情報地球学
Online ISSN : 2759-9434
論説
湯之奥金山遺跡における赤色立体地図を使った戦国時代の人工地形の抽出と鉱山開発技術
小俣 珠乃 小松 美鈴千葉 達朗猪狩 祥平鈴木 太郎伊藤 佳世林 忠誉熊谷 洸希田中 香津生木戸 ゆかり
著者情報
ジャーナル 認証あり

2025 年 36 巻 3 号 p. 53-63

詳細
抄録

山梨県毛無山に存在する湯之奥金山は,戦国~江戸時代にかけて稼働していた中山,内山,茅小屋金山の総称であり,日本史においてごく初期の山金採取(露頭掘)が行われた痕跡として国史跡に指定されている.日本の金山開発は,元々河川などでの砂金採取に始まり,河岸段丘堆積物から砂金を取り出す柴金,山金採取と開発方式が進化した.
本研究では,湯之奥金山地域の25 cm精度の赤色立体図を作成して微地形の観察を行った.その結果,この地域には,戦国時代に人工的に造成された広大な斜面が見られ,その広さは,おおよそ東西2 km,南北1.3 km,標高900 mから1,850 mまで,約150ヘクタールに及んでいた.
古文書の記録からは,当時中山金山で産金を行っていた人々は金山衆と呼ばれ,元亀2年 (1571) の武田信玄による北条氏の駿河深沢城攻撃に参加したと記録されている.その記録によると,深沢城を昼夜含めて30日あまり攻撃し,本城外張まで掘崩してしまったとある.本研究では,中山金山の金山衆は標高差900 mにおよぶ斜面を造成したことが判明した.かれら金山衆は,標高差10 mに満たない深沢城の外廓を,限られた日数で崩す技術力を有しており,駿河深沢城攻撃に使われた可能性が示唆される.

著者関連情報
© 日本情報地球学会
前の記事 次の記事
feedback
Top