抄録
成体脳で見いだされた神経新生はアルツハイマー病,パーキンソン病,ハンチントン舞踏病,脳虚血などの神経変性疾患において神経再生という新しい治療法の可能性を示した.神経新生は脳虚血やてんかんなどの神経疾患において一過性に刺激されるが,長期に新生ニューロンが生存し,代替機能を果たすのかは疑問視されている.アルツハイマー病患者においても神経前駆細胞が増えるという報告もあるが,遺伝子改変のアルツハイマー病モデルマウスではむしろ減少するという知見もあり,結論は出ていない.脳は急性ストレスや軽度な損傷が起こった時に代償機構として神経新生が刺激される.もし,神経前駆細胞の生存と成熟を促進する薬物があれば神経変性疾患の新しい治療法になることが期待できる.バナジウム化合物はPTP-1Bなどのチロシンホスファターゼの強力な阻害薬であり,インスリンや細胞増殖因子のチロシンキナーゼ受容体のチロシン残基のリン酸化反応を上昇させる.受容体チロシンキナーゼの上昇により,ホスファチジルイノシトール-3キナーゼ(PI3-K)と下流のAkt/protein kinase Bが活性化され,同時に,Ras系と下流の細胞外シグナル調節キナーゼ(ERK)が活性化される.AktとERKは下流のHIF-1α,CREBなどの転写因子,グリコーゲン合成酵素キナーゼ3β(GSK-3β)を介して,血管新生,細胞の増殖と生存を調節している.私達はバナジウム化合物の末梢投与により脳虚血後の神経新生が促進されることを見いだした.バナジウム化合物の神経新生促進作用にはAktとERKの両方の活性化反応が関わっていた.さらに,嗅球摘出マウスの中隔野で見られるコリン作動性神経の変性がバナジウム化合物の末梢投与で抑制された.バナジウム化合物によるコリン作動性神経の変性の抑制は嗅球摘出マウスにおける認知機能障害の改善と良く相関した.以上の結果より,末梢投与で神経新生を促進するバナジウム化合物はアルツハイマー病などの神経変性疾患の新しい治療薬となる可能性がある.