抄録
【はじめに、目的】椅子座位姿勢からの歩行開始動作はSit-to-Walk task(STW)と呼ばれ、健常者では立ち上がりが終了する前に第1 歩目が振り出され歩行が開始する。このような現象は流動性(fluidity)と呼ばれ、これまでにFluidity Index(FI)といった評価指標も開発されている。STWに関する研究は少しずつ発表されてはいるが、目標地点を正面に設定した限られた条件下での分析にとどまっている。一方で実際の生活では正面への進行だけでなく、斜め方向への進行も多い。本研究ではSTWにおける進行方向を変更したときの影響を明らかにするため、fluidityと身体重心(center of gravity;COG)、圧中心(center of pressure;COP)に着目し分析した。【方法】対象は健常成人男性15名とした。STWはMalouinらの方法を参考とした。開始姿勢は椅子座位、動作速度を快適速度、目標地点までの距離は2m、振り出しは全例右下肢とした。以上を共通とし、進行方向について正面前方、振り出し側からみて同側方向として45 度右斜め前方、対側方向として45 度左斜め前方の3 条件とした。測定には三次元動作解析装置(VICON612)、床反力計(AMTI)を用いた。反射マーカーは10 ポイントマーカーセットを使用し、測定周波数は60Hzとした。解析項目はfluidityの尺度であり、COGの前方への運動量の変化から算出されるFIと、COPの遊脚側への前額面上移動距離、seat off、toe off での床面に投影したCOGとCOPの前額面上距離を算出した。距離は左右第5 中足骨頭に貼付したマーカー距離で正規化した。統計学的分析として、SPSS19.0 を用い反復測定一元配置分散分析後、Bonferroni法による多重比較を行った。有意水準は5%とした。【倫理的配慮、説明と同意】本研究はヘルシンキ宣言に則り、群馬大学医学部臨床研究倫理審査委員会の承認を得たうえで実施した。【結果】FIは正面前方で71.6% 、同側方向64.3%、対側方向61.3%で3 群間に差が認められ(F=6.7、p<0.01)、正面前方に比べ対側方向は有意に低値(p<0.05)であった。COPはtoe off前に一旦遊脚肢側へ移動し変曲点をつくり立脚肢側へ移動する試行、ほとんど遊脚肢側へ移動することのない試行が認められた。遊脚肢へ移動することなく直接立脚肢側へ移動する試行でも移動速度の変化から変曲点に相当するポイントが確認できた。開始時点から変曲点までの前額面上距離をCOPの遊脚肢側への移動距離とし、正面前方2.9%、同側方向0.1%、対側方向10.7%で3 条件間に差が認められ(F=21.8、p<0.01)、対側方向では他の2 条件に比べ有意に大きく移動していた(p<0.01)。出現のタイミングも条件間で差が見られ(F=11.5、p<0.01)、対側方向は同側方向に比べ遅く(p<0.05)、seat off後に出現していた。seat off時のCOGはCOPに対し立脚肢寄りに位置していた。その距離は正面前方5.1%、同側方向0.9%、対側方向12.2%であり条件間に差を認め(F=18.8、p<0.01)、対側方向は他の2 条件に比べ有意に距離が大きかった(p<0.01)。toe offは正面前方、同側方向のときCOGはCOPより遊脚肢寄りに位置したのに対し、対側方向のときにはCOGはCOPより立脚肢寄りに位置していた。【考察】STW時のCOPの前額面上変位について遊脚肢側への移動が同側方向では小さかった。これはCOPがCOGに対し、左側(立脚肢側)に位置し、COGを右方向へ向かわせる力を発生させるためである。また、この制御は他の条件と異なりseat off前に行われているのが特徴であり、fluidityの発現に寄与していると考えた。対側方向では逆に、COGを左へ進行させるため、COPは一旦大きく遊脚肢側へ移動しなければならない。また第1 歩目は立脚肢側を越えて振り出されるクロスステップになる。このようなCOPの大きな左右移動やそれに伴うCOGとCOPの距離の拡大、クロスステップなど複雑な制御がFIの低下に関与したと考えられる。【理学療法学研究としての意義】目標地点の方向に合わせSTWを流動的に行うためには、COPの左右方向の制御が重要であることが明らかとなった。身体機能に左右差を有する脳卒中患者や運動器疾患患者では、進行方向の違いが動作に大きく影響すると考えられ、今回の研究は課題設定や介入方法の検討のための一助となる。