本稿は健康と場所という視点から,明治前期の転地療養地について検討する試みである.未知の疾病であった脚気の治療法として転地療養を採用した陸軍に着目し,脚気に関する医学言説の分析を通じて,転地療養地の選定過程について明らかにした.1870年代半ばの転地療養は温泉への入浴療養が特徴であったものの,1870年代後半からは温泉のない海浜,平野,とりわけ山間地域が転地療養地として選定された.この変化は,不潔な空気や黴菌を脚気の原因とみるミアズマ説などの西洋医学的見解が有力視されたこと,脚気の治療に良質な空気を不可欠とする見解が,特定の場所の空気に治療効果を期待する気候療法とともに受容されたことで生じた.特に山間地域は結核療養地としての海浜とほぼ同時に,さらに高原に先駆けた療養地として見出だされていたのである.このことは,疾病の原因説の変化によって,場所に対する健康の意味づけも変わることを示している.