映像学
Online ISSN : 2189-6542
Print ISSN : 0286-0279
ISSN-L : 0286-0279
論文
語りへのためらい——クレール・ドゥニ『ネネットとボニ』(1996年)における不透明性について
茂木 彩
著者情報
ジャーナル フリー

2020 年 104 巻 p. 137-157

詳細
抄録

フランスの映画監督クレール・ドゥニの作品の大きな特徴は、その不可解さにある。しばしば心理的な説明が欠如し、間接的な仕方で物語理解に必要な情報が観客に与えられる。その遠回しな表現には、意味を遅延させ明白な結論を妨げる不透明さがある。本稿では、このようなドゥニの作品の不透明性をめぐり、『ネネットとボニ』(1996年)における電話や匂い、水面、ガラスといったモチーフを手掛かりに、登場人物間のコミュニケーションの問題を明らかにするとともに、それを観客とイメージの関係へと敷衍して考察を行う。まず電話は、偽造されたテレホンカードによる無作為なつながりを形成することで物語の中心をずらすとともに、主人公の家族の血縁的なつながりの断絶を強調する。次に水面は、物語終盤に起こる主人公ネネットの中絶未遂や家族の過去の秘密を暗示する。水面はまた、中絶未遂の場面で、浴室のガラスへと引き継がれる。ガラスは、浴室からの異臭に気づき、妹を助けようとする兄ボニおよび観客とネネットとの間に視覚的な不自由さをもたらすだけでなく、ネネットの赤ん坊をボニが誘拐する場面で、防音ガラスのようにも機能し、場面の劇的効果を減じる。このようにドゥニは、ガラスを活用して視聴覚的な障壁を観客との間に築く。観客をイメージから遠ざける一方で、その触感的視覚性によって、イメージに対する観客のより一層の注意をも喚起する。容易かつ即時的な理解を回避させること。そこには、イメージに対する観客の自発性を求める監督の姿勢が垣間見える。

著者関連情報
© 2020 日本映像学会
前の記事 次の記事
feedback
Top