本稿では,1993年にウリミバエが撲滅されるまで沖縄県内でのみ流通していたゴーヤーが県外向けに生産・出荷がシフトする過程で,沖縄県の野菜生産農家の経営や生産・出荷体制にどのような変革やインパクトが生じたのかを動態的に地理学的視点から明らかにした.県内有数の野菜産地である糸満市では,ゴーヤー品種の改良,補助事業による施設園芸の促進,生産技術や県外向け出荷規格への順応など,行政・JA・民間・農家がハードとソフトの両面において連携し,ゴーヤーの出荷拡大を後押ししていた.ゴーヤーの出荷先が県内外で多様化したことで,沖縄県の野菜農家が主体的に市場を見極めながら,出荷先を開拓,選択できる新たな経営形態への展開がみられた.ゴーヤー生産拡大は,単に新たな県外向け生産・出荷体制を構築したのではなく,沖縄県の野菜農家が本土の遠隔野菜供給者として再始動するための,新たな基盤整備に大きく寄与していた.