2024 年 6 巻 1 号 p. 45-50
【目的】周術期には口腔衛生環境が悪化するので口腔ケアが重要である.上部消化管手術から中長期間経過後での口腔衛生状態の変化を調査した.【対象および方法】2018~2021年に食道胃切除再建術を実施した16例を解析した.臨床情報と歯科診察情報を収集した.口腔衛生状態,齲歯の変化をWilcoxon符号順位検定で検定した.齲歯の増加に関与する因子をχ2-検定と多変量解析で解析した.【結果】手術から中長期間の経過で齲歯は増加する傾向を示した.齲歯の増加に関与する因子として単変量解析では肥満度指数,原疾患,再入院理由が有意であり,多変量解析では食道がん(p = 0.066),化学療法以外再入院(p = 0.128)が関与する傾向を示した.【結論】上部消化管手術の中長期経過後には齲歯が増加し,この増加には食道がん,化学療法以外再入院が関与する傾向を示した.
周術期には口腔衛生環境が悪化し齲歯が増加することが知られており1–5),これに対する口腔ケアの重要性が認識され実施されている6–10).しかしながら確実に口腔ケアが行われるのは入院中のみであり,外来通院中は必ずしも経過が追えていないのが実情である10,11).よって手術後中長期間経過した後の口腔衛生状態や齲歯の状況についての検討はほとんど行われていない.
当院でも周術期等口腔機能管理を実施しているが12),食道がんの手術後から再発をきたして化学療法を実施するまでの中長期の経過で齲歯が著明に増加した症例を経験した(図1a,b).この症例を契機として,食道がん・胃がんの症例を対象として,手術から中長期間経過後での口腔衛生状態と齲歯の状況の変化の有無とこれに関与する因子を調査した.
a 手術入院時.齲歯が1本みられた(矢印).
b 再入院時.齲歯が22本に著明に増加した(矢印).
JCHO東京山手メディカルセンターの倫理委員会の承認を得て本調査研究を行った(承認番号 J-132).2018年10月~2021年3月に当院で食道がん・胃がんに対して切除再建術を実施した61症例(食道がん14例,胃がん47例)のうち手術入院時と再入院時に経時的な歯科診察のデータが得られた16例(食道がん4例,胃がん12例)を対象とした.
臨床情報として年齢,性別,肥満度指数(Body Mass Index;以下,BMIと略),併存症の有無,がんの進行度,飲酒・喫煙の有無,再入院目的(化学療法の有無),再入院までの期間を電子カルテから抽出した(表1).併存症としては高血圧,糖尿病,高脂血症,肝機能障害などがみられた.術後の経過で悪心・嘔気,嘔吐はあっても一時的なもののみであり,永続した症例はみられなかった.再入院理由としては(補助)化学療法11例のほかに膀胱がん手術,脳梗塞発症,肝硬変増悪,低栄養状態発現,再発胃がんに対する緩和治療目的の5例があった.再入院までの期間は中央値5カ月であった(1~21カ月).
症例数 | 16例 |
手術入院時 | |
年齢 | 中央値69歳(51~81歳) |
性別 | 男14例,女2例 |
BMI | 中央値21.1(13.3~28.5) |
併存症 | 有 12例*1,無 4例 |
原疾患 | 胃 12例,食道 4例 |
進行度 | 食道II 1例,III 3例 |
胃I 2例,II 3例,III 5例,IV 2例 | |
飲酒 | 有 10例,無 6例 |
喫煙 | 有 13例,無 3例 |
義歯 | 有 8例,無 8例 |
再入院時 | |
再入院目的 | 化学療法 11例,その他 5例*2 |
再入院までの期間 | 中央値5カ月(1~21カ月) |
*1:高血圧,糖尿病,高脂血症,肝機能障害など
*2:膀胱がん,脳梗塞,肝硬変,低栄養,緩和
歯科診察情報としては口腔衛生状態と齲歯の状況,義歯の有無を抽出した.口腔衛生状態はOral Hygiene Index13)とPlaque Index14)をもとにした当院歯科独自の分類法で5段階(「良好」「概ね良好」「やや不良」「不良」「きわめて不良」)の,齲歯の状況については3段階(「無し」「少数(2本以下)」「多数(3本以上)」)の階層評価を行った.
口腔衛生状態,齲歯の状況の変化をWilcoxon符号順位検定で評価した.齲歯の増加が手術に起因する確率をベイズの定理を用いて算出した15).齲歯の増加に関与する因子の検討をχ2-検定による単変量検定と重回帰分析による多変量解析とを用いて行った.統計解析にはExcel 2016を用いた.Wilcoxon符号順位検定はExcel上で検定統計量T値を算出して限界値と比較した.χ2-検定と多変量解析はExcel 2016付属の分析ツールを用いた.多変量解析は応答変数を齲歯の増加・不変の二値変数に変換して用い,係数とp値を評価した.いずれの検定においてもp値0.05未満を有意差あり,p値0.20未満を有意傾向ありと判定した(有意水準の設定については米国統計学会などの提言を参照16–18)).
口腔衛生状態,齲歯の状況の変化を図2に示す.口腔衛生状態(T値20,限界値10)には変化なく(図2a),齲歯の状況(T値0,限界値0)は悪化する傾向がみられた(図2b).
a 口腔衛生状態には変化がみられなかった.
b 齲歯は増加した.
今回の検討で手術から再入院までの齲歯の増加は16例中5例(31%)にみられた(食道がん3例,胃がん2例).また日本人全体における齲歯の自然増加確率(割合)は厚生労働省歯科疾患実態調査の齲歯有病率の年次推移などを参照して半年間で約0.10(10%)と見積もった19,20).すなわち,手術後の齲歯の増加率は日本人全体の齲歯自然増加率よりも高いと考えられた.齲歯の増加に手術が影響した確率をベイズの定理を用いて検証した.疾病別全国統計を参照し食道がん手術件数6,000件/年,胃がん手術件数42,000件/年から21),事前確率として日本全体で半年間に食道がん胃がん手術が実施される確率を0.00024とした.これらのデータをもとに
齲歯が増加した人に占める手術を受けた人の割合(事後確率)
= 手術での齲歯増加確率(尤度) × 手術実施確率(事前確率)/齲歯自然増加率
= 0.31 × 0.00024/0.10 = 0.00074
との結果が得られた.
齲歯の増加に関与する因子として単変量解析ではBMI(p = 0.049),原疾患(p = 0.029),再入院理由(p = 0.005)が有意に相関していた(表2).多変量解析では食道がん(係数0.630,p = 0.066),化学療法以外再入院(係数0.456,p = 0.128)が関与する傾向がみられた(表3).
因子 | 階層 | p値 |
---|---|---|
年齢 | <65,≥65 | 0.513 |
性別 | 男,女 | 0.541 |
BMI | <20,≥20 | 0.049 |
併存症 | 有,無 | 0.350 |
原疾患 | 食道,胃 | 0.029 |
進行度 | ≤II,III | 0.889 |
飲酒 | 有,無 | 0.889 |
喫煙 | 有,無 | 0.931 |
義歯 | 有,無 | 0.590 |
再入院目的 | 化学療法,その他 | 0.005 |
再入院まで期間 | 6カ月,≥7カ月 | 0.210 |
因子 | 階層 | 係数 | p値 |
---|---|---|---|
原疾患 | 食道,胃 | 0.630 | 0.066 |
再入院目的 | 他因,化学療法 | 0.456 | 0.128 |
手術後やがんに対する化学療法,放射線療法により口腔粘膜炎の悪化に引き続き齲歯が増えることが示唆されている1,2).その原因として,人工呼吸器の使用にともなう口腔内の乾燥,絶飲食や食思不振による口腔清掃機会の減少と低栄養,唾液腺細胞への影響による唾液分泌の減少,免疫力の低下による口腔内細菌の繁殖,などが挙げられる3–5).
加えて上部消化管術後の特徴として,①食事が十分に摂れず低栄養から免疫能低下,ひいては口腔内細菌の増殖をきたしやすい,②縫合不全が発症した場合には絶飲食期間が延長する,③悪心・嘔吐,胃酸の逆流の増加から齲歯発生の臨界pH 5.5を下回る機会が多くなる22).このようなことから下部消化管手術,肝胆膵手術と比較しても上部消化管手術後には口腔衛生環境はより悪化する可能性がある.
これらの口腔衛生環境および齲歯や歯周病の悪化に適切に対処しないと口腔内細菌を原因とする誤嚥性肺炎や感染性心内膜炎など重篤な感染症がおこりうる.このため周術期等口腔機能管理を実施することの重要性が指摘され,実際に合併症の減少,入院期間の短縮,予後の延長など様々な介入効果が報告されている6–9).保険制度上も周術期等口腔機能管理の歯科点数の算定に加えて,手術に対して「周術期等口腔機能管理後手術加算」として医科点数の加算が認められている.当院では以前より院内医科歯科連携を立ち上げており,これが有効に機能している.手術や化学療法の際には周術期等口腔機能管理を遺漏なく行うよう努めており,これらの入院の際には必ず歯科の診察が実施されている12).実際には手術症例では入院後の術前と術後1週間ほどで診察し(この期間での齲歯の増加がみられた症例はなかった),退院後は病診連携強化のためにもかかりつけ歯科医の受診を勧める.術前に口腔衛生状態が不良な患者に対しては,歯石除去,機械的歯面清掃,義歯洗浄などの口腔ケアや齲蝕処置などの応急処置を行う.重要なことは周術期に口腔内の細菌数を減らしておくことである.
ところが実際は,退院後の外来通院期間中には口腔衛生状態の情報が継続的に得られていない.現行の保険制度で地域医療連携を目的として逆紹介が推進されているにもかかわらず,かかりつけ歯科医で継続的な口腔機能管理は必ずしも行われていないと思われる(本研究では外来期間中のかかりつけ歯科受診やフッ素塗布23)の有無などの実態は調査困難であった).当院での歯科介入開始時には説明同意書にも文章で記載して,専門的な口腔機能管理を行わない場合のリスクと口腔ケアの重要性を強調して教育と動機付けを行っているものの,患者の認識不足から通院していないと考えられる.また周術期における口腔衛生環境の特殊性や保険制度に対する開業歯科医院における知識不足がこの背景にある可能性を指摘する報告もある10).また急性期病院で歯科を併設する病院はいまだ多くなく,歯科医が常勤する場合でも歯科医師数不足により継続的な診療を行うことは困難である11).かかりつけ歯科医に通院する場合は病院間の医科歯科連携不足が問題である.これらのことを背景として,周術期等口腔機能管理の取り組みにもかかわらず退院後の通院期間中には継続的歯科情報が入手されていないものと思われる.
今回食道がんの術後21カ月で齲歯が著明に増悪した症例を経験した.医中誌(「齲歯」 + 「手術」 + 「食道癌/胃癌」)とPubMed(‘dental caries’ + ‘surgery’ + ‘esophageal cancer/gastric cancer’,いずれも期間の制限なし)で検索する限り術後の中長期経過後における齲歯増加に関する報告はみられず,本研究も少数例対象のパイロット的な検討ではあるが,齲歯の増加の原因について考察を行った.この症例は当院の歯科通院はなく,かかりつけ歯科医も受診しておらず,口腔ケアは実施されていなかった.また自宅で常時飴玉を舐めていたことが問診で聴取された.上部消化管の術後には食事が十分に摂取しにくいため,炭水化物の多い食品を頻回に摂食する傾向がみられる.また唾液分泌量低下などの周術期の有害事象が長期間遷延し,口渇を軽減するために飴の摂取が常態化したことも考えられる.これにより歯垢中の齲蝕原性菌の増殖,乳酸などの有機酸の産生という過程を経て歯垢のpHの低い状態が多くなる.その他に低栄養から体力低下をきたし,歯みがきの回数が減ったことを患者本人は申告していた.この低栄養に対して外来通院期間中には栄養指導が行われていなかった.このような様々な原因から上部消化管の術後には,周術期のみならず中長期的にわたって口腔内環境が悪化し齲歯が増加することが懸念される.
実際本調査研究の結果,上部消化管手術後には中長期的に齲歯が増加するという結果が示唆された.この上部消化管手術後の齲歯の増加率は日本人全体の齲歯自然増加率よりも高いと推測された.伝統的な頻度論派統計学に対し,ベイズ解析が様々な分野で用いられており,今回その基礎となるベイズの定理を応用した.ベイズ解析はそれまでの情報に基づき事前分布を設定し,データに対する尤度を用いて未知のパラメータの事後分布を求める統計的手法であり15),機械学習や人工知能の分野でも広く用いられている.その結果,齲歯の増加が手術に起因する確率(事後確率,齲歯が増加した人に占める手術を受けた人の割合)は0.00074と見積もられた.すなわち,齲歯が増加した人の中で0.074%(約1,400人に1人)が食道がん・胃がんの手術を受けていたと考えられる.「ベイズ更新」の概念により,今後症例数を増やして追加解析する場合にも応用可能であると思われる15).
この齲歯の増加傾向は食道がん症例,化学療法以外で再入院となる症例に関与する傾向がみられた.この原因については以下のように考察した:①食道がんは胃がんと比較して頸部食道胃吻合でより直接的に胃酸が口腔内まで逆流しやすく(悪心・嘔吐はなくとも顕在性・潜在性の胃酸逆流は多いと思われる),これにより唾液および歯垢中のpHが下がる可能性があること,②術前化学療法の影響で唾液の分泌が減少し,口腔内乾燥が強くなること,③縫合不全が多いことから術後の食事摂取不能期間が長くなり,限られた期間ではあるが口腔内自浄作用が低下する.さらに食事摂取不能期間に糖分の多い飴などを舐めると先述の機序から二重に増悪し得ること,などが原因として考えられた.また化学療法以外再入院で齲歯が多かったことの原因については,膀胱がん手術,脳梗塞発症,低栄養状態の発現,肝硬変の増悪,胃がんの再発などにより,化学療法目的の症例よりもさらに全身状態は不良であったことが影響したと考えられた.すなわち,これらの症例においては免疫能の低下に伴う口腔内細菌の増殖や食事回数の減少に伴う口腔内自浄作用の低下から口腔衛生環境が悪化し,これに加えて口腔清掃意欲の低下から口腔衛生状態が悪化する,というような機序を考察した.特にこれらの症例に対しては継続的な口腔診察や口腔ケアを行うことを考慮すべきであり,今後必要となる取り組みは以下のごとくである.①歯科医の継続診察を勧めるような患者教育・指導のみでなく,積極的・直接的な紹介を行う,②開業歯科医院では周術期における口腔衛生環境の特殊性や保険制度を周知していただき,特別な口腔ケアの実践と指導・口腔診察の継続をご協力いただく,③かかりつけ歯科医での診察結果が随時情報提供されるような地域医療連携のシステムを構築する24),④病院においては上部消化管の術後,特に食道がんの術後には栄養科は歯科と協力し栄養指導内容を見直す(具体的な指導方法は今後の課題である).今後はこれら①~④の取り組みを行って,その介入効果の検証を行っていきたい.
上部消化管手術の中長期経過後には齲歯が増加する傾向にあり,この齲歯の増加には食道がん,化学療法以外再入院が関与する傾向であった.手術後中長期間経過後の齲歯の状況に関する報告はほとんどなく,貴重なデータと考える.今回の結果を念頭に置いて,医科歯科病診連携も含めた今後の上部消化管術後の口腔診察・ケア,栄養指導の方法を見直す必要性が認識された.
本研究の実施にあたりデータ収集と専門知識を提供下さり,また論文校正にも多大なるご協力を賜りました,JCHO東京山手メディカルセンター,NST,歯科・口腔外科,中野雅昭医師,熊谷順也医師に感謝申し上げます.
本論文の要旨は第38回日本臨床栄養代謝学会学術集会(2023年5月9日,神戸)で発表した.
本論文に関する著者の利益相反なし