映像学
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最新号
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巻頭エッセー
論文
  • 韓 瑩
    2024 年 112 巻 p. 41-60
    発行日: 2024/08/25
    公開日: 2024/09/25
    ジャーナル フリー

    「涙の小花」というタイトルで1969年に台湾で公開された3本の映画は、興行的に大きな成功を収め、「涙の小花ブーム」を巻き起こした。そのうちの一本は、韓国映画の『憎くてももう一度』(1968年)であり、残りの2本は台湾で製作された台湾語映画『涙の小花』(1969年)と北京語映画『涙の小花』(1969年)であった。特筆すべきは、この三作品は文芸映画として宣伝され、台湾の観客に受け入れられたという点である。本稿は「涙の小花ブーム」を事例に、台湾と韓国の映画交流の実態と作品間の相互関係を分析することで、冷戦期東アジアにおける文芸映画のトランスナショナルな流通と展開を明らかにすることを目的とする。第1節では、韓国映画、台湾映画、台湾語映画および香港映画の文脈から3本の『涙の小花』が文芸映画として受容された経緯について考察する。第2節では、流行歌の国境を超えた交流と児童映画の製作ブームが「涙の小花ブーム」の形成に与えた影響を検証する。第3節では、フィルムが現存しない台湾語映画『涙の小花』を除き、ほかの二作品を対象に作品分析を行う。その際、「涙」と「小花」という二つのキーワードを糸口とし、悲劇の構造と孤児の表象を考察することで、文芸映画という枠組について検討する。

  • 胡 響楽
    2024 年 112 巻 p. 61-80
    発行日: 2024/08/25
    公開日: 2024/09/25
    ジャーナル フリー

    安部公房原作、勅使河原宏監督という協働形式で映画化された「失踪三部作」の中で、仮面を通じて妻との関係回復を試みる男の仮面劇である『他人の顔』(1966)と、失踪者を探すうちに自分自身が失踪者となる探偵を描く『燃えつきた地図』(1968)の二作では、主人公「ぼく」の同一性の危機は、他者の「彼」との分身関係において浮上してくる。本稿は、分身モチーフを共有するこの二作において、勅使河原がいかに顔の同一性以外の視覚コードを通じて、分身表象を構築したかについて考察した。

    まず、『他人の顔』に見られる顔の癒着性を、顔を失った「ぼく」と医者の主体/客体の境界線の曖昧化に結びつけて論じた。そのうえで、仮面をつける施術エピソードに対する鏡像段階理論の有効性を確認しつつ、二人の関係性を自我・鏡像という次元へ還元した。

    続いて、小説『燃えつきた地図』における双眼鏡のモチーフと映画における望遠レンズに親和性を見いだし、カメラ視点は映像に現前しない失踪者の視点であるという仮説を立てた。その仮説に基き、映画では探偵と失踪者の視線の二重化という潜在的な構造を通路として、二人の融合に到達することを指摘した。

    本稿は、原作と照らし合わせながら、この二作に見られる分身表象から、「ぼく」と「彼」=もう一人の「ぼく」という開放的な分身の図式を抽出し、視覚装置としての映画における分身表象の可能性を検討した。

  • 長谷 憲一郎
    2024 年 112 巻 p. 81-102
    発行日: 2024/08/25
    公開日: 2024/09/25
    ジャーナル フリー

    1930年代前後の日本映画のトーキー移行期に、映画製作だけでなく、技術や産業、文化、芸術などあらゆる分野で、相当な混乱がもたらされた。そんななかで松竹製作の五所平之助監督『マダムと女房』(1931年)が、日本映画において初めて〈本格的トーキー〉として高い評価を受けたことは広く知られている。一方、日活は松竹に先んじてトーキーに着手したのにも拘らず、イーストフォン、ミナトーキー、P・C・L式のトーキーシステムを経て、ウェスタンエレクトリック式で3作目、実にトーキー19作目となる伊藤大輔監督『丹下左膳 第一篇』(1933年)まで、トーキーとして高い評価を得ることができず、松竹の後塵を拝す形となった。

    日活は、トーキーを製作し始めた1929年から、P・C・L式でトーキーを製作した1932年まで、16作品中15作品をアフレコ(後時録音)したが、そのほとんどは「未熟なトーキー」と烙印を押される結果となった。日活は、なぜトーキーの基本である同時録音ではなく、アフレコを採用し、結果的にうまくいかなかったのか。これにはアフレコを選択せざるを得ないトーキー移行期特有の事情があった。本稿は、トーキー初期に日活が主にアフレコでトーキーを製作した点に光を当て、技術的な見地から検証し、日本映画史における意義を明らかにする。

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