した。これにより移行部痛を誘発せず、容易にROM拡大が可能となった。固定除去後は、移行筋の収縮・伸張時の移行部痛の有無を確認した上でより積極的に移行筋の伸張性を獲得すると共に収縮を促通した。移行筋の収縮は前述したストレッチと同様の肢位から上腕骨をまっすぐ起始の方向に向かって運動させる事でより選択的に収縮を促通した。十分な近位滑走距離が得られた時点で徐々に負荷を上げていき、筋力の向上を図った。その結果、術後3ヶ月で全例がADL上支障のない状態に改善し、6ヶ月の重労働許可後に可能となり、順調に回復した。【理学療法学研究としての意義】 大胸筋移行術後の特異的な理学所見として他動屈曲時に移行部への牽引刺激による疼痛を全例に認めた。同ストレスに配慮した移行筋のストレッチは早期からのROM改善を容易し、その後の治療を円滑化する上で有効であった。