本研究は戦前、日本に唯一存在したハンセン病患者の自由療養地である群馬県吾妻郡草津町湯の沢部落の社会科学的分析の中から、何がハンセン病患者の隔離の二つの側面である「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」と「感染源である患者からの社会の防衛」のダイナミズムを後者への優位に導いていったのかを明らかにすることを目的とするものである。その過程は湯の沢部落の実態の解明(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究1、II」)、自由療養地議論の展開と消滅の過程の検証と湯の沢部落の関わり(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究III」)、湯の沢部落消滅後にその精神が日本の隔離政策に与えた影響(「草津湯の沢ハンセン病自由療養地の研究IV」)などの研究の総体である。
本稿では湯の沢部落の歴史を描き、その変遷の過程における住民たちの努力、キリスト教者たちの活躍を描くと共に、国家によるハンセン病政策の変遷、特に明治期からの隔離政策と湯の沢の関係が密接である点を示した。またここに、逆境下でも人間はいかに生きようとするのか、何を望むのかを描き、自由療養地の価値をそこに示した。