2024 年 6 巻 4 号 p. 201-205
症例は59歳,女性.19歳頃より抑うつ気分が出現し,現在まで精神科での治療を受けていた.59歳時,抗精神病薬を過量内服し救急搬送され,血液検査でRBC 291 × 104/μL,Hb 10.4 g/dL,MCV 96.2 fLと貧血を認めた.3日後,当院入院した.RBC 373 × 104/μL,Hb 9.8 g/dL,MCV 100 fLとなり,血清葉酸2.2 ng/mLと低値であったため葉酸15 mg/日の補充を41日間行った.RBC 264 × 104/μL,Hb 9.9 g/dL,MCV 101.4 fLと貧血の改善は認めなかった.網状赤血球増加,間接ビリルビン高値,胆石および脾腫の合併から慢性的な溶血を認め,溶血性貧血を疑い血色素異常症スクリーニング検査を行った.赤血球膜Band3検査にて低下,小型球状赤血球も認め遺伝性球状赤血球症(hereditary spherocytosis;以下,HSと略)と診断された.HSでは葉酸補充が推奨されているが,溶血の亢進を認める場合,葉酸を補充してもHbの増加を認めるのは困難である可能性がある.
遺伝性球状赤血球症(hereditary spherocytosis;以下,HSと略)は先天性溶血性貧血の中で最も多く,我が国の先天性溶血性貧血の約70%を占める1).赤血球膜蛋白を構成する遺伝子の異常により赤血球が小型球状となる2).臨床症状は溶血に起因した貧血,脾腫,黄疸,胆石等である3).HSは慢性的な溶血を呈し,十分な赤血球造血を維持するために葉酸補充が必要とされる4).しかし実際に本邦で葉酸補充を行ったHSの症例報告は数少ない.今回,葉酸欠乏誘発性の大球性貧血を呈し,葉酸補充を受けたHSを経験した.
59歳,女性.
2. 家族歴母親がうつ病,姉が溶血性貧血.
3. 既往歴19歳頃から抑うつ気分,意欲低下が出現.27歳時,A精神科病院に初診となった.通院継続したが不安焦燥感が強く43歳時に職場を退職した.54歳時,不安焦燥感が増悪し自宅2階から飛び降りるなど突発的な行動を認め,55歳時,グループホームに入所し,安定して過ごしていた.
4. 現病歴20歳頃,B大学病院にて溶血性貧血と診断.付添した姉も溶血性貧血であった.34歳時,発熱のためC総合病院に入院.3週間の鉄剤静注とステロイドが処方された.58歳時,ベッド柵から転落し右大腿骨頸部を骨折しD総合病院にて右大腿骨頭置換術を実施した.術後に貧血が増悪したため同病院で輸血がされた.59歳時,クエチアピンフマル酸塩25 mg錠(商品名:セロクエル25 mg錠)118錠を過量服薬しE大学病院に救急搬送された.3日後に当院転院となった.過量服薬直後の血液検査結果を表1に示す.
血算 | 血液生化学 | ||
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WBC | 6,900/μL | AST | 18 U/L |
RBC | 291 × 104/μL | ALT | 22 U/L |
Hb | 10.4 g/dL | γ-GTP | 49 U/L |
Hct | 28% | T-BiL | 1.9 mg/dL |
MCV | 96.2 fL | Cr | 0.62 mg/dL |
MCH | 35.7 pg | UN | 11 mg/dL |
MCHC | 37.1 g/dL | Na | 141 mEq/L |
RDW | 15.3 | K | 4.1 mEq/L |
PLT | 16.8 × 104/μL | Cl | 104 mEq/L |
IP | 4.4 mEq/L |
身長163 cm,体重35.5 kg(body mass index 13.3 kg/m2),体温37.0°C,血圧117/72 mmHg,脈拍91回/分,SpO2 98%(室内気).眼下結膜の蒼白,バチ状爪を認めた.黄疸は認めなかった.
6. 入院時検査所見(表2)血液検査はRBC 228 × 104/μL,Hb 8.4 g/dL,MCV 103.1 fL,MCH 37.0 pg,MCHC 35.9 g/dL,RDW 15.1%.生化学検査はAST 16 U/L,ALT 16 U/L,γ-GTP 49 U/L,T-bil 1.7 mg/dL,LD 216 U/L,Fe 76 μg/dL,TIBC 195 μg/dL(TSAT 39.0%),Ferritin 268.3 ng/mLであった.
血算 | 血液生化学 | ||||
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WBC | 4,400/μL | TP | 6.4 g/dL | Na | 135 mEq/L |
RBC | 228 × 104/μL | Alb | 4.1 g/dL | K | 3.9 mEq/L |
Hb | 8.4 g/dL | AST | 16 U/L | Cl | 99 mEq/L |
Hct | 23.5% | ALT | 16 U/L | Fe | 76 μg/dL |
MCV | 103.1 fL | LD | 216 U/L | TIBC | 195 μg/dL |
MCH | 37 pg | ALP | 47 U/L | Glu | 101 mg/dL |
MCHC | 35.9 g/dL | γ-GTP | 42 U/L | CRP | 0.05≥ mg/dL |
RDW | 15.1 | T-BiL | 1.7 mg/dL | Ferritin | 268.3 ng/dL |
PLT | 20.4 × 104/μL | D-Bil | 0.6 mg/dL | TSH | 3.65 μIU/mL |
Cr | 0.42 mg/dL | FT4 | 1.25 ng/dL | ||
UN | 10.9 mg/dL | ||||
UA | 2.2 mg/dL | ||||
AMY | 83 U/L | ||||
T-CHO | 117 mg/dL | ||||
LDL-CHO | 41 mg/dL | ||||
TG | 57 mg/dL |
腹部X線単純撮影で胆石を認めた.また腹部超音波検査でも胆石を認め,脾腫を合併していた.
8. 入院後経過(表3,図1)入院時の血液検査にて貧血を認め,胆石,脾腫を合併していたことから溶血性貧血を疑い精査を行った.網状赤血球増加,ハプトグロビン低値,間接ビリルビン高値であり溶血を認めた.また,血清ホモシステイン高値,血清葉酸低値,血清ビタミンB6低値,ビタミンD低値を認めた.ビタミンB12は基準値内であった.第13病日よりフォリアミン錠(葉酸5 mg含有)3錠,第22病日よりピリドキサール30 mg錠(ビタミンB6含量30 mg)2錠で補充開始した.第41病日RBC 264 × 104/μL,Hb 9.9 g/dL,MCV 101.4 fLと貧血の改善は認めなかった.しかし,血清葉酸222 ng/mLに増加,血清ホモシステイン7.3 nmol/Lと正常化したため第50病日に両者ビタミン製剤が中止となった.第133病日にメニエール病を発症しメチコバール錠500 μg錠(ビタミンB12含量500 μg)3錠が3カ月間処方された.ビタミンB12補充後,MCVは経日的に減少し正球性貧血となった.血清葉酸濃度に変化は認めなかった.
血算 | 血液生化学 | ||
---|---|---|---|
WBC | 4,900/μL | AST | 16 U/L |
RBC | 373 × 104/μL | ALT | 16 U/L |
Hb | 9.8 g/dL | LD | 207 U/L |
Hct | 27.3% | γ-GTP | 34 U/L |
MCV | 100 fL | 間接ビリルビン | 1.1 mg/dL |
MCH | 35.9 pg | HbA1c | 3.8% |
MCHC | 35.9 g/dL | ビタミンB12 | 502 pg/mL |
PLT | 24.3 × 104/μL | 葉酸 | 2.2 ng/mL |
Ret | 7.9% | ビタミンB6 | 2.5 ng/mL |
ビタミンD | 11.4 ng/mL | ||
ホモシステイン | 17.1 nmol/L | ||
ハプトグロビン | 2未満 mg/dL |
葉酸補充で貧血の改善を認めず,第140病日に血色素異常症スクリーニング検査を行った.赤血球膜Band3検査にて低下を認め,末梢血血液像にてmicrospherocyte様の赤血球も認めた(表4,図2).本スクリーニング検査結果と臨床所見からHSと診断された.
スクリーニング検査 | 血算 | |||
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HbF | 0.5 | (基準値:成人1.0以下) | WBC | 5,800/μL |
HbA2 | 2.1 | (基準値:2~3.5) | RBC | 263 × 104/μL |
Isopropanol Test | 20min(±) | Hb | 9.4 g/dL | |
GLT50 | 16 | (基準値:22~55) | Hct | 26.7% |
HbH Inclusion Body | ― | PLT | 18.4 × 104/μL | |
Isoelectric Focusing(IEF) | ― | Ret | 10% | |
Band3 | 36.3 | (基準値:47.4~60.4) | MCV | 101.4 fL |
MCH | 35.7 pg | |||
MCHC | 35.2 g/dL | |||
RDW-CV | 17.7% |
患者には「症例報告を含む医学論文及び学会研究会発表における患者プライバシー保護に関する指針」を遵守することを口頭および書面で説明し,症例報告の同意は口頭ならびに文書にて得た.同意書および本文の内容は,適切に倫理的配慮がなされているか病院長と副院長より審査を受け,投稿の承認を得た.
中等症~重症のHSでは葉酸補充が推奨されている5).しかし,本邦におけるHSに対する葉酸補充の報告は少ない.本症例は葉酸欠乏誘発性の大球性貧血を呈し葉酸15 mg/日の補充を行った.葉酸欠乏に至った原因と葉酸補充後の血液学的変化について考察する.
HSは赤血球膜を構成する蛋白の異常により生じる先天性溶血性貧血である2).赤血球寿命が短縮しており,骨髄での赤血球産生が間に合わない場合は貧血となる.小型球状赤血球ゆえにMCVは小さくなると考えられるが,実際は網状赤血球の増加により互いに相殺されMCVはほぼ正常を示す3).本症例は大球性であったが,血色素異常症スクリーニング検査を行ったところ赤血球膜Band3検査にて低下,末梢血血液像にてmicrospherocyte様の赤血球を認め,HSと診断された(表4,図2).
葉酸は赤血球の成熟に必要な栄養素である.欠乏により巨赤芽球性貧血を引き起こす.表5に葉酸欠乏の原因を示す6).本症例は葉酸摂取不足もしくは2年前の骨折により葉酸欠乏をきたしたのではないかと考えた.葉酸の体内貯蔵量(2~5 mg)は一日の必要量に対してわずかである6).HSは溶血により葉酸の需要量が増加するため,本症例の食事中葉酸摂取量は需要量に対して足りていない可能性を考えた.成人は葉酸5 μg/日に制限されると約4カ月で巨赤芽球性貧血が出現する7).本症例は食事調査で偏食はなく推定平均必要量を満たしており,過量服薬直後でHb 10.4 g/dL,MCV 96.2 fLであったため体内葉酸貯蔵量が枯渇するほどの摂取不足ではなかったと考えられる.また骨折時も輸血で貧血の改善を認めたため造血能亢進による葉酸需要量の増大は考えにくい.溶血性貧血に巨赤芽球性貧血を合併する原因または誘因は摂取不良,感染,下痢,妊娠,薬物,アルコール等である7).本症例は過量服薬直後にRBC 291 × 104/μL,Hb 10.9 g/dL,MCV 96 fLであったが,入院時(過量服薬3日後)にRBC 228 × 104/μL,Hb 8.4 g/dL,MCV 103.1 fLとなった.HSによる慢性的な溶血が過量服薬で亢進し,葉酸欠乏が誘発され大球性貧血を合併した可能性があった.
摂取不足 |
需要増大 |
妊娠 |
小児 |
溶血,白血病 |
吸収不良 |
空腸疾患 |
短腸症候群 |
食物中葉酸に対する生物学的競合 |
細菌過多 |
薬物誘発性(メカニズムはしばしば不明) |
抗てんかん薬(フェニトイン,プリミドン,フェノバルビタール) |
経口避妊薬 |
アルコール |
※参考文献6)より抜粋
第13病日,葉酸15 mg/日で補充開始した.補充開始前(第9病日)のHb 9.8 g/dLであったが,補充32日目(第44病日)はHb 9.9 g/dLと改善を認めず,補充41日目(第53病日)に補充中止となった(図1).坪山らは妊娠により葉酸欠乏を呈したHS患者に葉酸15 mg/日で補充を行った8).この症例も葉酸補充前後でHb 10 g/dL程度から改善を認めていない8).一方森らは,葉酸とビタミンB12の両者欠乏により巨赤芽球性貧血を呈した19歳男性HS患者に葉酸30 mg/日で補充を2カ月間行いHb 5.9 g/dLから11 g/dL前後まで改善を認めたと報告している7).本症例は葉酸の補充不足によりHbが改善しなかったと考えたが,葉酸補充32日目(第44病日)に血清葉酸222 ng/mLと基準値以上となり,血清ホモシステイン7.3 nmol/Lと正常化したため否定的であった.森らの症例は網状赤血球2.5%であったが,本症例と坪山らの症例は網状赤血球10%と溶血が亢進していた.溶血により網状赤血球が著増している場合は,葉酸補充をしても貧血の改善を認めるまでの赤血球造血を促すのは難しい可能性がある.
第133病日にメニエール病を発症し,ビタミンB12 1500 μg/日が補充開始された.補充後MCVは経日的に減少し正球性貧血となった.ビタミンB12は神経伝達物質の合成に働くほか,葉酸代謝経路の活性によるDNA合成を行う9).葉酸代謝経路においてビタミンB12は,5-メチルテトラヒドロをテトラヒドロ葉酸に変換する過程でホモシステインをメチオニンに変換し,テトラヒドロ葉酸はDNA合成を促す10).従って葉酸やビタミンB12欠乏によりDNA合成が行われなければ赤血球の核成熟が未熟となり巨赤芽球性貧血を呈しMCV高値となる.本症例はビタミンB12補充前MCV 100 fL以上と高値であったのが,補充後に減少した.ビタミンB12の補充がMCVの減少に働いた可能性はある.
溶血性貧血に対する葉酸の適切な補充量は重症度によって議論の対象となっている11).また先述したようにBoltonらは中等症から重症のHSで葉酸補充を推奨するものの,具体的な用量は記述されていない5).本症例は中等症のHSと考えられた(表6)12).葉酸補充で貧血が改善すると予測したが,MCV高値,Hbも増加せず,網状赤血球数も高値のままであった.坪山らと森らの症例との比較から溶血が亢進している場合は,葉酸を補充してもHb増加は見込めない可能性がある.またビタミンB12補充後,本症例のMCVは減少したが,Hbは増加しなかったため,ビタミンB12の補充がHSの治療として意義があるとは言い難い.しかしビタミンB12補充後,メニエール病は寛解し,うつ症状も改善傾向であった.
項目 | 重症度 | |||
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形質 | 軽症 | 中等症 | 重症 | |
Hb(g/dL) | 正常 | 11–15 | 8.0–12 | 6.0–8.0 |
網状赤血球(%) | 正常 | 3–6 | >6 | >10 |
ビリルビン(mg/dL) | <1.0 | 1.0–2.0 | >2.0 | >3.0 |
※参考文献12)より一部抜粋・改変
本症例は葉酸補充により血清葉酸濃度が基準値になっても貧血の改善は認めなかった.HSに対する葉酸補充は溶血が亢進していれば貧血の改善を見込めない可能性がある.またHSに葉酸を補充する場合は血清葉酸濃度,血清ビタミンB12濃度,網状赤血球を測定する必要がある.
本論文に関する著者の利益相反なし
本稿作成にあたりご指導を賜りました山口県済生会山口総合病院 服部幸夫先生,山口大学大学院医学系研究科保健学専攻 山城安啓先生に深謝申し上げます.