映像学
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論文
「不可視の語り手」と作家――ロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』(1951)における語りと演技
三浦 光彦
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2023 年 109 巻 p. 27-48

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抄録

本稿では、ロベール・ブレッソンの1951年の作品『田舎司祭の日記』に関して、物語論と演技論の観点から分析を行う。『田舎司祭の日記』において物語がどのように語られているか、物語と演技がいかに結びついているかを精査した上で、テクスト外の現実の作者であるブレッソンとテクスト内の語り手とがどのような関係を結んでいるのかを明らかにすることが本稿の目的である。まず、テクスト外の現実がテクスト内のフィクションに作用する次元を物語論的観点から論じているエドワード・ブラニガンの理論の有用性を示した上で、映画公開当時、ブレッソンがどのような社会的・歴史的状況に置かれていたかを概観し、それが物語理解にいかに作用するかを考究する。次いで、一見、司祭の一人称による語りに見えるこの映画が実際には、司祭とは別のもう一人の語り手を想定する必要があること、そして、司祭による語りと別の語り手による語りが混同していることを、テクスト分析を通じて明らかにする。その上で、こうした語りの構造が映画における役者たちの発声の仕方と結びついていること、さらに、演技指導を通じてブレッソンという現実の作者がテクスト内の語り手に限りなく接近していることを詳らかにする。最終的に、ブレッソンという現実の作者が『田舎司祭の日記』において、「不可視の語り手」としてあたかも映画全体を語っているかのようにテクスト全体を構造化していると結論づける。

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