抄録
【はじめに、目的】 加齢による運動イメージ能力の低下、すなわち実際の運動パフォーマンスとイメージ内でのパフォーマンスの乖離は日常生活において転倒リスクの増大など多大な影響を及ぼすことが知られている。日常生活において障害物回避行為は頻回に要求される動作であるが、その障害物の高さはその都度異なるため、その多様性に応じた適切な運動イメージと跨ぎ動作の実現が必要となる。このように安全な活動のためには難易度の変化に対応した運動イメージ能力が必要と考えられる。しかし、課題難易度の変化に応じた運動イメージ能力の加齢変化に関して検証を行った報告は乏しく、またこのような運動イメージが高齢者の生活空間に及ぼす影響については不明な点が多い。そこで本研究は課題難易度を変化させての障害物跨ぎ動作に着目し、加齢による運動イメージ能力の変化、および高齢者の運動イメージ能力と生活空間との関係性を明らかにすることを目的とした。【方法】 対象は施設入所高齢者14名(平均年齢82.4±6.6歳)、若年者15名(平均年齢20.9±1.1歳)とした。測定に大きな影響を及ぼすほどの重度の神経学的障害や筋骨格系障害および認知障害を有する者は対象から除外した。測定課題はサイドステップで障害物(ロープ)を左右交互に連続3往復跨ぐ障害物跨ぎ動作とした。障害物の高さを0,15,30cmの3条件とし、課題難易度の段階を設けた。運動イメージ能力を評価する手段として、時間的側面から簡便に評価できるMental Chronometryを用いた。対象者はまず椅子に座った状態でロープを見ながら自身の跨ぎ動作のイメージを行い、イメージでの所要時間を測定した。ストップウォッチの操作、開始合図は測定者が行い、イメージ中で動作が完了した時点で対象者に合図するよう指示した。イメージは各条件で2回ずつ行い、その平均値を測定値とした。続いて実際に跨ぎ動作を行い、その所要時間を測定した。時間一致度としてイメージでの所要時間を実際の所要時間で除した値、時間乖離度として(イメージ時間-実際時間)/実際時間の絶対値を算出した。統計解析ではMann-whitneyのU検定を用いて各条件での時間一致度、時間乖離度について高齢者、若年者間の比較を行った。また難易度による運動イメージ(時間一致度)の比較のため、高齢者、若年者ごとに多重比較検定を行った。また、高齢者の生活空間をLife-Space Assessment(以下LSA)を用いて評価し、LSAと運動イメージ(時間一致度)および実際の運動所要時間との関係についてSpearmanの順位相関分析を用いて検討した。有意水準は全て5%未満とした。【倫理的配慮、説明と同意】 対象者には当研究の目的を十分に説明し、同意を得た。【結果】 時間一致度は高齢者0cm:0.94±0.31、15cm:0.75±0.34、30cm:0.74±0.39、若年者0cm:0.97±0.11、15cm:0.89±0.09、30cm:0.90±0.10であり、0cmでは2群間に有意差を認めなかったが、15cm・30cmでは高齢者で有意に低値を示した。時間乖離度は高齢者0cm:0.26±0.18、15cm:0.38±0.17、30cm:0.40±0.23、若年者0cm:0.07±0.08、15cm:0.12±0.08、30cm:0.10±0.09であり、全条件で高齢者が有意に高値を示した。時間一致度の難易度による比較では、若年者、高齢者ともに0cmに対して15・30cmで有意に低値となった。LSAと時間一致度、実際の運動所要時間との関連については、30cmでの時間一致度のみ有意な相関を認めた(r=0.59,p<0.05)。【考察】 時間乖離度は全条件で若年者より高齢者が高値を示したことより、運動イメージと実際の運動との乖離は加齢により開大することが示唆された。また高齢者、若年者ともに15cm・30cmの課題難易度が高いほうが時間一致度は低い、すなわち自身の運動を過大評価することが示されたが、その過大評価の程度は高齢者のほうが若年者よりも大きかった。また、高齢者におけるLSAスコアは実際の跨ぎ動作能力とは関連がみられず30cmでの時間一致度とのみ関連がみられたことから、高難度の課題に対するイメージ能力が低下し、自身の運動を過大評価する高齢者ほど生活空間が狭小化していることが示唆された。【理学療法学研究としての意義】 本研究の結果、高い障害物を跨ぐという難易度の高い課題に対するイメージ能力の低下は高齢者の生活空間に影響を及ぼしていることが示された。このことより、高齢者の運動イメージ能力を課題難易度に応じて評価・介入することも重要である可能性が示唆された。