対馬には板倉と呼ばれる倉庫群が発達している.かつてこの板倉は,土地をもち耕作することができる“本戸”と呼ばれる人々のみが所有することができた.耕作可能な土地は西岸域に集中しているので,必然的に板倉の分布も西岸域に偏在していた.板倉は防災対策上主屋から隔離され,小屋屋敷と呼ばれる立地に群をなして設置された.瓦の使用が禁止されていた江戸期にその屋根素材として注目されたのが,対馬の基盤をなしている対州層群であった.対馬の地形や地質をはじめとする特異な自然環境に規制され,またそれらを利用しながら生活する人々の生産様式・生活様式の中で培われてきた石屋根板倉は対馬の象徴であり,大地の遺産にふさわしい存在である.