映像学
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選択された号の論文の12件中1~12を表示しています
論文
  • 木原 圭翔
    2025 年 113 巻 p. 5-24
    発行日: 2025/02/25
    公開日: 2025/03/25
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、アメリカの哲学者スタンリー・カヴェルの映画論における精神分析の知見の重要性を踏まえながら、彼の映画観客論の特性を明らかにすることである。古典的ハリウッド映画の代表的喜劇を論じたカヴェルの主著『幸福の追求』(1981)は、後にメロドラマ映画を論じた著作ほど明示的ではないものの、精神分析の影響が顕著な書物である。同書の映画論の特徴は、単に精神分析の専門用語を駆使して作品を解釈するのではなく、カヴェル自らが作品に分析される被分析者(患者)であるという独自の立場を採用している点にある。すなわち、カヴェルにとって映画を論じるということは、「分析主体」たる観客自身が自らの転移を自覚しワーキングスルーを試みるという、精神分析的な治療空間との「本質的な一致」が見られるような独特の営みにほかならない。本稿では特に『赤ちゃん教育』(1938)論を参照しながら、大人である映画の主人公たちが子どもになりたいという願望を持つことや、彼らが一緒になって「遊ぶこと」の意義を強調するカヴェルの議論が、精神分析家D・W・ウィニコットの思想と深い親和性を有していることを示すことで、同作が精神分析という治療実践を具現化している様を明らかにする。最終的に、映画鑑賞を一種の治療空間——ウィニコットの言う「可能性空間」——として捉えるカヴェルの映画観客論が、現代においても持ちうる理論的意義について検討する。

  • 木村 栞緒
    2025 年 113 巻 p. 25-45
    発行日: 2025/02/25
    公開日: 2025/03/25
    ジャーナル フリー

    ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは映画だけでなく、テレビ、演劇、ラジオなど多様なメディアで活躍した作家であった。その中でもテレビ作品の制作に関しては、状況や出来事に対する改善の余地や様々な可能性を見せる「希望の美学」という理念をもっていた。本稿の目的は、連続テレビドラマ『ベルリン・アレクサンダー広場』(1980)における主人公と語り手の対話的関係を分析することで、いかにして「様々な可能性」を見せるのかというファスビンダー作品独自の語り方を探求することである。

    そのために、まず第1節では、先行研究でも議論されてきた主人公ビーバーコップの両義性を、デーブリーンの原作小説がもつ文学的モンタージュの様式が翻案されたものとして分析する。その際、ミハイル・バフチンのポリフォニー論を参照し、内的対話という形で主人公が発話の意味を多層化し、観客の主人公への完全な同一化を妨げていることを明示する。第2節では、ビーバーコップとファスビンダーによるヴォイス・オーヴァーの間にも対話的関係が築かれており、その対話には「解釈者」としての観客という主体的な存在が必要であることを明らかにする。最後に第3節では、『ベルリン』を「テレビ的イメージ」が含まれるものと前提にしたうえで、2節までで述べてきた対話性をヴォイス・オーヴァーの音響的特性から考察する。

  • 具 珉婀
    2025 年 113 巻 p. 46-67
    発行日: 2025/02/25
    公開日: 2025/03/25
    ジャーナル フリー

    韓国において在日朝鮮人は同じ民族でありながらも本国の人々とは一線を画す存在として認識されてきた。新聞、漫画、映画などのメディアに表れた在日朝鮮人のステレオタイプはこのことをよく示している。ところがそもそも在日朝鮮人がこのように宙ぶらりんの状態を強いられ、「表象の重荷」を負わされてきたのはなぜだろうか。その答えを探るべく、本稿では在日朝鮮人が映画に登場するまでの空白の期間中に量産された朝鮮戦争映画に見られる変化を調査し、その上で在日朝鮮人が登場する最初期の作品『望郷』(金洙容、1966年)を分析する。

    1960年代の戦争映画は「国連軍の不可視化」、「死の国民化」を通して朝鮮戦争の記憶を国民国家の起源に関する神話に変換することで、休戦ラインを国境とする限られたものとしての国民を想像させた。在日朝鮮人は朝鮮半島が排他的な国境線によって区切られ、分断体制が固着化するなかで韓国映画に登場した。北朝鮮帰国事業を題材として取り上げた『望郷』には在日朝鮮人が国境を越える越境的な存在として登場する。ところが反共のフィルターがかかり、コロニアルからポストコロニアルへの歴史性が捨象されることで、在日朝鮮人は敵としての北朝鮮を前景化する過剰冷戦の論理に取り込まれる。以上の分析を通して、韓国映画における在日朝鮮人の表象に植民地期から朝鮮戦争後に至る韓国の近現代史の桎梏が集約されていることを明らかにする。

  • 森 年恵
    2025 年 113 巻 p. 68-88
    発行日: 2025/02/25
    公開日: 2025/03/25
    ジャーナル フリー

    本論は、『鶴八鶴次郎』(成瀬巳喜男、1938年)を、ハリウッド映画『ボレロ』(1934年)から小説『鶴八鶴次郎』(川口松太郎)への翻案、『ボレロ』を意識しつつ行われた小説からの映画化、という二つのプロセスを経たリメイク映画として検討する。小説は、原作映画の諸要素を取り入れながら、鶴次郎と鶴八の新内語りのカップルの物語とした。映画は、新内の映像化および演目と物語の同期によって、原作のダンス場面の魅力に匹敵する芸の表現とし、長谷川一夫の演技を含む成瀬の演出で鶴次郎の心情の成り行きに真実味を帯びさせ、鶴次郎の成長譚とした。長谷川と山田五十鈴にとって、本作とそれぞれの人生が重なり合い、演技を充実させた。その結果、芸と結婚の相剋を描く芸道物の発展を刺激するとともに、のちの芸道物に見られない、愛する女性の人生を熟考する男性像を生み出した。『鶴八鶴次郎』には、『ボレロ』に由来する、のちの芸道物と異なる特質があると考えられる。

  • 常石 史子
    2025 年 113 巻 p. 89-111
    発行日: 2025/02/25
    公開日: 2025/03/25
    ジャーナル フリー

    本論文は、白黒フィルムしか存在しなかった無声映画期のスクリーンに色をもたらすために考案された種々の着色技法を主題とする。手彩色、ステンシルカラー、染色、調色など個々の技法について概観し、当時の使用状況についても検討したのち、これらの技法が長らく忘却されてきた要因を、ポジ編集システムの喪失、原版中心の映画保存の限界、可燃性フィルムの喪失という三つの側面から考察する。つづいて1990年代以降、色彩が無声映画の美学の重要な部分として再認識され、色彩の保存や再現が活発に議論・実践されるようになった経緯とその後の研究動向について整理する。次に、プリント上に残された色彩を保存するため、また製作・公開当時の色彩を現代のスクリーンに再現するためにこれまでに採られてきた技法を、筆者が実際に手がけたアナログ・デジタル双方の事例を随所で参照しつつ包括的に分析し、それぞれの歴史的な意義や利点・欠点について検討する。とりわけ現在ほぼ唯一の選択肢となっているデジタル技術を用いた技法については、その利点とともに危険性についても詳細に解析する。最後に、現存するオリジナルの可燃性フィルムを直接スキャンした高精細のデータが未修復のまま公開される機会が増えていることを指摘し、自動修復、自動着色、AI生成の画像・映像が巷に溢れる現在にこそ見直されるべき実物資料の価値について論じる。

  • 梅本 健司
    2025 年 113 巻 p. 112-134
    発行日: 2025/02/25
    公開日: 2025/03/25
    ジャーナル フリー

    主人公に向けられていた関心がやがて他の登場人物たちへと移ってしまう、そうしたアイダ・ルピノの監督作に付き纏う奇妙な印象を監督第1作『望まれざる者』(1949年)の分析を通して解明することが本稿の目的である。

    ハリウッドのスター女優から自身が設立した独立プロダクションでカメラの裏側にまわったアイダ・ルピノは「未婚の母」の物語である『望まれざる者』をまず監督する。『望まれざる者』は主人公のフラッシュバックが物語のほとんどを占め、またいくつかの重要な場面では強烈に彼女の主観を表現するようなショットが用いられているため、しばしば女性の視点に重きを置いた映画として論じられてきた。しかしその一方で映画の随所で他の人物たちの苦悩や傷を、ときに主人公の事情以上に印象的に映し出してもいる。傷ついた登場人物たちは画面の背景に留まったり、さりげなく画面を行き交ったりするだけでは必ずしもなく、それによって主人公への関心はどこかルピノの意図を超えて混乱しているように見えるのだ。特定の登場人物に向けられていた関心が他へと移ってしまうこと自体は、ルピノ映画の特徴としても、弱点としても語られてきたが、これまで社会的な言説やジャンル研究の観点から、あるいは物語の内容の問題として言及されるに留まっている。ここでは仔細に作品を分析することで、それが映画特有の焦点化によるものであることを明らかにしたい。

  • 鷲谷 花
    2025 年 113 巻 p. 135-155
    発行日: 2025/02/25
    公開日: 2025/03/25
    ジャーナル フリー

    日本映画史上初の女性映画監督と認められてきた坂根田鶴子が、第一回監督作品『初姿』(第一映画、1936年)を発表する前年にあたる1935年9月、太秦発声所属の女性監督・笹木一子が、京都市観光課が太秦発声に製作を委託した観光映画『京の四季 夏の巻』を監督し、同作は日活系映画館でも併映短編として公開された。長編劇映画ではなく短編観光映画ではあっても、映画館で一般公開されたフィルムを最初に監督した女性として、笹木一子もまた、「日本初の女性映画監督」と呼ばれる資格をもつといえるだろう。『京の四季 夏の巻』の完成・公開から程なくして、笹木一子は映画制作現場を離れたが、戦後に「紀志一子」の名でスクリプターとして復帰し、1965年には「佐々木一子」の名で宮西プロ(大宝映画)が製作した成人映画『快楽の終宴』の監督を務めた。本稿は、演出・監督業から女性を構造的に排除してきた日本映画界で、戦前と戦後に複数の監督作品を発表したにもかかわらず、従来の日本映画史記述にその名が記されることがなかった、知られざるもうひとりの女性映画監督のパイオニア・笹木/紀志/佐々木一子の活動の軌跡を、新聞及び雑誌記事の調査を中心に掘り起こしていく。さらに、笹木一子のキャリアの検証を通じて、日本映画界における女性の監督業への進出を促しつつ、一方では監督としてのキャリアの持続的な発展を阻んできた諸条件についても考察を試みる。

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