日本地質学会学術大会講演要旨
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第128学術大会(2021名古屋オンライン)
セッションID: T5-O-6
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T5(口頭)文化地質学
熊野酸性岩類分布域における水力発電所の立地と地質
*後 誠介
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抄録

はじめに 紀伊半島南東部の熊野地域には,明治後期から昭和初期に運用開始された7つの水力発電所があった.いずれも地元資本により建設・経営が始まったもので,これら初期の水力発電所は,熊野酸性岩類分布域の辺縁部に位置する点で共通する.年降水量の多い気候条件のみならず,地形・地質を活かして効率的な発電となるよう企図したと考えられる.このため土砂災害の履歴も少なくない.

 ここでは熊野酸性岩類分布域にある水力発電所の立地について報告し,初期の水力発電所の立地と地質の関連について考察する.

地形・地質の概要 中新統熊野層群に貫入した熊野酸性岩類の大規模岩体が分布する(Miura,1999;川上・星,2007).主岩体はラコリスを形成した流紋岩(熊野花崗斑岩)で,柱状節理や方状節理が発達する硬岩である.先行して噴出した流紋岩質火砕岩が,火成岩体の辺縁部に分布することがあり,タフォニを形成しやすい軟岩である.また初期に噴出した流紋岩(神ノ木流紋岩)があり,柱状節理が発達する硬岩である.熊野層群は前弧海盆堆積体の軟岩である.硬岩である岩体は高い山地を形成しており,岩体の内部と辺縁部に滝が発達し,地質を反映した地形になっている.

水力発電所の立地 1899(明治32)年に運用開始された鮒田発電所跡では,取水堰は硬岩である流紋岩の渓床に設置され,そこから尾根に設けられた上部水槽まで緩やかな傾斜で導水され,水圧鉄管により発電所へと送水された.発電所跡は,地形が緩傾斜に変わる火成岩体辺縁部に位置する.取水堰と発電所の間は銚子滝をはじめとする渓谷からなり,上部水槽と発電設備の有効落差を流紋岩体に形成された滝や渓谷を活かして得た立地となっている.

 このような取水堰・上部水槽・発電所の位置関係は,これ以降の水力発電所(大里発電所,1903年開始;那智発電所,1913年開始;平野発電所跡,1919年開始;高田発電所,1919年開始;滝本発電所,1921年開始;矢ノ川発電所跡,1927年開始)に受け継がれた.

 すなわち①取水堰は,硬岩である流紋岩の渓床に設置;②上部水槽は,谷を避けて尾根に設置;③有効落差を,滝や渓谷を活かして得る立地;④発電所は,地形が緩傾斜に変わる火成岩体辺縁部に設置されている.流紋岩体に形成された滝や渓谷は,地域の名所となっている.

発電所の立地と土砂災害 初期の水力発電所は渓谷に立地するため,崩壊・土石流により取水堰や導水路がくり返し破壊されてきた.

 矢ノ川発電所は,取水堰が大破し4年間で廃止された.鮒田発電所跡では,取水堰の上流に砂防堰堤跡が見出された.大里発電所は,1954(昭和29)年に存廃の危機に陥った.那智発電所は,2011年に被災した第1導水路が未だ復旧されていない.

発電所の立地と地質 当該地域の明治後期から昭和初期に運用開始された水力発電所は,硬岩である流紋岩体に形成された滝や渓谷を活かして,発電のための有効落差を得た立地となっていた.これらの近代化遺産は更新され,現在4つの水力発電所が稼働している.土砂災害からの復旧コストなどの課題はあるが,存続が望まれる.

引用文献 Miura, D.,1999,Jour. Volcanol. Getherm. Res.92,271-294.

川上裕・星博幸,2007,地質雑,113,296-309.

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