抄録
日本の高度経済成長期以降,桐生・足利・八王子の先進機業地が,製織品種の転換や出機圏の拡大などの対応形態をしめし,それによって産地の存続を図ろうとしたのに対し,秩父機業は,この間に生産品種にもめだった変化もみせず存続してきた.しかしながら, 1965年前後から,需要構造の変化が顕著になり,小幅織物から広幅織物への転換をせまられた.加えて秩父郡内への労働集約型工業の進出は,秩父機業の存立基盤をゆるがすことになった.そのため,工場数・従業員数の減少がめだち,企業も自己の生活基盤の確立をめざし,兼業・転業という形での対応をしめしている。その対応形態から,秩父機業は三つのグループに分類できる. Iは,生産および経営形態を変容させながらも,機屋としての存続を図ろうとするグループ, IIは, IまたはIIIに従属する賃機および家庭内職者のグループ, IIIは,機屋から他業種への転換グループである.