関係性の教育学
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絵と言葉を組み合わせた表現活動が拓くこどものメタ言語意識
言語の身体性に着目した初等外国語の学習・発達に向けて
岩坂 泰子
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2024 年 23 巻 1 号 p. 129-142

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絵と言葉を組み合わせた表現活動が拓くこどものメタ言語意識 

−言語の身体性に着目した初等外国語の学習・発達に向けて−

岩坂 泰子(同志社女子大学)

  1.    問題提起と本研究における実践事例の設定背景

1.1 文部科学省が提案したメタ言語意識の概念はどこから援用されたのか

初等教育で外国語が教科となった今回の学習指導要領(2017年告示)が全面実施となってから4年が経とうとしている。日本では、日本語以外の言語と接触する状況は教室に作られた人工的な設定を除いては限定的であり、こどもにとって「原則英語」とされている「外国語」学習に対する必要性や切迫度は低い。文部科学省は今回の改訂に至る審議の中で、外国語教育の目標に「メタ言語意識」の向上を提案した(文部科学省, 2016)。その根拠として、以下のような考え方がある。すなわち、社会生活を営むために求められる英語の必要性は低くても、「メタ言語意識」つまり「個別の言語の特徴を相対的に捉えることによって、言葉とは何か、言葉が人々の生活の中でどのように働いているかなど、言葉そのものへの意識が呼び起こ」されること(p.14)が、自律的な外国語の学習者になるための資質、能力を養う、あるいは全てのこどもが言語に対する関心を高めるという点で重要であるというものである。

筆者の理解では、この度、国が日本の外国語教育の目標として「メタ言語意識」に注目するに至った背景には、以下の二つの流れがある。一つは、言語獲得のメカニズムを調査研究する認知科学的見地からの提案である。この領域を牽引してきた大津(2009)は、「ことばへの気づき」という概念を用いて、「メタ言語」能力の重要性を説く。そこでは、「ことばへの気づき」とは、「言語を意識化する能力」(大津, 2004, p. 67)すなわち、「産出や理解などの言語の運用の際の、通常、無意識に使われる内部言語の性質(構造と機能)に対する気づき」(大津, 2009, p.21-22)とされている。この能力は、個々の言語に共通する基盤に「ついて」、言語そのものの普遍性を「メタ」的に意識することを指している。そのために大津は、外国語学習を外国語のみで行うのではなく、直感が利く学習者の母語を外国語と比較することが重要かつ有効であると主張する。

もう一つは、1970年代のイギリスに移民が急増したことによって「国語」にあたる英語教育が十分な成果をあげていないという問題意識から、のちに欧州に広がりを見せた「言語意識」に着目した教育運動の流れである。イギリスの言語意識教育に詳しい福田(2007)は、1980年代には言語意識学会(Association for Language Awareness: ALA)が立ち上がり、2000年代以降、この概念は欧州の言語政策の支柱となる複言語複文化主義1に基づく外国語教育を実現するための拠り所として受け継がれ、発展してきたと報告している。ALAでは、言語意識を「言語についての(about language)明示的知識 と、言語学習、言語教授、言語使用における意識的な理解(conscious perception)と感受性 (sensitivity)」(福田訳, 2007, p.103)と定義している。具体的な指導(学習)方法として欧州各国で推奨されてきたのは、「言語への目覚め活動」(大山, 2016)に代表される、複数の言語を同時に提示し、それらを分析的に比較・観察することを通して得られる言語についての気づきを省察する活動である。

2017年告示の学習指導要領で掲げられた「メタ言語意識」への注目は、こうした国内外の動向を取り入れたものであろう。例えば、初等外国語の教科書では、「読む」「書く」という領域の中で文構造を扱う活動として、英語、日本語、中国語、韓国語といった日本国内で触れる可能性が高い複数の言語が提示され、それらを比較・観察し、言語の普遍性への理解を促す活動などが提案されている。このように、日本の学校教育における外国語教育でも、主体的に言語についての気づきを意識化する認知活動が提案されるようになったことは評価に値する。しかしながら、筆者は、文科省の記述には現れていない「感受性」が言語教育において極めて重要であることを指摘したい。次項でその理由を論じる。

1.2 見過ごされてきた感受性とメタ言語意識

筆者は、上述の言語意識の概念について、上述のALAの会長Svalberg (2007)が指摘する「感情の関与(affective engagement;筆者訳)」の重要性に着目している。Svalbergによる関連領域の概念整理によると、学習者が言語意識を高め、言語学習の効果をあげるために重要なのは、言語の仕組みに関する認知的あるいは意識的理解とともに、そうしようとする動機を発動させる感情であることが指摘されている。認知活動に対する感情のガイド的役割については、Damasio (1999)やBarrett (2018)といった脳科学あるいは神経生物学者たちからも同様の報告がなされている。また、生涯を通じて人間の心的発達における感情の役割を探求したVygotsky (1994)によれば、発達は、子どもが環境に対して持つ複雑な感情2を、感情的かつ認知的に制することを学習する過程の中で起こる、とされている。

それでは、「感情の関与」すなわち、感情が動くことと感受性とはどのような関係にあるのだろうか。感受性とは、「外界の印象を受け入れる能力、感性」(広辞苑 第七版)とされているが、上述した知性と感情の連関の議論を総合すると、感受性と感情の関係及び(メタ)3言語意識は図のように整理される。

図が示す通り、身体の一部である感覚器官は、具体的な体験を通して感情を媒介するセンサーである。身体を通して生まれた感情は、知性による認知活動に動機づけとして作用し、その認知活動が動機づけとなって感情に作用する。

このような感情と知性の連関が心的発達を促す。先述したヴィゴツキーの「感情的体験」は、この一連の動態と呼応する。言語意識は、認知面においては、言語についての明示的知識や言語使用に関する意識的理解を指すが、知性を動かすためには感情が動かなければならない。そして、この連関のプロセスを生み出すためには身体の感覚器官を通して豊かな感情が生じる生々しい体験が必要なのである。

文科省の「メタ言語意識」の記述をALAの定義に照らしてみると、個別の言語に特化せず、一般的に言語あるいは言葉そのものへの知性が呼び起こされる、すなわち言語「について」の「意識的な気づき(conscious awareness)」や「理解(perception)」という点は共通しているが、意識化が起こるために極めて重要な「感受性(sensitivity)」についての指摘が欠落していることがわかる。例えば、ヘレン・ケラーが恩師との信頼関係の中で、冷たい水に触れながらwaterという言葉を教わった時、初めてその語の実感を伴った意味を理解したように、言語の学習がこどもの知性による認知活動を促すためには、母語であれ、外国語であれ、身体感覚が生じる言語体験を通して感情が動き、一つの言葉にこども自身が内実のある意味を見出せる体験をさせられるかどうかが鍵になる。思考停止状態での言語知識の刷り込みと無感覚な暗唱訓練をいくら積み重ねても、言語についての本質的な疑問や関心を意識的に理解しようとする感情を生む感受性は喚起されないだろう。

1.3 感受性を豊かにする「記号接地」の視点

そこで筆者が注目したのは、心象イメージ、すなわち言葉が生まれる、あるいは言葉になる「前」の身体感覚に根差した萌芽的な言語表現である。ヒントとなったのは、認知・発達心理学者である今井ら(2023)の「記号接地」という視点による言語習得研究である。認知科学の世界では、言葉(記号)に感覚が結びつく(接地する)ことを「記号接地」(Harnad, 1990)と呼ぶが、今井らは、近著『言語の本質』(2023)の中で、言葉の意味を真に理解するためには、現実世界から受け取る情報について身体的な感覚を持つ必要があると主張する。今井らが着目したのはオノマトペである。オノマトペは従来、言葉になる前の未熟なあるいは幼稚な言葉であるとして言語学の中では周辺的なテーマと捉えられてきた。しかし、かれらは、世界の言語に含まれる音と意味のつながりには言語の普遍的、本質的な特徴があることを見出し、オノマトペという特殊な言葉が人間の言語発達に果たす役割を論じている。

上述したように、筆者の関心は、母語を含め、発達の途上にあるこどもの言葉が生まれる「前」の身体感覚をどのように解放(あるいは外化)させることができるかである。なぜなら、そのことによって生まれる省察がやがてはこどものメタ言語意識の目覚めにつながると考えるからである。本研究では、外国語教育におけるメタ言語意識の向上に資する絵と言葉を組み合わせた表現活動の有効性を検討する。

  1. 2.   言葉の発生と発達に関する理論

2.1言語の身体性とヒトの感覚に見られる普遍的特質 

人間は言語に関わらず、ある音に対して共通したイメージあるいは感覚を持つ(音象徴)ことが知られている。この法則によると、例えば母音「あ」は「い」よりも大きく、開放的なイメージを与え、子音のp, t, k, s, b, d, g, zなどの阻害音は角張っていて硬い響き、それに対してm, n, y, r, wなどの共鳴音には丸っこく柔らかいイメージを与える。人類は、この音象徴を利用してオノマトペを作り出し、言語を進化させてきた。今井らは、多くの人に共通した感覚イメージを写しとるオノマトペが、言語の身体性をよく反映しており、言葉を持たない赤ちゃんでも同様の感覚を持つことができることから「『単語に意味がある』という『名づけの洞察』」(p.108)を誘発するという。さらに、言葉に宿る身体性は、人間の感情や感覚をより直接的に訴えることによって、他者との情動的なつながりをより強固なものとし、共感的な関係性の構築に貢献する。このことは例えば、運動・スポーツ領域で使用される擬音語や擬態語を指す「スポーツオノマトペ」の研究が参考になるだろう。吉川(2013)は、スポーツオノマトペは、通常の言葉では説明しにくい微妙な感覚印象やイメージを端的に言い表すことを可能にすることから、指導者がアスリートに運動学習に関する「コツ」の獲得や「感覚」的な理解を深めることを可能にすることを立証した。言葉(記号)が身体的感覚と結びつくことが言葉の意味感覚をより深く理解させるという好事例であろう。

2.2言語発生、発達を促進(媒介)する装置としての「絵」と言葉の組み合わせ

本研究における活動が効果をもたらす根拠として挙げられるのが、多感覚を利用する効果である。言葉による表現が途上にあるこどもの学習・発達を支援するためには、多角的・多面的に外化された「資料」は多い方が良い。そのために効果的であるのが、例えば、クレス(2018)のマルチモダリティ理論や、やまだ(2018)のビジュアル・ナラティブ(VN)理論である。マルチモダリティ理論では、異なる表現媒体を組み合わせることで人はより複雑で深い表現力を発揮すると考える。また、言葉と視覚が連動して働く、すなわち「視覚イメージによって語ること、あるいは視覚イメージとことばによって語る」(同書, p.2)VN理論では、抽象的な記号・言葉がわかりやすい具体的なイメージを呼び起こすことによって「経験とむすびついた多様な生きたイメージとなり、新たなもの語りを生みやすくなる」(同書, p.3)という。こうした理論は、導入期の外国語学習においても、つまずきやすいアルファベット文字(綴り)と音の関係を指導する際に用いられるフォニックスの指導法などでも活かされている。例えば、加藤ほか(2020)によれば、視覚的な絵を使って文字の形や音に関するお話を身体で表現するといった多感覚的なフォニックスの指導方法は、学習者の記憶に残りやすく、結果として学習者の音韻認識を向上させるという知見を提示している。

2.3言語発達における「二人称的」(社会文化論的)見方 

 第二言語獲得(SLA)研究は、元々母語獲得理論の応用から始まる。母語も第二言語(外国語)いずれも、言語学習・習得は従来、個人の脳の中で起こる言語認知体系の変化と捉えられてきた。この認知的視点による個に閉じられた学習理論へのアンチテーゼとして、1990年代後半より提示されてきたのが社会文化的な視点による発達理論である。社会文化理論(Lantolf, 2000ほか)による言語学習・発達観は、ヴィゴツキーの発達思想を源流とし、学習活動を個の単位ではなく、その場を構成する人、モノを含むすべての環境要因との関係において捉えようとする。中でもこどもが独力で解決できる「現在の発達水準」と、大人やより能力の高い仲間の助けを借りて解決することのできる「潜在的な発達水準」の差と説明される「発達の最近接領域(ZPD)」(ヴィゴツキー, 2001)は、こどもの心的発達のメカニズムを説明する重要な概念である。教育現場で考えると、こども(学習者)の学習・発達が発生する(促進される)か否かは、学習環境をデザインする立場にある教師のこどもとの関係の築き方、関わり方が鍵となる。

 学習者と指導者の関係性のありようについて参考になるのが、佐伯(2017)の「二人称的かかわり」である。佐伯は、従来の発達心理学の研究が、「科学的」の名の下、研究対象者であるこどもとは直接の関係を持たない「傍観者」として「三人称的かかわり」をしてきた、と指摘する。佐伯によれば、学習・発達は、こどもと関係を持つ者が積極的にかかわろうとする「二人称的」すなわち「共感的なかかわり」なくしては起こり得ないと主張する。ここでいう「共感」とは、「自分自身を『からっぽ』にして、そっくり丸ごと、相手のなかに入ってしまうこと」「相手が見ているモノ・コトを、相手の立場と視点から見」る(同書, p.44)ことである。これに関連して、長年、乳児の言葉の発生を研究してきたやまだ(2010)は、主体(こども)が外界(他者を含む環境)と闘い、外界のものを個人の内に「取り込むこと(=獲得)」を発達とみなす西洋的、二項対立的な言語獲得観を退け、教えるものと教わるものがともに共鳴し、共感し、響き合う「並ぶ」関係の間からおのずと言葉は生まれると主張する。

本研究では特に、絵と言葉の組み合わせに着目した。他者との間に言葉が発生するためには、「記号接地」が不可欠であり、さらに他者との「並んだ」関係性が必要であるとする「二人称的」(社会文化論的)枠組みから、言葉とは異なる規則をもつ絵に着目し、これらを組み合わせた表現活動の考察を通して、メタ言語意識の育成が目指される外国語教育における示唆を導きたい。本稿では、二つの実践事例を検討する。一つ目は、先行事例として、藤井ら(2022)による実践データを本研究の枠組みによって新たに検討するもの、もう一つは、先の実践を元に本研究の枠組みで実施した新しい実践事例である。

  1. 3.   実践事例の検討

3.1 アルファベット文字の形と音から得られた感覚を絵に描く活動

  •    対象校と対象者:公立A小学校3年生 28名
  •    実践時期:2018年12月18日(火)全2時間
  •    活動デザインの背景と授業の展開:

この実践は、現行の指導要領改訂が告示され、中学年での外国語活動全面実施への移行期間に行われた。3年生はこの授業までに12時間の外国語活動を実施済み、その中で本実践に関連する内容はアルファベットの大文字の名前読み(例【A】=【ei】)は行っていたが、音読み(例【A】=【æ】)はこの授業で筆者の発音で初めて聞いた。なお、文字は国語のローマ字学習の時間に簡単に触れた程度である。

活動はまず、筆者がアルファベットの大文字を見せ、文字の名前をこどもと一緒に確認した後、それぞれの音を紹介した。その後、こどもは自分の好きな文字を一つ選び、選んだ文字の形と音から受けたイメージを画用紙に絵の具を使って表現した。作品制作中は、筆者を含め授業デザインに関わった指導者らは机間巡視を行った。最後に、こどもは自分の作品に題目をつけ、有志による発表が行われた。

  •    作品に見られるアルファベット文字の身体性

 a児が選んだ文字はT、b児はK、c児はL、そしてd児はYからインスピレーションを得て描いた作品である。音象徴的に言えば、TやKは阻害音からくる角ばっていて硬いイメージ、またLやYは共鳴音の柔らかいイメージであるが、こどもが感じた心象は必ずしもこの法則通りではないようだ。例えば、a児のTはゴツゴツした硬さよりも軽やかに跳ねるイメージを表現しているし、b児の作品は、硬いイメージというよりむしろ優しく柔らかなイメージである。こうしたイメージの齟齬については、後述の考察の部分で議論する。ここでは、普遍性を示す点として、a児のTとb児のKには、どちらも有声音が持つ長い音ではなく、無声音の短く鋭い、跳ねる感覚がみて取れることを強調しておきたい。全体として、a児の山吹色とカラフルな色調やb児の筆の払いや小さな点の集合体を通して、作者が感じている躍動感や幸福感といった複雑な感覚が伝わってくる。

音から感じたイメージを全体的に捉えて表現したa児とb児に比べると、c児とd児の作品は音よりも文字の形からの印象(見立て)が強い。しかし、見立てから出発したc児は最初、鉄砲の持ち手が重厚な黒い色調だったが、筆者が通りかかり、Lの音をc児と共に確認することにより、鉄砲から音符が飛び出し、色調も緑に変化したことから、音がc児の文字のイメージに影響を与えたことがわかる。また、d児の作品は、本人の意識の中でYの音の影響がどれほどあったかは定かではないが、全体としては確かに柔らかなイメージでまとまっている。これらの絵の題目から見取れることは、こどもらはこの活動を楽しみながら、文字の音と形から得た自分自身の多様な感覚(身体性)を調整し、一つの全体として外化しようとしているということである。

3.2好きな動物と動物が出す音を絵に描く活動

  •    対象校と対象者:公立B小学校1年生(2クラス) 全60名
  •    実践時期:2023年10月28日(土)全2時間
  •    活動デザインの背景と授業の展開:

現行の学習指導要領が提示されてからは、外国語活動が始まる3年生を待たず、外国語活動の時間を設けている学校も多い。この学校でも1年生から、自治体事業で計画されたモジュール授業(1回15分x週3回)を実施している。既習事項は、アルファベットの歌、アルファベット文字と音、あいさつ、日常場面の簡単な基本表現などである。ただし、本活動は図画工作科の授業として行なった。

活動はまず、多色の色鉛筆の腹を使って背景を塗り、その上にこどもたちがあらかじめ決めておいた動物の写真を元に色鉛筆での下地にクレヨンで絵を描く。絵が完成したら動物が出す音を文字で表現して書く。授業はゲスト指導者(フランス語母語話者の画家)が英語で活動の手順とポイントを説明し、日本人アシスタントが適宜日本語で補足説明を行った。さらに指導者は、動物が出す音を、一般的な鳴き声(例えば、犬はワンワン、ネコはニャーニャーなど)ではなく、自分が描いた動物の様子をよく観察し、想像的かつ創造的に表現するよう例を示しながら伝えた。作品制作中は、筆者を含めスタッフと見学者がこどもと対話しながらプロセスを見取り、必要に応じて支援を行った。最後に全ての作品を貼り出し、有志によって作品の意図や気づきが共有された。

  •    作品に見られる言語の身体性

三匹のワニを描いたe児は、見学の院生に、真ん中に描いた小さいワニには虫歯があって噛めないため音が異なると力説したという。上と下のワニにはどちらも立派な歯があり、大きい音をイメージさせる濁音(「ガチ(ン)」)だが、オレンジワニは弱そうな「かチ」という清音である。e児によるとひらがな「か」とカタカナ「チ」を意図的に混在させているということであったが、この児童はひらがな表記を通して、脆弱な感覚を表現しようとしたのかもしれない。

f児は、羽根を目一杯広げたクジャクが「うわ うわ」と雄叫びを上げている。「しゃしゃっ」はおそらく羽根を広げる瞬間の音と思われる。口をつぼめた「う」から口を大きく開ける「わ」は羽根を一気に広げた時の感動的なインパクトを表現した独自の表現である。

犬を描いたg児は、タブレットで犬の鳴き声を検索していた。そこで出てきたアルファベット表記のBow wowの文字を犬の周りに鳴き声のようにデザインしている。歯を剥き出した表情や動きのある脚から活発な様子が出ているが、そこに鳴き声を意味する文字表記の中で、角ばったwの形が顔の周りに最も多く描かれていることでこの犬の騒々しさが一層引き立てられている。

h児が描いたのはヤギである。h児がヤギを描いた理由は「見たことがないから」だそうで、周りの文字はこのヤギが何かを食べている時の音(「アム アムアエー、テーポ、ツポリ、ポリ」)だという。絵をよく見るとヤギの一方の頬が膨らんでいるのがわかる。書かれた文字の音は検索した情報ではなく、自分で想像した音らしい。h児のヤギが食べる音は、h児が発声した音を支援員が聞き取ってカタカナで表記したメモ書きを写したものである。

  1. 4.   言語発生に至るプロセスの考察と教育的示唆

 ここでは、上述した2つの事例で起こったことを、2章で示した理論的枠組みに沿って考察するとともに、そこから得られる教育的示唆を整理したい。

4.1言語の身体性とヒトの感覚に見られる普遍的特質に着目する視点から

今井らの研究が示す通り、音象徴には言語に関わらず普遍性があることがわかっている。事例1の結果からも、紹介したこどもの母語はいずれも日本語であるが、TやKには「はじける」ような、短く小さいイメージ、LやYには優しく柔らかなイメージがそれぞれの絵に表出していることから、音という聴覚からのイメージに一定の共通した感覚があることがわかる。またf児の「う」から「あ」へと移行する音は、畳んだ羽根の静寂なイメージから、羽根を広げた時の大きく優雅なイメージを的確に表現しており、普遍的な音感覚として共有され得るだろう。

ここで、a児のTやb児のKについて、いずれも今井らが示した阻害音が放つ「角張っていて硬い響き」とは少し異なるイメージが感じられる理由について議論を深めたい。a児のTやb 児のKの音の感覚には共通性が認められるが、双方の題目『はじけるゆめをみる』や『花畑』からは角ばった硬いイメージというよりむしろ軽やかで柔らかなイメージが感じられる。この語に含蓄されるイメージの齟齬について筆者は、ヴィゴツキー(1978)の語の意味に関する議論を想起する。ヴィゴツキーは辞書的な語の意味(meaning)と個人的な体験から感じる語の感覚(sense)を区別している。例えば、「犬」という語の辞書的な意味は、人が飼い慣らした哺乳動物で多くの種類がある、といった定義だが、その感覚は、それぞれの人の体験(例えば、犬を家族として飼っている人と動物嫌いで犬に噛まれた経験がある人など)によって全く異なる。犬が家族の一員と思う人にとって「犬」という語の感覚は「愛」であり「癒し」であるかもしれないが、犬嫌いの人にとっては「恐怖」であり「嫌悪感」でしかないかもしれない。事例1では、こどもが選んだ文字は自分や兄弟姉妹の名前に含まれる文字が多かった。たかが一つの文字であるが、それぞれが選んだ文字に対する感覚には、それぞれのこどもの生活体験から造られた個人的な感覚やイメージが埋め込まれていると考えられるのではないだろうか。このことから、音の粒は語よりも小さいが、文字レベルの音からも語と同様、個人的な感覚の違いが表出するのではないかと推察される。a児が感じたTの感覚とb児が感じたKの感覚は無声音が持つ一定の共通項を有しながらも、双方の題目から感じさせる阻害音のイメージから遠い印象は、個別の体験から生じるそれぞれの文字への愛着からくるのかもしれない。

4.2言語発生、発達を促進(媒介)する装置として「絵」と言葉を組み合わせる視点から

音象徴をめぐる議論は、文字や言語の音のみに注目する。しかし、文字をもつ言語の場合、音とは別に、あるいは音と相まって、人は文字の形から視覚的な感覚を得る。日本語にはひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット、数字などのハイブリッドな文字の種類があり、文字表記の違いによって異なる印象を伝える。例えば、同じ音を持つ言葉でも、ひらがなはカタカナ表記よりも柔和なイメージを与える。事例2のe児は作品の中で、ひらがな「か」が、カタカナ「ガ」より弱々しく脆い感覚であることを意識的に表現しようとしている。g児の作品では、犬の鳴き声は、wの音よりもゴツゴツ尖った形の視覚イメージとその文字が犬の周囲に配置された様によってその騒がしさがより効果的に表現されている。これは、異なる媒体(モード)を組み合わせることで作者の意図がより深く表現されるとするマルチモダリティ理論の法則をよく表している。こどもたちはまさに「ビジュアル」によって「語っている」(やまだ, 2018)のである。このことから示唆されるのは、アルファベット文字と出会う導入期の外国語活動の指導においては、文字には音と形があること、そしてこどもは音とともに形からも普遍的あるいは個人的なイメージを受け取っているということに十分配慮すべきであるということである。c児の絵の変容からわかるように、音と形のイメージは必ずしも一致しないかもしれないため、こどもの内面では混乱が生じているかもしれないし、意識化さえできていないのかもしれない。言葉や文字の身体性を絵にする活動は、そうしたこどもの未だ言葉にならない心象(イメージ)を外化させ、情報として視覚化する。

重要なポイントは、この活動では教師が「正解」を持っていないことである。作品に求められているのはこども一人一人の感覚を絵に表現することであり、個々の生活背景によって表わすイメージは違って良い。外国語の文字学習では、文字の形と音を繰り返し反復させ、4線の正しい位置に「書き写す」活動が待っている。また、語の意味や文単位の表現においても、辞書の定義や教科書に示された用法が「正解」とされる活動に終始している。言葉の身体性に着目しつつ、「正解」を求めることなく絵にする活動は、やがてはこども自身が主体となって言葉への関心を深め、メタ言語意識の目覚めにつながるのではないだろうか。

4.3言語発達における「二人称的」(社会文化論的)視点から

 最後の視点は、こうした活動の効果を活かす鍵を握るこどもと指導者の関係性のありようである。先述の通り、言語の身体性を絵にする活動が効果を発揮する理由は、教師とこどもの関係性を通常の「教える」−「教えられる」関係から解放させる点にある。教師はこの活動の中では、知識を与える「教える」人という存在から、インフォーマントとしてのこどもから「教わる」関係に逆転する。こうしたフラットな関係性、すなわち、やまだのいう「並んだ」関係が、言語教育では常に「答え」を知っている教師の優越性を無効にし、こどもが見ている世界を、こどもの立場・視点から「二人称的」(佐伯, 2017)にかかわる場面を造り出す。それによって、こどもの「ナラティブ(語り)」(やまだ, 2019b)が発生するのである。

言葉による「ナラティブ(語り)」は個人の「経験を編集」(同書, p.5)する。やまだは、言葉と視覚イメージが連動するVNは、人と人が向き合う二項対立的関係から、人と人が並んで共に同じものを見る共存的な三項関係へと関係の質を変革する(同書, p.6)と主張する。教師がこどもと「並んだ」関係で目の前のVNを成立させようとする時、こどもはようやく権威の抑圧から脱することができる。「『私』とは、認知と情動が一体となった複合体」(やまだ, 2019b, p.8)という捉え方はヴィゴツキーの思想にも通じるものである。こどもの心が解放され、自分で見聞きした体験を共感してくれる他者に見せたい、伝えたいという情動が発動する時、他者とのあいだに新しい言葉が発生するのである。h児が「見たことのない」動物が食する音の表記は、まさにh児とh児の脳裏に浮かぶ音の感覚に共鳴し、共有しようと粘り強く「並んで」聞き取った支援員との協働の成果であろう。その結果、「見たことのない」ヤギの、複雑で未知なる音の世界は、他者の寄り添いを通して世に出ることを可能にした。「アム アムアエー、テーポ、ツポリ、ポリ」は、興味深い独自の感覚的表現である。

  1. 5.   まとめにかえて

本研究は、メタ言語意識の向上を目指すためには、感受性を刺激する豊かな体験が重要であることから、身体性に着目した言語活動を試案した。最後に、本研究で行った事例の考察から外国語教育における教育的示唆をまとめてみよう。

  •    原則英語とされる日本の学校における外国語教育では、英語の言語規則や基本表現を「定着」させることが目標とされている。しかし、言語教育の目的を人間の心的発達とするならば、メタ言語意識の向上による自律的な学習が目指されるべきである。そのためには文構造や語のみならず、文字レベルにおいても個人的な感覚あるいは身体性を意識した体験的な活動が求められよう。
  •    こどもの言語知識や技術が限られている初等外国語の活動では、視覚イメージや非言語を利用することが推奨されている。これらは言語による表現を「補完」するのではない。絵は、言語の音と形からのイメージを同時に一つの全体として表現する、言葉と「ともに」作者の意図をより深く表現し得る複合媒体である。文字の形や音からの異なる感覚を調整することがメタ言語意識の向上につながる。
  •    学校教育において、「正解」がない活動は特に重要である。常に「正解」を握る教師がその優越性を無効化し、聞き役となる「二人称的」なかかわりによって、こどもの情動が解放され、こどもの「ナラティブ(語り)」が共感的に聞かれる中で、言葉は生まれる。言い換えれば、言葉に「ついての」関心は教師とこどもの「並んだ」関係からしか生まれない。

以上のように、本研究の絵と言葉を組み合わせた実践は学習初期の外国語教育に重要な示唆を与えてくれた。「内実のある意味」(やまだ, 2019a, p.5)は、言語の身体性(感覚)に十分に浸りながら感じ取るところに生まれる。時として意味は即座には言葉では表現できない。そのため外国語の活動は表面的で単純なルーティーンになりがちである。しかしながら、本研究の事例から見えたのは、外国語の知識量の少ない幼年期のこどもであっても、言葉にならない個人的な感覚は、視覚イメージと組み合わされることで伝達され得るメッセージとなることである。一方で、我々は、全てのこどもが心象のイメージを絵で表現することを得意とするわけではないことを認識しておく必要がある。例えば、アファンタジアと呼ばれる特質を持つ人は、脳内に物事の心的イメージを持つことが困難と言われる。この特質はまだ研究途中でわからない部分も多く、当事者でさえ認識できていないことが多い。本研究では、2つの事例の考察にとどまったが、今後は音楽などの聴覚イメージやその他の領域との組み合わせ活動がメタ言語意識の向上とどのような関連があるのかについて探究し、新たな報告の機会を持ちたい。

謝辞

本研究は、科学研究費助成事業、基礎研究(C)課題番号 19K00760の助成を受けている。なお、両事例校には研究目的のデータ公表について許可を得ている。ご協力に感謝したい。

引用文献

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Footnotes

欧州評議会が打ち出した『ヨーロッパ言語共通参照枠』(Common European Framework of Reference for Languages: CEFR, 2001)は、複言語能力を、特定の社会の中で異種の言語が共存している多言語主義とは一線を画し、個人がバラバラに持っている複数の言語文化的レパートリー全てを包括する一つの能力であるとしている。

ヴィゴツキー(1994)はこのことを感情的体験(emotional experience=ペレジバーニエ)と呼び、子どもは「特定の出来事を意識し(become aware of), 意味づけ(interprets), 感情的に関連づける(emotionally relates)」(p.341)ことを通して心的発達を遂げると主張した。

「メタ」の語義は、俯瞰的、あるいは超越したという意味である。大津の「ことばへの気づき」も、ALAの言語意識も、個別の言語に特化した規則等ではなく、ことばそのものの相違点を俯瞰的に意識化することが強調されていることから、「メタ」が指す意味は「言語意識」の用語に含まれているものとする。

 
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