2025 年 113 巻 p. 25-45
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは映画だけでなく、テレビ、演劇、ラジオなど多様なメディアで活躍した作家であった。その中でもテレビ作品の制作に関しては、状況や出来事に対する改善の余地や様々な可能性を見せる「希望の美学」という理念をもっていた。本稿の目的は、連続テレビドラマ『ベルリン・アレクサンダー広場』(1980)における主人公と語り手の対話的関係を分析することで、いかにして「様々な可能性」を見せるのかというファスビンダー作品独自の語り方を探求することである。
そのために、まず第1節では、先行研究でも議論されてきた主人公ビーバーコップの両義性を、デーブリーンの原作小説がもつ文学的モンタージュの様式が翻案されたものとして分析する。その際、ミハイル・バフチンのポリフォニー論を参照し、内的対話という形で主人公が発話の意味を多層化し、観客の主人公への完全な同一化を妨げていることを明示する。第2節では、ビーバーコップとファスビンダーによるヴォイス・オーヴァーの間にも対話的関係が築かれており、その対話には「解釈者」としての観客という主体的な存在が必要であることを明らかにする。最後に第3節では、『ベルリン』を「テレビ的イメージ」が含まれるものと前提にしたうえで、2節までで述べてきた対話性をヴォイス・オーヴァーの音響的特性から考察する。