関係性の教育学
Online ISSN : 2436-780X
Print ISSN : 1349-0206
イギリスのフォルケホイスコーレと社会正義のキャリア支援
Fircroft Collegeの事例をもとに
森田 佐知子
著者情報
ジャーナル オープンアクセス HTML

2024 年 23 巻 1 号 p. 113-128

詳細

 

イギリスのフォルケホイスコーレと社会正義のキャリア支援

―Fircroft Collegeの事例をもとに―

森田 佐知子(宇都宮大学)

1.研究の背景と目的

デンマークで発祥したフォルケホイスコーレ(デンマーク語ではFolkehøjskole、英語ではFolk High School、以下「FHS」と略す1)が近年注目を集めている。FHSは、デンマークで聖職者、教育思想家、政治家などとして活躍したグルントヴィ(N.F.S. Grundtvig、1783年~1872年)が構想し、その思想に影響を受けた人々によって設立された寄宿制の成人教育機関である。FHSは最初に設立された1844年頃2から約180年にも及ぶ長い歴史を持ち、一般的には、100名前後の生徒と10~20名程度の教師が小さなコミュニティを形成して寝食を共にしながら学び合うという特徴を持っている。FHSは、一定期間そこに滞在することでデンマークを中心とする北欧の歴史や文化、言語、教育制度等を学ぶことができる手段の1つとして、そして自分自身のキャリアを見つめなおす時間を持つことができる場所の1つとして、日本では特に若い人々の間で再注目されている。

森田(2023)は先行研究を引用しつつ、FHSの特徴を、ラテン語など「死んだ言葉」を習うのではなく自国の歴史・文化を「生きた言葉」で語り合う学校を目指したこと、そして共同生活の経験を通じて学校全体が一つの家族のように機能し当時の典型的な農家の構造を再現していたこと、と述べている。中でも1つ目の特徴、つまり「生きた相互作用による教育」は、FHSに大きな影響を与えたグルントヴィの最も中心的な教育概念で、教師と生徒及び生徒同士の相互作用の中で自分自身を表現することだとされている(Balle, 2014)。

グルントヴィのこの「生きた相互作用による教育」という教育思想が、イギリスのケンブリッジ大学トリニティカレッジでの経験から大きな影響を受けたことは多くの文献3で指摘されている。中でもAlbeck(1983)は「古い英国の大学で、彼は全寮制の利点、つまり学生間及び学生と教師の間の日常的な共生という考え方に出会った」と述べ、「生きた相互作用による教育」が全寮制のもたらす利点であることを指摘している。また清水(1996)はケンブリッジ大学でグルントヴィがみたカレッジ形式はグルントヴィの相互作用の考えを具体的にしたものであり、それは「将来官僚となり、国をつかさどる人々が階級的な上下関係をたよりにせず、また民衆もデモクラシーを下から支え、形骸化しないよう働きあう生きた人倫共同体」における学校モデルであると述べている。このように、森田(2023)が指摘した「生きた相互作用による教育」と「全寮制(カレッジもしくはコミュニティ形式)であること」というFHSの2つの特徴は、相互に関連し合い、グルントヴィの教育思想の両輪をなすものであったと考えられる。

さてFHSはその後、1864年にノルウェー、1868年にスウェーデン、1898年にフィンランドと北欧諸国を中心に世界中に広がっていったが、このFHSの普及に関して清水(1996)は、「北欧以外の国々においては、各国にすでに例があったさまざまな成人教育の伝統とくっつけて導入された」と指摘し、北欧以外の国々ではFHSがデンマークとは異なる形の成人教育機関となっていったことを示唆している。しかし清水(1996)は一方で、「イギリスのバーミンガムにある『フィアクロフト・カレッジ』 は、デンマークのフォルケホイスコーレに忠実な形式をとった」と述べている。このFircroft CollegeはFHS協会のパンフレットにも記載されており、そこでは以下のように紹介されている。

  Fircroftは、1909年にデンマークのFHSに直接的な影響を受けて設立された。地元の起業家でチョコレート工場のオーナーであったクエーカー教徒のキャドバリー氏(George Cadbury Junior:1878-1954)が創立資金を提供したため、学校は宗教的基盤の上に機能し、地元のチョコレート工場から多くの労働者を集めることに成功した。当時のデンマークのFHSは都市部からデンマーク人労働者を集めることに大変苦労していたため、多くの教師や校長がその経験から学びたいと考えFircroftを訪問した。(p.24)

上記の通り、イギリスのFircroft Collegeは、北欧以外の国のFHSであるにも関わらずデンマークのFHSに忠実な形式で設立されており、かつ、デンマークが農業国から工業国へと変容していく中で、デンマークのFHSの教育内容や方向性に大きな影響を与えた可能性がある。

国内の先行研究においてもFircroft Collegeに関する記述はいくつかみられる。例えばフォート(1924)ではFircroft Collegeは「英国最初の國民高等學校である」と紹介されており、イギリス全土から来た工場労働者、教師、園丁、農夫、炭夫、機械職工、商店員などが競って一定の期間を過ごしたとされている。また小島(1928)はFircroft Collegeの初代校長であるTom Bryan(1865-1917)について詳しく説明しており、彼が労働者階級出身で、ブラウニング・ホール・セツルメント4での生活とFHS見学から影響を受けたこと、そして彼の人格が深く学生を感化したことを指摘している。少し後の時代の諸岡(1967)は英国のレジデンシャルカレッジに関する記述の中でFircroft Collegeについても言及し、Fircroft CollegeがデンマークのFHSに倣って、学生が市民そして個人としてより向上・充実して社会に貢献できる労働者となることをねらって設置されたと指摘している。また当時の入学試験や個人チュートリアル、もしくはグループ・チュートリアルについても言及している。しかし、Fircroft Collegeがグルントヴィの教育思想の根幹であった「生きた相互作用による教育」と「全寮制(カレッジ形式もしくはコミュニティ形式)であること」をどのように継承してきたのか、また近年のFircroft Collegeはどのような人々を対象にどのような教育を行っているのか、さらには近年若い人々の間で注目されているキャリア形成の観点からFircroft Collegeを分析した文献は管見の限り見当たらない。

地理的・文化的・言語的に部分的な類似性を持つ北欧諸国とは異なるイギリスという地域でグルントヴィとFHSの思想がどのように普及し変容していったのかを研究することは、FHS 研究に新しい視座をもたらし得る。また上記のような類似性を超えて継承された相互作用による学びやキャリア支援の本質を解明することは、日本における青年期の人々への教育やキャリア支援のあり方にも有益な示唆を与えることができるのではないだろうか。そこで本研究では、近年のFircroft Collegeではどのような人々を対象にどのような教育が行われているのか、また「生きた相互作用による教育」と「全寮制」という要素はFircroftで学ぶ人々のキャリア形成にどのような影響をどのように与えているのか、という2点を明らかにすることを目的とした。

2.研究の方法

 本研究では、上記の研究目的を達成するために2つの調査を実施した。

 1つ目は国内外の文献及び一次資料の調査である。文献及び一次資料の調査として、オンラインによる調査と現地での調査を行った。まず2023年3月~5月にオンラインで閲覧できる国内外の文献および一次資料の調査を実施した。ここではFHSやFircroft College、イギリスの成人教育に関する先行研究や一般の書籍・記事に加え、Tom BryanとGeorge Cadbury Juniorの共著(Cadbury & Bryan, 1908)、Tom Bryanと親交があったHolger Christian Begtrup5(1859-1937)の回想録(Begtrup, 2020)、そしてFHSに関する雑誌(HøjskolebladetやFra Vallekilde Folkehøjskole等)についても調査を行った。次に2023年5月23日~25日に、バーミンガム図書館のWolfson Centre for archival researchに保存されているFircroft College関連の史資料の調査を実施した。調査に先立ってアーキビストの方から提供いただいた史資料の一覧の中で、デンマークのFHSとの関係が記されていると考えられる文書や教育カリキュラム、チュートリアル、そして毎年発行される学校誌(The Old Fircrofter)を優先的に調査した。

2つ目はFircroft Collegeの校長へのインタビュー調査と学校の観察調査で、2023年5月23日に実施した。ここではFircroft CollegeのMelanie Lenehan氏(Principal 兼 CEO)に事前に連絡を取り、本研究の主旨と調査内容、質問項目をメールにて送付した。当日は以下の6つの質問を中心に、派生的な質問も行った。

  •    現在のFircroft Collegeの長期コースと短期コースのカリキュラム詳細
  •    長期コースと短期コースにおける教師と学生、学生同士の相互交流
  •    学生へのキャリア支援の詳細
  •    全寮制であることが学生たちのキャリア開発に与える影響
  •    デンマークのFHSとの類似点と相違点
  •    各コースの今後の課題

インタビュー当日は、会話の内容を録音すること、インタビューの内容を分析した結果を報告書や学会発表、論文、書籍等で公開することがあること、建物や敷地内の写真を撮影させていただきたいということを口頭で伝え、 Lenehan氏の許可を得てから調査を開始した。またインタビュー時に、現在のコース紹介のパンフレット2つと2021/22の成果報告書、そして学校の校長室に保管されていたFircroft Collegeに関する出版物4点6を資料として提供いただいたため、これらも分析対象とすることとした。

3.文献調査の結果

 まず文献調査の結果から、Fircroft College がデンマークのFHSの影響を受けるに至った経緯と設立当初の教育対象者・教育内容、そしてデンマークのFHSとの共通点・相違点について整理しておく。

(1)Fircroft Collegeの設立とデンマークのFHS

Fircroft Collegeの設立に大きな役割を果たしたのは、設立資金を提供したGeorge Cadbury Juniorと初代校長のTom Bryanである。George Cadbury Juniorは、1879年にバーミンガムの中心地からカカオとチョコレートのビジネスを持ち出しBournvilleにチョコレート工場を設立した初代キャドバリー兄弟の2名のうちの1人、George Cadburyの息子である(Bartlett, 1993)。岡谷(2007)によると、19世紀のイギリスでは大学と英国国教会の結びつきが深かったため非国教徒としてクエーカー教徒は大学に入学することができなかった。そのためクエーカーの進取の気概に富んだ信者の才能は社会改革と実業に向けられた。George Cadburyも事業の拡大に挺身しながら、他方では1959 年から教育を受ける機会のなかった成人労働者を対象とした夜間の成人学校であるセヴァーン・ストリート学校の教壇に立ち、以降も生涯を通して成人学校運動に長く関わり、教壇にも立ち続けた(山田, 2012)という。George Cadburyはその後、Woodbrookeと呼ばれる土地を買い取り、1903年にそこにクエーカー教徒によるセツルメント(後にカレッジとなる7)を設立した。Tom Bryanは1903年にこのセツルメントでの仕事の依頼を受け、それを受け入れた。Wood & Ball(1922)によれば、ここでTom Bryanはカレッジの講義だけでなくGeorge Cadbury Juniorと共に社会調査や社会実験に取り組んだという。

 ではGeorge Cadbury JuniorやTom Bryanは、なぜデンマークのFHSの形式に忠実な学校を設立しようと考えたのであろうか。Tom Bryanが初めて1904年にデンマークを訪れたのは、土地問題、つまり、なぜデンマークでは(イギリスとは対照的に)小規模農家が成功したのかを調査することが目的であったようだ。しかし彼は1904年にデンマークを初めて訪問した際に、デンマークの小規模農業の成功は技術的なものではなく、教育と協働という2つに要約されると確信し(後者は前者に依存する)、1905年に再度デンマークを訪問した際にはFHSを訪問することを主目的としている(Wood & Ball, 1922)。1905年のデンマーク訪問中にTom BryanがGeorge Cadbury Juniorに送った手紙8には、VejenにあるAskov Højskoleを訪問し、校長の講義の聴講を許されたこと、デンマーク語の講義だったが教師の劇的で熱意のある態度のおかげでかなり理解することができたこと、Askov Højskoleでは教義的もしくは体系だった教授法よりもむしろ歴史的なことに重点が置かれており、それはまさにWoodbrookeにおいて自分が実現したいと思っていたことである、ということが報告されている。

また彼らがデンマークのFHSに関心を持ったもう1つの要因としてイギリスの学校経営者であったJ. S. Thorntonの影響も示唆されている。Foreningen for Højskoler og Landbrugsskoler(1944)によると、J. S. Thorntonはスウェーデンに滞在していた際にデンマークのFHSのことを聞いていくつかのFHSを訪問し、その熱烈な擁護者となった。彼は1890年から1922年までデンマークのFHSを頻繁に訪問し、イギリスにおいてそのことについて執筆したり、講演をしたりしていた。この過程において、J. S. Thorntonはしばしば、イギリス人を伴ってデンマークのFHSを訪問したようで、Foght(1914)にはJ. S. Thornton に伴われてVallekilde FHSを訪れた英国教育者の一団にTom Bryanがいたことが示唆されている。そこでVallekilde FHS の教師であるValdemar Bennike(1849年~1923年)の講演を聞いたTom Bryanは瞬時にその内容を理解し、その3年後にイングランド初のPeople’s High Schoolの校長になった(Foght, 1914)と記されている9

(2)設立時のFircroft College

 Pumphrey(1952)によると、1909年1月12日に最初の生徒6名がFircroftに到着、翌日にもう1名が到着した。1909年度の教師はTom Bryanを含めて5名で、1週間の時間割10は表1の通りである。設備としては、図書館、講堂、談話室、作業場、体育館、シャワー付き更衣室などを備えた20名の学生が宿泊できる寄宿舎、そして園芸や野外学習、レクリエーションを行うのに十分な3エーカーにも及ぶ庭に囲まれていた11。学生はバーミンガム近隣を超えた様々な地域から多種多様な職業の人々が集まり、その中には、鉄道員、工具製造者、大工、パン職人なども含まれていた。上記7名に加えてさらに10月には8名の新入生が到着し、最終的に1909年に寄宿舎で学んだのは20名となっている12

表1: 1909年秋学期のFircroft Collegeの学習プログラム

設立当初のFircroft collegeとデンマークのFHSとの共通点について、Foght(1914)で引用されている1911年10月26日の『Daily Morning London』のニュース記事では、デンマークのFHSで唯一義務付けられている運動が重要な位置を占めていること、そしてFHSと同様に学習する科目について選択の自由があることが指摘されている。またFircroft Collegeを訪れたデンマークのHolger Begtrupは、クエーカー教徒の定められた様式の服装や生活の様子はデンマークのFHSでも好まれるスタイルと完全に一致しており、「王はただの人間であり、物乞いもまた人間である」というクエーカー教徒の言葉は、デンマークのFHSで自分たちが歌ってきたものとよく似ていると述べている13

 デンマークのFHSと異なる点は、工場労働者を多く惹きつけた点を除けば、Fircroft Collegeが設立当初から、通信教育学生を受け入れていた点であろう。Fircroft Collegeでは、成人学校の多くのメンバーと成人学校組合協会の要望により、1909年から通信教育を開講している。この通信教育は寄宿制コースと違い女性も通うことができ、毎月の課題の提出以外に休日や週末に短期間Fircroft Collegeに滞在して学習することができた14。最終的に初年度である1909年には、長期滞在、短期滞在合わせて169名がFircroft Collegeに滞在したという15。またBegtrup(2020)はFircroft collegeをはじめイギリスのクエーカー教徒の関心はデンマークの人々よりも広く、「(大英帝国を通じて)世界中の人々と活発な関係を築いている国は、人類全体に及ぶ問題に心を動かされる十分な理由を持っている」と述べている。

4.インタビュー調査の結果

(1)近年のFircroft Collegeではどのような人々を対象の意どのような教育が行われているのか

 次に、現在のFircroft Collegeの教育対象者とカリキュラム等について、インタビュー調査から明らかになったことを述べる。

 まず現在のFircroft Collegeでは、19歳以上のバーミンガム近隣に住む人々を主な対象者としている。具体的にはウェスト・ミッドランズと呼ばれる地域に住む人々で、バーミンガム、ダドリー、サンドウェル、ウルヴァーハンプトン、ウォルソール、ソリハル、コベントリーなどが含まれる。学費は上記エリアに住んでいる場合、年収が30,000ポンド未満で一定の基準を満たしていれば無料で受講できることが多いということであった。このような地域による受講制限は、現在のFircroft Collegeのコースの多くがWest Midlands Combined Authorityからの補助金により賄われていることによるものである。Melanie Lenehan氏によると、現在のFircroft Collegeに通う学生の多くは恵まれない環境で育ち十分な教育を受けることができなかった人々、精神的な課題を抱えている人々、何らかの依存症に苦しむ人々、難民や移民などの人々で、Fircroft Collegeではいまも、設立当初と同じく、社会正義のための教育・支援を行っているということであった。一方で、デンマークのFHSは現在、中産階級の若者が多く通う傾向にあり、現在の教育対象はデンマークのFHSとは異なってきているとの見解を示した。実際にインタビュー時に提供された2021/22の成果報告書によると、学生の属性は、貧困・困窮地域の学生が65%、失業中の学生が88%、そして民族的マイノリティの学生が49%となっている。ではFircroft Collegeはこのような人々に対して教育の機会があることをどのように周知しているのだろうか。この点についてMelanie Lenehan氏は、ウェスト・ミッドランズの300を超えるパートナー組織との連携を指摘した。パートナー組織は主に、ホームレス、メンタルヘルス、移民、家庭内暴力、学習障害、家族関係などに関する支援組織で、もう一度学びたい、自分の課題を学ぶことで解決したいという人々と共にFircroft Collegeのオープンデーに参加するなどを行っている。また時には校長や教職員がそうした組織に出向いてFircroft Collegeの説明会を行うこともあるという。

 

表2:Fircroft Collegeの2023年5月~7月開講コース一覧

次に、現在Fircroft Collegeが提供しているコースについて、インタビュー時に提供を受けた2023年度5月~7月のパンフレットを筆者にて翻訳したものを前ページの表2として掲載する。

表2より、Fircroft Collegeのコースの種類は3つに区分できることがわかる。1つ目は一番上の「高等教育の学位取得への準備」へと続く経路で、「1日体験コース」にはじまり、「基礎的スキル(短期・長期)」と一番下の「科目体験」が含まれる。2つ目は職業教育で、「キャリアとボランティア(短期・長期)」と「教育領域における職業教育」が当てはまる。そして3つ目が、「自由思考」と「個人的・社会的発達」に代表されるコースで、課題やトラウマを抱える人々が学んだり、充実した社会生活を送るための多様な科目である。この3つ目のコースこそがFircroft Collegeの教育内容の最も特徴的なものである。Melanie Lenehan氏は、特に「自由思考」のコースはFircroft Collegeの特徴的な科目で、人身売買や強制労働の被害を受けたり、搾取や虐待を受けてきた人々が、自分に対する自信と他人に対する信頼を取り戻し、自らの考えで自分の将来を決めることができる手助けをする内容であると説明した。

(2)生きた相互作用による教育と全寮制という要素はFircroft Collegeで学ぶ人々のキャリア形成にどのような影響をどのように与えているのか

 このことについて、まずMelanie Lenehan氏は、学生へのキャリア支援として公式に提供しているものとして、キャリアガイダンス・カウンセリングとソフトウエア開発の2点をあげた。キャリアガイダンス・カウンセリングは特別な時間を取ってカウンセリングのセッションを受けることも可能だが、それよりも重視しているのは、すべてのコース終了時に行う学生とのミーティングである。Fircroft collegeでは全てのコースの終了時に教師やチューターと学生がミーティングの時間を持ち、コースを受講しての振り返りや、学生たちのキャリア形成における現在の状況、そしてさらなる学習や次のキャリアを共に模索するようにしているとのことであった。また2つ目のソフトウエア開発については現在開発中のもので、すべての学生がオンラインでアクセスでき、例えば学生が興味のある業界を登録すると、その業界に関する情報や求人などが届くような仕組みを想定しているとのことであった。

 しかし、トラウマや課題を抱える人々のキャリア支援においてより重要なものとして、Melanie Lenehan氏は「レジデンシャルカレッジであること」をあげた。まずトラウマや課題を抱える人々の日常は混とんとしており、じっくりと学んだりキャリアについて省察する時間を取ることが難しい。そのため、まずはFircroft collegeに数日間滞在してそのような日常から離れることが重要である。またFircroft collegeは大変美しい邸宅であるが、学生たちが自分自身をそうした美しく安全な場所に滞在するに値する人間であると認識することが重要であることを強調した。さらにそうした人々は学習を継続した経験が無い人も多く、朝食の時に声をかけたり様子を観察したりすることで、彼らが学習に向き合う状態にあるかどうかを確認することができることもレジデンシャルであることの利点であると指摘した。また教室外の、例えば屋外での散歩の中にも多くの学びがあること、そして何よりも自分の夢を持ち、目標に向かって学びを続ける他の学習者(特に「高等教育の学位取得への準備」のコースに所属する学生たち)の実践を間近に見ることが大きな刺激となると述べた。

 次に、学生たちのキャリア支援において活用している理論や考え方としてはメジロー(Jack Mezirow:1923年~2014年)の変容的学習理論をあげ、メジローの変容的学習理論は簡単に言えば「Shift your frame of thinking」ということであるが、レジデンシャルカレッジはこれを試すのにとてもふさわしい場所であるという見解を示した。安川(2009)によれば、メジローは学習のダイナミックスとして、意味を作っていく側面に注目し、私たちがどのように経験を理解して意味パースペクティブ、つまり、物事を判断するための枠組み(山澤,2009)を形成し、変容させていくかに焦点を当てて成人の学習を捉えていこうとした理論家である。永井(2007)は、メジローの理論が探求の対象としているテーマは、①成人にとって特徴的な学習とはどのようなものであるのか、②認識や自己の解放に結びつく学習はどのように可能か、という2点だと指摘している。つまり成人教育の理論という観点から見れば、メジローの理論の特徴は後者の「解放」という観点であるといえる。このことについて永井(2007)は、「自然環境の危機、経済優先の社会的傾向、生活様式や人間関係の変質、格差や不平等の拡大等々、「発展」に伴う矛盾や困難も深刻化し続けてきた。それら問題の多くが十分に解決されないまま残り、社会の中に種々の焦燥感や不満が広がっていくにつれ、従来とは異なる生き方や社会の在り方を求める人々の願望が、メジローの学習論の省察的かつ変革的な論調と共鳴するようになったという面もあろう」と分析している。

 ではメジローのいう変革的学習における「解放」とはどのようなことを意味するのか。Mezirow(2012)はそれを「本能的、言語的、認知的、組織的、環境的な権力からの解放」と定義している。Mezirow(2012)によれば、環境的な権力とは、生命に対する私たち自身の選択や理性的コントロールを制限してしまう権力のことで、これらの権力には思い込み、イデオロギー、これまでの学習による心理的ゆがみが含まれる。メジローのこの考え方は、ハーバマス(Jürgen Habermas:1929年~)の人間の関心についての理論に基づいている。ハーバマスは、人間の関心が知識を一般化する時の3つの領域として、技術的関心、実践的関心、解放的関心を示した。Mezirow(2012)によれば、最初の2つの関心は学習領域を表すもので、道具的学習(環境をコントロールし操作するための学習の原動力)やコミュニケーション的学習(他の人々を理解しようとするための学習)の領域であるが、解放的関心は、他の2つが意味することを批判的に省察するという側面を持っている。そして解放的学習では、学習者に感情や行動のパターンを解釈するための代替案が提示され、古い意味スキームや意味パースペクティブが否定され、新しいものの見方にとって代わり、新しいものの見方と統合すべく再編成されたりするという。つまりFircroft collegeでは、トラウマや課題を抱える学生たちに対して、ただ学習を促し、自己を理解する時間を取り、将来のキャリアを指し示すだけでなく、学生たちを支配してきた文化的、政治的、社会的イデオロギー、もしくは周囲の人々との複雑な関係性の中から生じた心理的ゆがみを批判的に省察し、代替案を提示することによって当事者の感情や行動パターンの解釈を変容させるという深い支援がなされていることが示唆された。

5.日本におけるキャリア支援への示唆と今後の課題

本研究では、イギリスのFHSであるFircroft Collegeについて、近年の教育対象と内容、そしてFHSの特徴である「生きた互作用による教育」と「全寮制」という要素がそこで学ぶ人々のキャリア形成にどのような影響をどのように与えているのか、という2点を明らかにすることを目的として、文献調査とインタビュー調査を実施した。ここでは本研究の知見から得られる日本のキャリア支援への示唆をまとめるとともに、今後の課題を整理する。

まずFircroft collegeは今も、何らかの理由で高等教育への道が閉ざされた成人を対象とし、社会正義のためのキャリア支援を継続していることが明らかとなった。この「社会正義のためのキャリア支援」はいまヨーロッパを中心に世界へと広がりを見せている。例えば最も大きなキャリア支援専門家の集まりの1つであるIAEVG(International Association for Educational and Vocational Guidance)は、2012年の全国大会においてすでに「社会正義」という言葉を全体テーマに含めている。日本においても社会正義のためのキャリア支援を実現するための3つの実践(深い意味でのカウンセリング、エンパワメント、アドボカシー)の重要性を説明した下村(2020)を契機に、伝統的な性役割態度やジェンダー規範が女性だけでなく男性の生き方をも固定し自由意志にもとづく選択やキャリア形成を阻害していると指摘した安達(2022)や、持続可能なキャリアを模索すべきであるというグリーンガイダンスを紹介した下村・高野(2022)、地域若者サポートステーションを社会正義のキャリア支援から考察した田澤(2022)など、研究の蓄積が進んでいる。

しかし、「社会正義のキャリア支援」の観点からのアプローチは、特定の分野や支援機関、そして個々の研究や実践にとどまるものではない。すべてのキャリア支援専門家がそれぞれの実践の場において常に「今、本当にキャリア支援を必要としている人々は誰なのか、そしてそうした人々に支援は届いているのか」ということを内省することが重要である。大学を例に考えてみると、2024年卒の大学生に対する民間企業の求人倍率は1.71倍とコロナ禍直前の水準に近づき16、多くの学生にとって就職しやすい環境となっている。一方で、発達障害のある学生の就職率は41%で学生全体の平均を大きく下回っている17。また日本での就職を希望する外国人留学生が約65%であるのに対して実際に日本に就職する留学生は約35%にとどまっており、留学生の希望と現実に大きな乖離があることが分かる18。今後大学においては障害を持つ学生や外国人留学生を含め通常の就職活動を行うことが難しい少数の学生への支援をより充実させていくことが喫緊の課題であると考えられる。また、こうした人々にリーチするための手段としては支援団体や関連機関との連携体制の構築が必須であることも改めて明らかになった。大学においてもキャリアセンターが関連部署と連携して、学生がキャリアセンターを訪問しやすくなる仕組みや、関連部署に出向いて学生にキャリア支援制度を周知することが有効であると考えられる。また全てのキャリア支援専門家がこうした視点を持つための研修プログラムの開発も期待される。

次に、生きた相互作用による教育と全寮制という要素は人々のキャリア形成にどのような影響をどのように与えているのかということに関して、全寮制であることの最も大きな意義は、学生が、自ら将来を切り拓く、その姿に触発されるような先輩の学習者の実践を間近に見ることできる点であることが明らかとなった。このことはFircroft collegeのようなレジデンシャル又はコミュニティ型のカレッジが、Lave & Wenger(1991)が提唱した実践共同体として機能していることを示唆している。Lave & Wenger(1991)は、「学習とは実践共同体への参加であり、熟達者としてのアイデンティティの形成過程である」と定義している。課題を抱える人々へのキャリア支援では、コミュニティの中で熟達者の実践を目の当たりにする中で自分自身のアイデンティティを変容させていく深いレベルの支援が求められることが本研究において明らかとなった。このことからたとえそのコミュニティが全寮制でなくても、学ぶ人、そして支援を受ける人々が、自分と同じ課題を持ちながらも希望する進路を切り拓く人々の実践の様子を間近で見て学べるようにすることで、同様の効果が期待されると考えられる。こうした取り組みは、多様な支援の場で応用できるだろう。またその中で活用できる理論の1つとして、メジローの変容的学習の応用可能性が示唆された。メジローの理論を応用することで、そこで学ぶ人々がそれまでの環境から得てきたものの見方、考え方、といった前提条件を批判的に省察することで新たな視点を獲得し、これまで思いもよらなかった進路やキャリアを切り拓いていくことを可能にする可能性がある。

最後に、本研究の課題をまとめる。本研究には大きく2つの課題があると考えている。1点目は、現在のFircroft collegeにおける教育やキャリア支援を調査するにあたり、初めての調査でもあったことから、文献調査、観察調査、そして校長へのインタビュー調査しか行うことができなかった点である。そこで今後は、実際にFircroft collegeに通う学生や卒業生、そして教師へのインタビュー調査を実施し、学生や卒業生の視点から分析することが必要である。またメジローの変容的学習が個々の学生への支援の中でどのように応用されているのかを観察調査から分析し、日本における実践で活用できる枠組み構築や研修プログラムの開発にも取り組んでいきたい。

2点目として本研究では、デンマークのFHSがFircroft collegeに与えた影響については考察することができたが、デンマークのFHSに対してFircroft collegeが与えた影響については分析対象としなかった。この点についても本研究で入手した一次資料の分析を進めていきたい。

謝辞

 本研究は、JSPP 科研費(22K02288)の助成を受けたものです。本研究への協力を快く引き受けてくださったFircroft collegeの校長先生、そしてバーミンガム図書館の専門家の方々にこの場を借りてお礼申し上げます。またこの論文を丁寧に査読くださり貴重なご指摘・ご意見をくださった査読員の先生方にも感謝申し上げます。

引用文献

Albeck, G. (1983). Drømmen om Skolen i Soer. Grundtvig-Studier, 35(1), Article 1.

Balle, T. (2014). Grundtvig og de nordiske skoler. In Grundtvigs syn på det nordiske—I lyset af ny nordisk skole (pp. 39–44). Syddansk Universitet.

Bartlett, J. (1993). The Croft Trust. Halfshire Books.

Begtrup, H. (2020). Holger Begtrups levned fortalt af ham selv. Bind 2. Askov og Frederiksborg. SAGA Egmont.

Borish S. M. (2011). 生者の国: デンマークに学ぶ全員参加の社会 (難波克彰編; 福井信子訳). 新評論.

Cadbury, G., & Bryan, T. (1908). The land and the landless. Headley brothers.

Foght, H. W. (1914). The Danish Folk High Schools. Washington Government Printing Office.

Foreningen for Højskoler og Landbrugsskoler. (1944). Danmarks folkehøjskole: 1844-1944. Det Danske forl.

Herrick, J. (2011). The Short Term’ Residential College: A Model for the Future [University of Nottingham].

Korsgaard, O. (2011). Grundtvig’s Philosophy of Enlightenment and Education. In The School for life: N.F.S. Grundtvig on education for the people (p. 440). Aarhus Universitetsforlag.

Kulich, J. (1963). N.F.S. Grundtvig and the Folk High Schools. Dalhousie Review, 43(1), 67–75.

Lave J., & Wenger E. (1991). Situated cognition: Legitimate peripheral participation. Cambridge: Cambridge University Press. (佐伯胖訳[1993]. 『状況に埋め込まれた認知:正統的周辺参加』東京:産業図書).

Leighton, W. (1959). Fircroft 1909-1959. Fircroft College Trust.

Mezirow J. (2012). おとなの学びと変容: 変容的学習とは何か (金澤睦・三輪建二訳). 鳳書房.

Pumphrey M. E. (1952). Recollections of Fircroft: An experiment in adult education. Fircroft College Trust.

Skovgaard, M. (2019). Fejl i den højskolehistoriske kliktæller. Politiken, 2.

The Association of Folk High Schools. (n.d.). The Danish Folk High School. https://danishfolkhighschools.com/media/11348/19-danishfolkhighschool-haefte-web.pdf

Wood, H. G., & Ball, A. E. (1922). Tom Bryan First Waeden of Fircroft. WENTWORTH PR.

安達智子 (2022) 若者のキャリア形成とジェンダー : 社会主義からの再考, キャリア教育研究, 40(2), 39-44.

岡谷慶子 (2007) イギリス人とチョコレート: イギリスの食文化(III). 静岡産業大学情報学部研究紀要, 9, 187–202.

小島幸治 (1928) ファークロフト勞働學校の創設者 トム・ブライアン傳を讀む, 社會事業, 6(2), 17–27.

厚生労働省 (2021)「外国人留学生」の国内就職の現状 

https://www.mhlw.go.jp/content/11655000/000689552.pdf

佐々木正治 (1999) デンマーク国民大学成立史の研究, 風間書房.

清水満 (1996) 生のための学校: デンマークで生まれたフリースクール「フォルケホイスコーレ」の世界 (改訂新版), 新評論.

下村英雄 (2020) 社会正義のキャリア支援―個人の支援から個を取り巻く社会に広がる支援へ―, 図書文化社.

下村英雄・高野慎太郎 (2022) グリーンガイダンス―環境の時代における社会正義のキャリア教育論―, キャリア教育研究, 40(2), 45-55.

田澤実 (2022) 社会正義のキャリア支援から見た若者無業者―地域若者サポートステーション事業に焦点を当てて―, キャリア教育研究, 41 (1), 19-29.

永井健夫 (2007) 変容的学習と「成人性」の関係をめぐる試論. 大学改革と生涯学習 : 山梨学院生涯学習センター紀要, 11, 107–116.

フォートハロルド. (1924). 丁抹の農村と其教育 (水野常吉訳). 民友社.

福井しほ (2022) 発達障害学生の就職率は学生全体と比較して半数程度 支援乏しく苦労、ロールモデルも少ない実情. AERA dot. https://dot.asahi.com/articles/-/3234

藤村好美 (1997) マイルズ・ホートンの成人教育理念の形成過程: ハイランダー・フォークスクールの設立とグルントヴィのフォルケホイスコーレ構想. 生涯学習・社会教育学研究, 21, 35–45.

森田佐知子 (2023) フィンランドの若者のキャリア形成におけるフォルケホイスコーレの役割―Alternative path to universityプロジェクトに着目して―. 関係性の教育学, 22(1), 83–96.

諸岡和房 (1967) 英国の宿泊性成人教育コレッジ, 外国の社会教育施設 続, 光文書院.

山澤和子 (2009) ジェンダー学習における気づきと意識変容のプロセス―P. クラントンの「意識変容プロセス」の検討―, 国際ジェンダー学会誌, 7, 65-91.

山田晴通 (2012) 19世紀末英国の企業主導型模範村落ボーンヴィル(Bournville)の歴史と現在の景観(上), 人文自然科学論集, 133, 9–30.

安川由貴子 (2009) 認識の変容にかかわる学習論の考察: J.メジローの変容的学習論からG.ベイトソンを読む, 京都大学生涯教育学・図書館情報学研究, 8, 11–28.

リクルートワークス研究所 (2023) 第40回 ワークス大卒求人倍率調査 (2024年卒).

https://www.works-i.com/research/works-report/item/230426_kyujin.pdf

Footnotes

日本でFHSは伝統的に「国民高等学校」と訳されてきたが、一部「民衆大学」と表記している文献もある。近年はデンマーク語をそのままカタカナ表記した「フォルケホイスコーレ」とされることが多い。

これまで最初のFHSは1844年11月7日に設立されたRødding Højskoleであるとされてきた。しかし現在FHS歴史協会のウェブサイト(https://hojskolehistorie.dk/hoejskolens-historie/hoejskolehistorisk-oversigt/om-de-foerste-hoejskoler)には、これよりも前に設立された学校に関する議論が掲載されている。それは1844年10月18日にFrederikssundのSundbylilleに設立されたhøjere bondeskoleと、1842年にSlesvigのRendsborgに設立されたhøjskoleである。Skovgaard(2019)によればRendsborg に設立されたhøjskoleはドイツ語で教育が実施されていたものの、その後に設立されたFHSの特徴である全寮制の形態で設立され、生徒たちに農業の知識だけでなく一般教養を身につけさせることを目的にしていたという。しかし、本稿執筆時点で、FHS協会のウェブサイトには、Rødding Højskoleが最初のFHSであると記載されたままである。このような動向を受け、本稿ではFHSの設立に関して「最初に設立されたのは1844年頃とされており」という表記とした。

Kulich(1963)、藤村(1997)、佐々木(1999)、Borish(2011)、Korsgaard(2011)等。

Robert Browning Settlementとも呼ばれ、イギリスの大学セツルメント運動によって設立された。Tom Bryanはこのセツルメンで9年間働き、青年期の人々の精神的能力の発達や労働者の家庭環境の改善、共同体意識の成長に関心を寄せていた(Wood & Ball, 1922)。

デンマークのFHSの教師で、後にFrederiksborg Højskoleを設立した。

Wood & Ball(1922)、Pumphrey(1952)、Leighton(1959)、Bartlett(1993)の4点。

Ruskin Collegeに次いでイギリスで2番目に作られたレジデンシャルカレッジである(Herrick, 2011)。

Wood & Ball(1922)p.44-47

Foght(1914)はVallekilde FHSにおけるValdemar Bennikeの講演を1905年としているが、Begtrup(2020)では1908年とされている。

バーミンガム図書館Wolfson Centre for archival research所蔵『Birmingham Institutions』p.10

同上の資料p.6

同上の資料p.13

Begtrup(2020)

バーミンガム図書館Wolfson Centre for archival research所蔵『Birmingham Institutions』p.13

バーミンガム図書館Wolfson Centre for archival research所蔵『The Old Fircrofter Vol.1, No.1, 1909』p.2

リクルートワークス研究所(2023)

福井(2022)

厚生労働省(2021)

 
© 関係性の教育学会
feedback
Top