地理学評論
Online ISSN : 2185-1719
Print ISSN : 0016-7444
ISSN-L : 0016-7444
北但馬山地における焼畑農業経営とその変容過程
佐々木 高明
著者情報
ジャーナル フリー

1959 年 32 巻 10 号 p. 507-520

詳細
抄録
わが国の焼畑農業は山地の自然にアダプトした特殊な農業であるが,交通手段の発達・食糧自給体制の崩壊とともに,多くの場合,その性格を変化せしめている.北但馬の山村地域において,焼畑農業が明治以後,どのような過程をへて変容し,現在どのような形態をとつて営まれているかを明らかにするのが本報告の目的である.明治初年,焼畑にはヒエ・アワ・ソバなどの雑穀の栽培がさかんに行われ,当時はなお焼畑の農業生産に占める比重が大きかつた.ところが,明治中期以後,外部社会との接触の増加に伴つて,商品経済がこの山村にも浸透し,従来雑穀を栽培していた焼畑に,商品作物として杞柳が導入され,その栽培が農家経済に大きな影響を与えた.一方,大正末—昭和初期頃から,この山村においても植林事業が.はじまり,急斜面の焼畑は,食糧生産を主とするものから林業前作農業としての焼畑へ変化しはじめた.こうして,古い自給的焼畑は,杞柳栽培と植林の2つの極に向つて転化していつたのである.この場合,農家に現金収入をもたらした杞柳の栽培は,主として山腹緩斜面に拡る共有地において,常畑耕地を十分もたぬ下層焼畑農民の手によりはじめられた.その結果,かれらは実質的に共有地を囲込むようになり,現金収入の増加と相まつて,その社会的経済的地位を向上せしめた.かくしてこの山村における焼畑農業の変容過程は,社会階層の変化と関進しつつ進展したということができる.
著者関連情報
© 公益社団法人 日本地理学会
次の記事
feedback
Top