映像学
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論文
スクリーンの「ニコヨン」たち―失業対策事業日雇労働者の映像文化史
鷲谷 花
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2019 年 102 巻 p. 31-53

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抄録

1949 年の「ドッジ・ライン」実施に伴う失業危機への対策として開始された失業対策事業に就労する失対労働者たちは、「ニコヨン」の通称で呼ばれた。失業者でもあり、最低所得労働者でもある「ニコヨン」は、戦後日本の人権・貧困・労働問題の凝縮した表象として、1950 年代の映画・幻灯など「スクリーンのメディア」にたびたび取り上げられた。戦後独立プロダクション映画運動の嚆矢としての『どっこい生きてる』(1951 年)は、失対労働者の組織的協力を得て製作され、初期失対労働運動の原点としての「職安前広場」という空間の記録という機能も担った。失対労働者による文学運動の成果としての須田寅夫『ニコヨン物語』を原作とする同名の日活映画(1956 年)は、左翼組合運動からは距離を置いた視点から、失対労働者にとっての「職場」の形成と、そこでの労働組合の功罪相半する意味を映し出す。また、失対労働者たちが自作自演した幻灯『にこよん』(1955 年)は、屋外労働者・日雇労働者を男性限定でイメージする通念に抗して、失対事業における「女性の労働問題」を物語った。失対事業における「女性の労働問題」への問題意識は、望月優子監督の中編映画『ここに生きる』(1962 年)にも引き継がれる。「ニコヨン」と呼ばれた失対労働者は、労働運動・文化運動の一環として、「スクリーンのメディア」における自分たちの表象に主体的に関わり、敗戦以降の日本における失業・貧困・労働をめぐる意味の形成の一端を担ってきた。

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