2025 年 67 巻 3 号 p. 258-259
米国消化器内視鏡学会(American Society for Gastrointestinal Endoscopy:ASGE)は近年,機関誌であるGastrointestinal Endoscopy(GIE)誌およびVideoGIE誌の姉妹誌として,iGIE誌を刊行した.オンライン雑誌である同誌では新しい試みとして,米国の内視鏡分野でマイルストーンと呼べるような業績を残した内視鏡医を対象にインタビュー企画を行ってきた.現在までにDr. Christopher C. Thompson,Dr. Kenneth J. Chang,Dr. Peter B. Cotton,Dr. Bennett Roth,そしてDr. Patrick M. Lynchがこの企画でインタビューを受けた.今回,私の米国での内視鏡的粘膜下層剝離術(ESD)の症例数が米国初の1,000症例に達したことを記念し,大変光栄なことにiGIE誌の編集部からインタビューのオファーを受けることになった.この文献はそのインタビューの模様を書き下ろしたものである.なお,インタビュアーのDr. Phillip S. Geは,私が米国に来て初めてESDを教えたフェローで,現在テキサス州ヒューストンのMDアンダーソン癌センターでESDを施行している.
インタビューはまず,私の生い立ちに関する質問から始まり,幼少期に医師を志したきっかけ,そして初期研修時代に外科医となることを決めた理由に触れた.私は初期研修後,のべ6年間にわたる地域医療において外科医として勤務したが,その期間に内視鏡的診断・治療に強い興味を持つようになり,2007年に東京慈恵会医科大学の田尻久雄教授にお会いし内視鏡科(当時)に入局させて頂いた(Figure 1).私は内視鏡科在籍中にautofluorescence imaging(AFI),narrow band imaging(NBI),そしてnatural orifice transluminal endoscopic surgery(NOTES)に関する研究を行い,2011年に博士号を取得した.そして田尻先生のご推薦をいただき,2012年から幼少期からの夢であった海外での研究留学に赴任した.インタビューでは米国ボストンのBrigham and Womenʼs HospitalでのDr. Christopher C. Thompsonとの出会い,ポスドクとしての2年間の研究生活での苦労や成果,その後2014年に米国の医師免許を取得しニューイングランド地域で初めてESDのプログラムを立ち上げることになった経緯(Figure 2)などについても答えている.

2007年,東京慈恵会医科大学内視鏡科(当時)入局時.田尻久雄前教授および炭山和毅現教授とともに.

2015年4月,ボストンライブ内視鏡コースで歴代初のESDのライブ実演時.Brigham and Womenʼs Hospital内視鏡部ディレクター(当時)のDr. John R. Saltzmanとともに.
米国では近年,ようやくESDの普及が見られてきている.米国内の主要施設(10-15施設)の治療内視鏡医のESDの技術は一定レベルに達し,自施設のフェローやハンズオンコースでの他施設の医師に対するトレーニングができるようになり,今後ESDの更なる普及が期待できる段階にある.この状況は,現在から遡ること10年以上前の米国でのESD黎明期における,ESDのパイオニアの先生方のご尽力(Figure 3)がなくしては成し得なかったと考える.インタビューでは,日本のESD開発の歴史,日本におけるESDの普及の経緯,および米国でのESDの普及初期における日本消化器内視鏡学会(Japan Gastroenterological Endoscopy Society:JGES)とASGEのコラボレーションの成果について触れている.また,私が渡米してからの12年間に経験した,消化器内視鏡診療を取り巻く状況の日米間の相違,すなわちトレーニングシステム,患者管理の方法,そして治療内視鏡医の専門性およびその志向性の相違,そしてそれに起因した米国でのESDの普及の遅延についてインタビューの回答として明言し,今後の解決策に関して詳述している.

2013年12月にシカゴで開催された,第1回JGES-ASGE ESDハンズオンコース.ESDのパイオニアの著名な先生方が日本から参加され,私はジュニアファカルティとして参加させて頂いた.
私が渡米した時期には,米国で日本人消化器内視鏡医としてESDを行っていたのは私が知る限り,当時コロラド大学,現在アリゾナのメイヨークリニックでご活躍される深見悟生先生のみであった.それから私をはじめとして数々の先生方が米国に渡り,日本の優れた内視鏡診断・治療技術の教育を進めている.私が日本と米国との間に築いた懸け橋は細くて小さなものであったが,その後こちらで活躍される諸先生方が努力を積み重ね,それを確固たるものにして頂いたと感じている.
このインタビュー記事の最後には,現在日本にいる若手消化器内視鏡医の先生方に向け,いくつかの応援メッセージを残させて頂いている.少しでも多くの内視鏡医の先生方にこの記事を読んで頂き,それが将来,海外留学を目指すきっかけになってくれれば幸甚である.最後に,渡米するかけがえのないチャンスを私に下さり,現在でも叱咤激励を下さっている田尻久雄教授,そして遠く日本から私の活動を見守って頂いている東京慈恵会医科大学 内視鏡医学講座の炭山和毅教授および医局員の先生方に心からの感謝の意を述べたい.
本論文内容に関連する著者の利益相反:なし