学会誌JSPEN
Online ISSN : 2434-4966
症例報告
食思不振で発症したラトケ嚢胞の一例
定政 信猛
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2023 年 5 巻 2 号 p. 89-93

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Abstract

症例は72歳女性.4年前に頭部を打撲,この際に撮影された頭部MRIで偶発的にラトケ嚢胞を指摘されたが,その後受診が途絶えていた.3カ月前より食思不振を認め,体重が10 kg以上減少,2カ月前より意識レベル低下,体動困難で当院に救急搬送された.頭部MRIでは腫瘍の明らかな増大を認めたため,手術目的で入院となった.来院時Japan Coma Scale 1,明らかな麻痺はなく,対座法で両耳側半盲が認められた.頭部CTでは最大径29 mmの鞍上部腫瘍を認め,視床下部に進展していた.経蝶形骨洞的にアプローチを行い,内視鏡を併用して嚢胞内容の部分摘出を行った.術後より症状は改善し,modified Rankin Scale 0で独歩退院した.ラトケ嚢胞は良性の経過を辿ることが多いが,本症例のように大きく後上方に進展すると食思不振を認めることがある.従って,稀ではあるが,食思不振を訴える高齢患者では念頭におくべき疾患の一つと考えられる.

高齢者の食思不振は健常者にもある程度認められるが,食事量の低下が進むとサルコペニアなどをきたし病的となり,morbidityやmortalityが上昇する原因となる1).高齢者の食思不振の原因は多岐に渡り,アルコール依存,うつなどの精神疾患,認知症,感染,薬物性,悪性疾患,消化器疾患などが報告されている1)が,高齢者における脳腫瘍が原因と考えられる神経性食思不振症は非常に稀であり,若年性脳腫瘍に伴う神経性食思不振症に関する報告は散見されるものの,視床下部の腫瘍自体が稀である2)

ラトケ嚢胞は主にトルコ鞍からトルコ鞍上部に生じる良性の腫瘍であり,粘液様,膠様,或いは乾酪性の嚢胞内容物を含む薄い被膜より成る.下垂体腺腫を除けば,トルコ鞍部で最も多くみられる腫瘍である3).頭部MRIなどで偶然発見された場合は無症状であることがほとんどであり,画像による経過観察の方針となることが多いが,増大すると頭痛や下垂体機能低下,あるいは視野障害などを呈し症候性となる.このような場合には手術の適応となる.食思不振を主訴として発症するラトケ嚢胞は稀である.

今回我々は,食思不振を主訴として発症し,手術で症状の改善を認めたラトケ嚢胞の一例を経験したので報告する.なお,本報告に先立ち症例本人からの論文発表に関する承諾を得た.本論文では,「症例報告を含む医学論文および学会研究会発表における患者プライバシー保護に関する指針」に基づきプライバシー保護に配慮し,患者が特定されないように留意した.

症例

72歳,女性.

主訴:食思不振

既往歴:特記すべきことなし.

家族歴:特記すべきことなし.

現病歴:4年前に頭部打撲にて当院に救急搬送された.この際に撮影された頭部MRIにて偶発的に鞍上部腫瘍を認め,画像所見からはラトケ嚢胞が疑われたが,腫瘍は小さく,かつ無症状であったため,外来主治医との相談の結果経過観察となった.外来にて画像フォローの予定であったが,その後自己都合により受診が途絶えていた.入院3カ月前より食思不振を認め,体重が以前より10 kg以上減少した.入院2カ月前より体動困難となり,意識レベルの低下も認めたため当院に救急搬送された.頭部MRIでは鞍上部腫瘍の明らかな増大を認めた.栄養状態の改善および手術目的で当科入院となった.

現症:意識レベルはJapan Coma Scale 1,明らかな麻痺はなく,対座法で両耳側半盲が認められた.身長152.0 cmに対して体重31.7 kg(4年前:43 kg)と著明な体重減少を認めた(Body Mass Index = 13.4,標準体重50.8 kg).発汗異常や高体温ならびに低体温,睡眠障害は認めなかった.入院時血液生化学的検査ではHDLコレステロール値と血清アルブミン値の低下を認めたが,総コレステロール値は保たれていた(表1).下垂体ホルモンの異常値はなかった.free T4はわずかに低下を認めた(表1).

表1.今回来院時の血液生化学的所見

基準値 単位 入院時
白血球数 3,500–9,100 /μL 7,500
赤血球数 376–500 万/μL 323
血色素量 11.3–15.2 g/dL 10.2
ヘマトクリット 33.4–44.9 % 30.1
血小板数 13.0–36.9 万/μL 25.4
総蛋白 6.7–8.3 g/dL 6.7
アルブミン 3.8–5.3 g/dL 3.7
総ビリルビン 0.2–1.1 mg/dL 0.9
AST 10–40 U/I 24
ALT 5–45 U/I 12
ALP 38–112 U/I 53
γ-GTP 0–45 U/I 10
CHE 196–452 U/I 228
総コレステロール 130–219 mg/dL 162
HDL-コレステロール 40–96 mg/dL 39
LDL-コレステロール 70–139 mg/dL 98
中性脂肪 35–149 mg/dL 157
血清血糖 70–109 mg/dL 91
HbA1c(NGSP) 4.6–6.2 % 5.5
アミラーゼ 37–125 112
尿素窒素 8–22 mg/dL 13
クレアチニン 0.47–0.79 mg/dL 0.7
尿酸 2.5–7.0 mg/dL 4.7
Na 135–147 mEq/L 137
K 3.6–5.0 mEq/L 4
Cl 98–108 mEq/L 105
Ca 8.6–10.1 mg/dL 8.9
補正カルシウム mg/dL 9.2
CRP 0.00–0.30 mg/dL 0.03以下
TSH 0.390–4.010 μIU/mL 2.301
F-T3 2.2–4.1 pg/mL 2.3
F-T4 0.83–1.71 ng/dL 0.51
プロラクチン 5.18–26.53 ng/mL 11.76
ソマトメジン-C(S) ng/mL 7未満
成長ホルモン 0.13–0.99 ng/mL 0.58
APTT 26.5–37.2 sec 38.5
フィブリノーゲン 160–410 mg/dL 299
D-ダイマー 0.0–0.9 μg/mL 0.8
BNP 0.0–18.4 pg/mL 27.8
ACTH 7.2–63.3 pg/mL 7.4
AT-3活性値 75–135 % 53
コルチゾール 3.7–19.4 μg/dL 4.3

神経放射線学的検査:頭部CTでは最大径29 mmの境界明瞭な低吸収域を認め,4年前に比べ明らかに増大していた(図1A–D).頭部MRIでは同病変は嚢胞状であり,トルコ鞍の拡大は認めず,病変はむしろ鞍上部から後方に進展し視床下部に至っていた(図1C,D).嚢胞内容はT1強調画像にて高信号(図1D),T2強調画像にて低から高信号であり(図1E),被膜はガドリニウムにて均一な増強を受けた(図1F,G)が,明らかなmural noduleと思しき増強は認めなかった.下垂体前葉はトルコ鞍内前方,後葉はトルコ鞍後方にそれぞれ位置していた(図1C).

図1.術前画像

矢印はラトケ嚢胞を示す.A,4年前の初診時に撮像された頭部CT.B,今回入院時の頭部CT.ラトケ嚢胞は明らかな増大を示す.C,4年前の初診時に撮像された頭部MRI T1矢状断像.正常下垂体(矢頭)がトルコ鞍内,嚢胞前方に認められる.視床下部(HY)への圧迫はほとんどない.D,今回入院時の頭部MRI.腫瘍は上後方に進展し,視床下部を圧迫している.E,今回入院時の頭部MRI T2矢状断像.F,今回入院時の頭部MRI T1冠状断像.G,同T1ガドリニウム増強像.ラトケ嚢胞の嚢胞壁のみ増強される.H,術前の視野検査では明らかな両耳側半盲を認めた.

入院後経過:術前より栄養サポートチームが介入した.Harris-Benedictの式による基礎エネルギー消費量は902.8 kcal,活動係数1.2,ストレス係数1.1と設定し,現体重からのエネルギー必要量は1,191 kcal,蛋白必要量は31.7 gとした.必要水分量は775 mLとした.入院当初より食思不振を認め,経口摂取はほとんど認められなかった.何とか飲み物は飲めるとの本人の弁から,入院第2病日より朝ジョア,昼メイバランス125 mL,夜アイソカルを摂取開始した(エネルギー448 kcal,蛋白18 g).入院第3病日には本人希望により朝クリミール,昼メイバランス,夕ヨーグルト(エネルギー603 kcal,蛋白18 g)に変更したが,5割摂取程度と摂取量を増やすことが困難なため,その2日後には昼ブイクレスCP10,夕メイバランスに変更した(エネルギー426 kcal,蛋白27.5 g).その後徐々に摂取量が増加し必要水分量は充足したが,血清アルブミン値は術前採血で2.8 g/dLまで低下していた.眼科における視野検査において両耳側半盲を認めた(図1H).

手術:入院第10病日に手術を行った.神経内視鏡を用いて嚢胞内容を吸引除去した(図2A).嚢胞内容はかなりの粘性があり,やむなく部分摘出に留めたが,減圧は十分と考えた(図2B).正常下垂体や脳実質には浸潤はなく,それらの組織を損傷しなかった.

図2.術中,術後所見

A,トルコ鞍内に神経内視鏡を挿入すると,鞍上部よりやや後方に黄白色の嚢胞内容が認められた.B,可及的に内容を摘出した.C,術前頭部MRI.矢印はラトケ嚢胞を示す.D,術後頭部MRIでは嚢胞の内容が大幅に縮小し,視床下部への圧迫が解除されている.E,術後は視野障害も改善した.

術後経過:術後より速やかに食思不振ならびに視野障害は改善した.術後より経口摂取量は格段に増え,全粥100 g + 五分菜食(エネルギー1,045 kcal,蛋白54.6 g)を経て術後1週間で米飯からパンに変更(1,355 kcal,蛋白61.6 g),最終的に常食の全量摂取が可能となった.血清アルブミン値は術前2.8 g/dLから術後1週間後の採血で2.9 g/dLに微増した.しかし術後検査で下垂体部の外科的侵襲が原因と思われるコルチゾール低値(2.7 μg/dL)が認められたため,術前後のステロイド点滴に加えてコートリル内服を追加した.術後頭部MRIでは術中所見通り,腫瘍の部分摘出を確認した(図2C,D).視野検査では両耳側半盲は改善していた(図2E).経過良好により術後第20病日に独歩退院した.退院後2カ月で体重は41.0 kg,アルブミン値は4.3 g/dLまで回復した.

考察

ラトケ嚢胞は無症状のことが多いが,症候性となった場合に多い症状として頭痛,視野障害,下垂体機能低下がある4).症候として最も多いのは頭痛であり,全体の33–81%に認められる.下垂体機能低下については全体の19–81%に認められ,報告により幅がある.下垂体機能低下の中で最も多い症候は性腺機能低下であり,30–60%に認められるといわれている5).他の下垂体機能低下の初発症状としては,副腎機能低下による食思不振・体重減少・倦怠感や,甲状腺機能低下による無気力・浮腫・体重増加や皮膚の乾燥などが含まれる.

今回の症例では来院時の診察ないし視野検査から両耳側半盲が明らかではあったものの,本人からは頭痛や視野障害の訴えはなく,食思不振が主訴となった.来院時の下垂体ホルモン値は保たれており,副腎機能の著明な低下があったとは言えない.それにもかかわらず食思不振と体重減少が著明であった理由として,今回の腫瘍はトルコ鞍,鞍上部から後上方,視床下部側に進展しており,食思不振には腫瘍の圧迫による視床下部障害によって生じる摂食障害の要素が関与していた可能性がある.その証拠に腫瘍による圧迫が解除された術後は常食摂取が可能となっているが,副腎機能を示すコルチゾール値はむしろ低下していた.下垂体部の術後変化として,コルチゾール低下はむしろ自然な経過であるが,もし下垂体機能低下が原因の食思不振であれば,術後経過として食思不振はさらに悪化したはずである.なお,来院時の意識障害についてはごく軽度であり,視床下部障害というよりも衰弱が原因と考えた.

文献を渉猟した限りでは,ラトケ嚢胞と食思不振または拒食についての関連が記載された報告は過去に3報認められる68).いずれも1例報告であるが,Bizzarriらの報告6)については汎下垂体機能低下を合併する点,DeMonacoらの報告7)は視床下部障害として抗利尿ホルモン不適合分泌症候群を呈していた点が本症例と異なる.また,Ikeguchiらの報告8)はラトケ嚢胞の治療に用いた薬剤(デュロキセチン)の副作用として生じたと考えられる食思不振であり,ラトケ嚢胞と食思不振との直接的な関連はないと考えられる.今回我々は,下垂体機能が保たれ,かつ鞍上部後方に伸びる病変により視床下部への圧迫をきたしたために,初発症状として食思不振を認めた稀なラトケ嚢胞の症例を経験した.以上より,ラトケ嚢胞により下垂体ホルモンが正常な症例(術前の検査で原因不明に見える)でも,手術によってラトケ嚢胞による圧迫を解除することで食思不振が改善する可能性があるため,副腎皮質刺激ホルモンを介しない視床下部障害の存在を念頭において,治療(手術)をするとよいと考えられた.

視床下部病変が原因として起こる肥満は視床下部肥満と呼ばれる.視床下部性肥満をきたす症候群としてFröhlich症候群,Kleine-Levin症候群,empty sella症候群が知られている9).下垂体腫瘍を含めた脳腫瘍で拒食になることは比較的少ないが,過去の報告では視床下部の胚細胞腫瘍において神経性食思不振症と診断された例が多い10).これまでに視床下部の摂食中枢は外側野,腹内側核,弓状核,室傍核,視交叉上核等が関わるとされてきた11)が,副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモンの分泌にかかわるのは室傍核とされており,副腎皮質刺激ホルモンに関連しない食欲低下が視床下部内側の病変で起こりうる可能性が示唆されている.室傍核より下方に存在する弓状核には摂食を誘導する神経(アグーチ関連ペプチド産生神経;以下,AgRP神経と略)と摂食を抑制する神経(プロオピオメラノコルチン神経;以下,POMC神経と略)が存在し,室傍核に連絡している12).今回の症例ではこのうちAgRP神経が圧迫により障害を受け,相対的にPOMC神経が亢進し食思不振を呈した可能性が示唆されるが,残念ながら今回の症例では神経線維を描出するトラクトグラフィーは行われておらず,腫瘍周辺の神経線維連絡がどのように保たれていたか,あるいは障害されていたかは不明である.これは今後の研究に期待したい.

結語

食思不振を主訴として発症したラトケ嚢胞の一手術例を経験した.ラトケ嚢胞は良性の経過を辿ることが多いが,本症例のように大きく後上方に進展すると食思不振を認めることがある.特に,高齢者で食思不振の随伴症状としての頭痛,視野障害や下垂体機能低下による症状がある場合は,稀ではあるがラトケ嚢胞も念頭におくべきと思われた.

 

本論文に関する著者の利益相反なし

引用文献
 
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