1989 年 30 巻 1 号 p. 47-56
本報は、我が国の戦後の新しい教育制度の下で理科教育がどのような過程を経て成立したかを、主として教育現場の組織的活動や実践的実態から整理究明する研究の一環として行なった基礎的な作業のうち、「学習指導要領理科編(試案)」の作成経緯を、関係文献や当時の関係者から直接に聴取した証言によってまとめあげた結果の報告である。この研究の結果、次の諸点が明らかになった。(1) 昭和22年発行の最初の「学習指導要領理科編(試案)」は、関係法令の制定の状況からみると、法制的根拠をもって発行された第1号の学習指導要領である。(2) 学習指導要領作成の計画はCIEから指示されたが、理科の場合は、その内容や編集方針については日本側主体で作成することができた。(3) 昭和22年度の「学習指導要領理科編(試案)」の執筆作業は、その担当者が教科書編集も兼務していたために多忙であり、関係者の全体的検討も不十分なまま、代表者一任の形で、しかも25日間という短期間のうちに完了した。(4) 昭和22年度及ぴ昭和27年改訂版の「学習指導要領理科編(試案)」の編集については、CIEからはVirginia州教育委員会の「Course of Study of Virginia Elementary School Grade I―VII, 1943」をはじめ、当時のアメリカ小学校教育の多くの関係書がCIEから提示され、重要な参考資料となった。(5) 昭和27年改訂版「小学校学習指導要領理科編(試案)」の編集作業は、教科書「小学生の科学」を編集するために当時全国9地区に組織された理科研究地方委員会の多大な協力(児童の実態調査や内容原案の検討など)を得て行なわれた。