地理
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丹那盆地の耕地と戸數との關係
歴史地理的研究
淺沼 操
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1940 年 3 巻 1 号 p. 1-16

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抄録

以上諸種の資料に依つて徳川時代を主として耕地と戸數について論述したが要約すると、
一、耕地は極めて僅かの増加であつて、全體的には殆ど増加なしと言ふてよい程度である。水田増加の僅少は地形的關係に依るものであるが、畑の増加しなかつたのは經濟機構の制約が主である様で、明治以後急激に増加した。
二、戸數に於ても同様な事實が見られる。之は耕地を最大限に持つ必要と居住空間を求め難かつた爲めとに依るものであるが内容的に見ると必ずしも分家が許されなかつたわけではない。各戸の建坪は想像以上に小さい。
三、耕地の増加が微弱であつた事は丹那の如き隔絶性の強い單純な農村に於ては (生産は限定せられ) その經濟生活は重大なる制約を受けた。
その一つの場合が戸數に現はれて徳川時代の丹那では六九戸を最大數としてその範圍内で新陳代謝が行はれ、一戸毎の廣さも甚だ狹いものとなる事を餘儀なくされた。
明治時代以後に於ける著しい耕地の増加は戸數に於ても驚くべき増加を可能ならしめた。
吾人はここに所謂地理的因果關係の存在を知つたのであつて、 『巷間徳川時代に於ては法の威力に依つて戸數を制限した』 と云はれてゐるが、その眞否は論外として本地域に於て戸數が制限せられたのは地理的必然の結果を示すものである。

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