産業集積を維持・発展させる上で,ローカルで伝統的な制度・慣習がつねに有効に作用するとは限らない.本稿は明治から大正期に同業者間の紛争を経験した大阪の材木業同業者町を事例に,伝統的な制度・慣習が地域における同業者間の調整機能を阻害した要因について論じる.江戸期以来培われてきた材木流通に関する制度・慣習は,明治以降も材木業者間の関係を細かく規定していく.しかし,こうした制度・慣習の新たな法的根拠になった同業組合の規定は,材木取引の実態から乖離していた.明治後期からの流通経路の変化と材木流通の制度・慣習に対する改善要求の高まりによって,この乖離は表面化し,大阪における材木業者間の利害対立を調整する機能は機能不全に陥った.調整機能が不全に陥った要因として,同業組合のフォーマルな制度が同業者の実際の利害関係に即していないこと,材木流通の制度・慣習が非常に閉鎖的であったことの2点が指摘できる.