本稿では,国際交通・通信インフラの変遷を検討することによって,近代日本のグローバル化の過程を論じた.日本のグローバル化は19世紀末に最初の国際定期航路・電信線が整備された段階で,英国の植民地統治を支える交通・通信システム(「英国グローバルシステム」)に組み込まれる形で始まった.産業革命後の英国はインドや中国への交通・通信ルートを拡大していったが,「極東」日本はその延長上に位置し,日本から見た西廻りルートが成立した.一方,太平洋を渡る東廻りルートは米国主導で整備され,日本は新興の「米国グローバルシステム」に否応なく組み込まれた.日本は,国策として定期航路や通信網を維持し,両ルートを確保し続けたが,第二次大戦後は航空輸送や衛星通信の発達,さらには20世紀末のインターネットと光ケーブル網の発達によって米国のプレゼンスが拡大すると,「米国グローバルシステム」へ急速に傾斜することになった.