竹中大工道具館研究紀要
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ユーラシア大陸の西と東におけるうがつ道具( 鑿と錐) の歴史―木の建築をつくる技術と道具の比較発達史・その4―
渡邉 晶
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2010 年 21 巻 p. 61-88

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抄録
ユーラシア大陸の西と東におけるうがつ道具に関して、実物をはじめとした諸資料を調査した結果、次の内容が明らかとなった。 1 ユーラシア大陸の西と東いずれにおいても、鑿と錐の材質は、銅、青銅、鉄の順に変化していた。 2 銅製の鑿は、西において約5000年前以降のものが出土し、その基本構造は茎式であった。銅製の錐は、西において約3800年前以降のものが、東において約4300年前以降のものが出土し、西における基本形式は複合(弓)形式であった。 3 青銅製の鑿は、西において約2800年前以降のものが、東において約3500年前以降のものが、それぞれ出土し、その基本構造は、いずれにおいても茎式と袋式であった。青銅製の錐は、東において約3700年前のものが出土している。 4 鉄製の鑿は、西において約2800年前以降のものが、東において約2500 年前以降のものが、それぞれ出土し、その基本構造は、いずれにおいても茎式と袋式であった。鉄製の錐は、西において約2800 年前以降のものが、東において約2300年前以降のものが出土し、西における基本形式は、複合(弓)形式と直柄直交(茎)形式であった。 5 建築構造材加工用のうがつ道具は、鉄製となった段階で、西において鑿と直柄直交(茎)形式の大型錐が、東において鑿が、それぞれ重要な役割を果たしたと推定される。
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© 2010 公益財団法人竹中大工道具館
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