高次脳機能研究 (旧 失語症研究)
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教育講演:精神疾患における“記憶障害”
精神疾患における“記憶障害”
吉益 晴夫
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2025 年 45 巻 2 号 p. 91-99

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要旨

記憶に支障が出る精神疾患としてPTSDと解離症を記憶障害の観点から考察した。記憶の問題は顕在記憶だけでなく潜在記憶にも関係し,状況によって動的に変動する性質を持つため,フォーマルな記憶検査では問題を検出しにくい。潜在記憶では,古典的条件付けと長距離のプライミングが問題になる。これらの現象があることを意識したうえでの診断と治療が有用である。解離性同一症の本質は,人格の分裂ではなく,記憶の分断である。そのため,治療の目的は人格の統合ではなく,記憶の共有であり,認知リハビリテーションの考え方を応用できる。

Abstract

PTSD and dissociative disorders, which are mental illnesses related to trauma and stress, were examined from the perspective of memory impairment. Memory issues range from explicit to implicit memory and have a dynamically fluctuating nature, making them difficult to detect through formal memory tests. In implicit memory, problems arise from classical conditioning and long-distance priming effects, and being aware of these phenomena can be useful in diagnosis and treatment. The essence of dissociative identity disorder is not a split in personality but a fragmentation of memory. Therefore, the goal of treatment is not personality integration but memory sharing, and the principles of cognitive rehabilitation can be applied.

はじめに

第48回日本高次脳機能学会学術総会(東京都八王子市,福井俊哉会長)の教育講演に,表記のようなタイトルをいただいた。精神疾患において,認知機能低下の報告は多くあるが,一部の疾患を除いては数を集めたときに差が出るものであり,臨床の現場でただちに役に立つものではない。一方,心的外傷後ストレス症(posttraumatic stress disorder:PTSD)や解離症の症状を,記憶機能の視点から捉えることは,病態を理解し,治療方針を定める作業に直結する。今回は,古典的条件付け,プライミングなど,潜在記憶の用語を用いて,精神疾患における記憶障害を整理してみた。登場する精神疾患は,トラウマと関連した精神疾患が中心となった。

個人的な話から始めることをお許しいただきたい。アルコール性コルサコフ症候群の逆向性健忘に興味を持っていた筆者は,2001年に昭和大学横浜市北部病院で記憶障害の専門外来を開始した。ある程度予想されたことであったが,精神科でそのような外来を開設してみると,患者さんはPTSDと解離症の方が大部分を占めた。一方で,そのような患者さんからの診療ニーズが多いことを身をもって知ることになった。また,診療を重ねるにつれて,記憶障害の考え方は彼らの理解や治療に役立つことにも気がついた。2008年10月から,「解離性障害の薬物療法外来」を開始し,勤務先は変わったが現在まで継続している。本稿は,心理療法や薬物療法を専門とする立場ではない筆者が,認知機能の観点から検討したものであることをお断りしておきたい。

専門外来の基本的方針として,表1に示すような内容に留意することは,筆者が自分に課している限界設定でもある。そのため,○○療法と名前のつくような治療法は本稿には登場しない。

表1    解離性障害の薬物療法専門外来の基本的な方針


トラウマとストレスに関連した疾患は,アメリカ精神医学会の『DSM-5-TR精神疾患の診断・統計マニュアル』(日本精神神経学会ら 2023)では,第7章と第8章に記載されている。第7章は「心的外傷及びストレス因関連症群」,第8章は「解離症群」とタイトルがつけられている。本稿で診断に言及するときには,特に断りがない限りDSM-5-TRに準拠して行うこととする。

解離症は,脳内に明確な器質的な病変がないにもかかわらず,意識や記憶に障害をきたす疾患である。しかし,ほかの多くの精神疾患と同様に,バイオロジカルなマーカーは存在しないため,症状を聞き取って診断基準にあてはめて診断することになる。解離症の診断にあたって心因の有無は問われない。心因はあるかもしれないし,ないかもしれない。過去に心因があったとしても,解離性健忘のために心因を想起できないこともある。解離症の診断においては,心因に触れずに診断できることになっている。現実的な対応といえるかもしれないが,本質を回避しているとも思える。

Ⅰ. 解離症の症状

DSM-5-TRでは主な解離症として,解離性同一症,解離性健忘,離人感・現実感消失症が記載される。ICD-10では,解離性運動障害,解離性けいれん,解離性知覚麻痺および知覚脱失が解離症のなかに含まれる一方で,離人・現実感喪失症候群は解離症ではなく神経症性障害に分類されるなど,多少の考え方の相違があった。ICD-11では,解離症の範囲は広がり,これらすべてを含むものになっている。DSM-5-TRとICD-10の共通項は,解離性健忘と解離性同一症であり,これらが解離の中核的な症状であると考えられる。ICD-11において,「解離症は,アイデンティティ,感覚,知覚,感情,思考,記憶,身体の動きや行動の制御のうちの1つ以上の正常な統合における,意図しない中断または不連続によって特徴付けられる。中断または不連続は完全な場合もあるが,より一般的には部分的なものであり,日ごと,または時間ごとに変化する可能性がある」と記載される。解離症の範囲を広げるものである。本稿では,中核的な症状である解離性健忘と解離性同一症について主に述べていきたい。

Ⅱ. 解離性健忘

解離性健忘には,いくつかのサブタイプが存在する。特に重要なのは,解離性全般性健忘と解離性限局的健忘である。典型的な解離性全般性健忘では,明確な発症時期があり,発症以前のすべてのエピソード記憶を想起できなくなる。手続き記憶や意味記憶は保たれるので,通常,スマートフォンが使えなくなる,言語を失うなどの症状は認めない。エピソード記憶については,多くのケースで後に記憶が回復することから,記憶が失われたわけではなく,記憶へのアクセスがブロックされ,想起ができない状態であったと思われる。いったんは覚えていたはずのことを想起できないのであれば,健忘の種類は逆向性健忘と考えられる。解離性全般性健忘では,自分が誰だかわからなくなり,警察に保護されて医療につながることもある。このような自己アイデンティティの喪失は,解離性全般性健忘に特異度が高い症状である。

一方で,解離性限局的健忘では,通常の範囲を超える記憶のギャップを認める。ギャップの持続時間は数分または数時間であることが多いが,数日続くこともある。家族などから記憶がないことを指摘されてはじめて気づくこともあるが,「気がついたら時間が経っていた」「気がついたら別の場所にいた」「買った覚えのない持ち物があった」「知らない送信履歴が残っていた」などと本人が気づいていることもある。しかし,多くの患者は,こちらから尋ねない限り,自ら記憶のギャップについて述べることはしない。

別の主訴で受診した患者が,幼少期のことをほとんど覚えていないこともときどき認められる。それが,どこかの時点で解離性健忘として想起できなくなったのか(逆向性健忘),また,もともと覚えていなかったのか(前向性健忘),または,想起を意図的に回避するうちに想起できなくなったのかは,記録(日記など)や証言(同居している家族などによるもの)がない限り,あとになってしまえばわからない。

Ⅲ. 解離性同一症

解離性同一症の診断基準には,A項に「2つ以上のはっきりした人格状態(personality states)」が,B項に「通常の物忘れでは説明できない,日常生活の記憶想起のギャップ」が記載されている。B項の部分は,解離性限局的健忘で説明した記憶のギャップと同じである。解離性限局的健忘を頻回に繰り返すときには,記憶のギャップが人格交代を反映している可能性がある。「別の人格」として活動中の記憶は,別人格の記憶として蓄積され,別人格のときにだけ想起可能となる。そのような場合,操作的診断基準では,解離性健忘ではなく,解離性同一症と診断することになる。

これらの解離症状は,反復するトラウマに対処するために,幼少期に患者が身につけた防御反応である。子どもは逃げられないので,親からの虐待などのトラウマは反復されることが多いうえに,加害者が同時に養育者であることが心理的混乱を大きくする。防御反応が必要のないときに頻繁に起こるのが解離症である。これは,あたかも警報装置が誤作動しているような状態と考えることができる。

Ⅳ. PTSD

PTSDはいわずと知れたトラウマを体験したあとに生じることのある精神症状である。PTSDを診断するためには,以下の8項目のすべてを満たすことが求められる。A項:トラウマの存在(精神医学にはトラウマの定義がある),B項:侵入症状(フラッシュバックや悪夢),C項:回避症状,D項:過剰覚醒症状,E項:認知と気分の陰性の変化,F項:症状が1ヵ月以上持続,G項:社会的機能の障害,H項:薬物や身体疾患の除外。

このなかで,記憶ともっとも関係するのはB項(侵入症状)である。フラッシュバックは,想起された記憶があまりにも鮮明であり,自分が現在ではなく過去のその時にいるかのように感じる,または,現在に過去のトラウマと同じことが再現されていると感じるような記憶である。また,想起される記憶は必ずしも静止画とは限らず,動画であったり,音声がついていたりする。そのようなフラッシュバックは映画を見ているようにリアルであり,仮に,記憶なのか知覚なのか,過去なのか現在なのかの区別がつかなくなれば,本人の感じる不安や恐怖は,とても大きい。

診断基準のB項は,「心的外傷的出来事の後に始まる,その心的外傷的出来事に関連した,以下のいずれか1つ(またはそれ以上)の侵入症状の存在」で満たすとされ,以下の5つの侵入症状が示されている。

  • (1)   心的外傷的出来事の反復的,不随意的,および侵入的で苦痛な記憶
  • (2)   夢の内容と感情またはそのいずれかが心的外傷的出来事に関連している,反復的で苦痛な夢
  • (3)   心的外傷的出来事が再び起こっているように感じる,またはそのように行動する解離症状(例:フラッシュバック)(このような反応は1つの連続体として生じ,非常に極端な場合は現実の状況への認識を完全に喪失するという形で現れる)
  • (4)   心的外傷的出来事の側面を象徴するまたはそれに類似する,内的または外的なきっかけに曝露された際の強烈なまたは遷延する心理的苦痛
  • (5)   心的外傷的出来事の側面を象徴するまたはそれに類似する,内的または外的なきっかけに対する顕著な生理学的反応

(1)は苦痛なエピソード記憶であり,(2)は苦痛な夢である。PTSDの患者については,通常,(1)または(2)のどちらかの基準を満たすため,診断目的で(3)以降が詳細に検討されることはほとんどない。(3)はフラッシュバックである。これは,(1)に含めてもよいのだが,新たな項目を設けていることが注目される。また,フラッシュバックが解離症状であると記載されており,「非常に極端な場合は現実の状況への認識を完全に喪失するという形で現れる」と現実検討能力にも触れられている。

B項の(4)と(5)において,「内的」は記憶,「外的」は知覚と考えてよいだろう。もし,トラウマの想起が心理的苦痛なのであれば,それは(1)に含まれる。したがって(4)の存在が必要になるのは,エピソード記憶を想起しなくても心理的苦痛が起こる場合であろう。(5)が設けられているのは,心理的苦痛を伴わず,生理学的反応だけが認められることがあるためである。(4)にまとめることもできたかもしれないが,あえて(5)を作ったのは,このような潜在記憶があることの強調と考えられる。ここでいう生理学的反応は,動悸,頻脈,血圧上昇,頻呼吸,呼吸困難感,冷や汗,嘔気,下痢や便秘などである。事故,事件,災害などのエピソード記憶を想起できないにもかかわらず,類似する状況に遭遇すると,生理学的反応が出現するPTSDは,頻度は少ないがありうる。そのような場合,エピソード記憶ではなく,潜在記憶,特に潜在記憶のなかの古典的条件付けが働いている。記憶の分類でいうと,(4)と(5)には,具体的な出来事を想起しないにもかかわらず,心と体が反応するものが含まれており,それは潜在記憶に分類される。

Ⅴ. 古典的条件付け

記憶の分類をここであらためて提示する必要はないのかもしれないが,記憶の話をしていることを忘れないために,一般的なことを表2に提示する。

表2    記憶の分類


古典的条件付けは,PTSDや解離症では重要なキーワードになる。パブロフの犬の実験から入ることとする。パブロフの実験は,①:犬にメトロノームを聞かせる,②:犬に餌を与える,③:①と②を繰り返す(=条件付け),④:犬はメトロノームの音を聞いただけで唾液を出すようになる(=条件反射),というものである。

ここで大切なことは,唾液を出すことは意図的に行うのではなく,無意識的に生じていることである。コントロールできない現象となる。このような古典的条件付けは,恐怖に関してはより簡単に形成されるので,恐怖条件付けと呼ばれることもある。生物が生き延びていくために必要な機能でもある。また,ネズミは恐怖を感じるとすくみ反応が出てくるため,外部から観察が可能であり,さまざまな実験系を組み立てやすい。

ヒトの場合も,古典的条件付けが形成されると,本来なら怖くないはずのことがらであっても,トラウマと共通点のある人・物・状況などを知覚すると,トラウマを想起したときと同様の生理学的反応が,自動的に出現する。

Ⅵ. 解離症とPTSDとの近い関係

症例からみていただく。この症例は,架空であるが,解離症外来で経過を追ううちに,解離症からPTSDに診断が変更になったケースである。

【症例1】 28歳,女性。頻回の嘔吐のために内科に入院していた。病室の蛍光灯が切れたために,青い服を着た男性作業員が近くで作業をしたところ,患者は意識を失った。精査をしたが,てんかん,脳炎,脳血管障害などは否定された。やがて,青い作業服を着た人を見たり,男性の大きな声を聞いたりすると,意識を失い,回復した後も前後の記憶がないことがわかった。

(考察1:青い服の男性を見たことがトリガーになったようだ。何らかの古典的条件付けがなされているのだろう。)

内科を退院したあと,安心できる安全な環境が必要との判断で,オートロック付きの安全な部屋に転居した。数ヵ月後に,なぜか父親と似た服装の人を見ると症状がでるようだと語った。

(考察2:古典的条件付けの発端がわかりかけてきた。)

さらに数ヵ月後に,幼少期に父親から虐待を受けていたことを思い出したと語った。いったん思い出したあとは,意識を失って倒れることはなくなった。しかし,思い出した記憶は鮮明であり,意図しないときにその想起が頻回に起こることは新たな苦痛となった。

(考察3:想起できない遠い過去の記憶が,無意識のうちに,現在の思考,感情,行動に影響を与えていた(筆者は,長距離の“プライミング”と考えている)。トラウマを想起したことで(PTSDのA項基準を満たしたので),診断は解離症からPTSDに変更された。)

古典的条件付けの用語を使用せず,因果関係で説明すると,図1のようになる。解離症状がなぜ生じているかを探るときに,いきなり根本的なものに辿り着くことは少ない。通常は原因らしいものがようやく見つかり(この症例では青い作業服の男性),そして,さらに深い原因らしいものが見つかり,順番に過去に遡って,もっとも根本的なものが最後に出てくる。これが,原因だろうと思っていても,長い経過のうちにさらに過去のトラウマを想起することもある。これは,解離性健忘によって,核心に近い記憶ほど想起されにくいためである。

図1    見せかけの因果関係

見せかけの因果関係:安全な環境にいるにもかかわらず,解離症状が頻発していることから,何らかの古典的条件付けがなされていると考える。症状発症のトリガーを知ることは大切であるが,トリガーの回避,トリガーへの馴化だけでは,根本的な解決にはならない。

根本の因果関係:過去の記憶が,症状発現のトリガーとリンクしており,現在の思考・感情・行動に影響を与えていることがわかった。過去のエピソード記憶の想起ができたら,その記憶を安全な記憶に上書きする。

Ⅶ. PTSDのサブタイプ

Hopperら(2007),および,Laniusら(2010)は,PTSDに2つのサブタイプが存在することを提唱している。再体験・過覚醒型(PTSDの70%)と解離型(同30%)である。再体験・過覚醒型では,前頭前野による辺縁系への抑制が低下し,解離型では同じ前頭前野による辺縁系への抑制が過剰に行われているとされる(図2)(Yehudaら 2015)。このことは,再体験・過覚醒型のPTSDでは,頻脈がしばしば認められるのに比較して,解離型では認められないことにも繋がる。

図2    PTSDにおける感情制御の低下と亢進

(Yehuda R, Hoge CW, McFarlane AC, Vermetten E, Lanius RA, Nievergelt CM, Hobfoll SE, Koenen KC, Neylan TC, Hyman SE. Post-traumatic stress disorder. Nat Rev Dis Primers. 2015;8;1:15057. doi:10.1038/nrdp.2015.57)

前述の症例は,Laniusら(2010)であれば,解離型のPTSDから,再体験・過覚醒型のPTSDになったというであろう。このように,解離症とPTSDとの間には移行があることから,両者は距離の近い疾患だと思われる。トラウマの記憶があるか,または,第三者の証言があればPTSDに,本人にトラウマの記憶がなく,第三者の証言も得られないときには,解離症と診断される傾向がある。

Chibaら(2021)は,腹内側前頭前野と扁桃体の相互抑制モデルを提唱している。再体験・過覚醒型と解離・低覚醒型は静的な区別でなく,動的に移行すると考えるものである。相互抑制モデルによると,2つの状態は無意識的にスイッチングしており,解離・低覚醒から,再体験・過覚醒にスイッチングするときに不安が亢進する。扁桃体が活性化すると,恐怖へ向いた注意が発生し,再体験症状が生じる。一方,腹内側前頭前野が活性化すると,恐怖から遠ざかる注意が発生し,回避や解離が生じる。扁桃体の過活動は,新たなストレスやトラウマを知覚しているときに起こるだけでなく,腹内側前頭前野による抑制が低下したときに生じる。腹内側前頭前野による抑制低下には,抑うつエピソード,飲酒,一部の睡眠薬などとの関連が想定される。

Ⅷ. 遠隔記憶における連想記憶(プライミング効果)

同じ状況や状態のときの記憶は想起しやすい。たとえば,①気分:抑うつ状態のときには過去の抑うつ状態の記憶が想起されやすい。②飲酒や薬物:飲酒時や薬物使用時には,過去に使用したときの記憶が想起されやすい。③言語:外国語を話すと,その言語を話した過去の記憶・感情が優先的に呼び起こされる。さらに,④知覚:現在の知覚をトリガーとして,過去の同様の記憶が次々と想起されやすくなる。これは,Proust VLGEMの『失われた時を求めて』のなかで,マドレーヌ効果として知られている。幼少期の知覚が,年月を経た後の主人公の記憶,感情,行動に影響を与える。

プライミング効果とは,刺激が,後続の刺激に対する反応や記憶の想起に影響を与える現象である。先に提示された情報や刺激が,その後に続く認知的なプロセス(想起,行動など)を無意識のうちに促進する,あるいは遅らせる。現在から過去をみれば連想の亢進,過去から現在をみればプライミング効果といえるだろう。

Ⅸ. 解離性同一症の人格状態のスイッチにおける古典的条件付け

次の架空症例は,刺激によって人格交代をきたす22歳の解離性同一症の女性である。潜在記憶(古典的条件付け)の関与を理解いただきたい。

【症例2】22歳,女性。希死念慮のために受診した。精神科を初診したときには,5つの交代人格,抑うつ気分,反復する過食と拒食を認め,解離性同一症の診断を受けた。診察で父親のことを詳しく尋ねたときに,全身を震わせて固まってしまった。付き添っていた人が体を揺すって声をかけると元に戻った。診察を終了する間際に,診察室で意識を失って倒れた。数分後に何事もなかったかのように,意識を取り戻した。

(考察1:意識を失ったのは解離症状(解離性意識消失発作)であろう。)

4回目の診察では,自分から話している間は調子がよかったが,こちらから尋ねたときには,瞬目が目立つようになり,声かけで我に返った。診察を終えた直後に廊下で倒れた。倒れた後に起き上がると,「先生はじめまして,○○です」と子どものようになって,別人の名前を述べた。通院は継続したが,診察室を出て処方箋を待つ間は,幼児のようになることを繰り返した。幼児のようになったときの言動は,普段の自分に戻ったときには想起することができない。

(考察2:診察のたびに,瞬目→無動・一点凝視→解離性人格交代を認めた。何かトリガーがあるのだろうがわからない。)

診察が終わると子どもの人格に変わることに言及したところ,電車とか教室とかのドアが閉まった瞬間にドキドキが出ると言う。「過去の記憶と関係ありますか?」と尋ねると,「小さいときに父に閉じ込められたことがよくあったのでそれかもしれません」と答えた。それ以来,病院で倒れることはなくなった。

(考察3:トリガーは診察室のスライドドアの音であった。ドアの音が恐い理由は古典的条件付けである。エピソード記憶を想起できてから,解離症状は軽減した。)

Ⅹ. 人格状態は記憶である

ここから先は,筆者の私見である。記憶に引きつけて解離性同一症を理解する試みである。基本的な考え方として,解離性同一症で認められるのは,人格の分裂ではなく,記憶の分断であるとするものである。何かが証明されているものではなく,証明することもできないかもしれないが,人格を統合するという治療方針は,患者にとって理解しにくく,時に受け入れがたいものである。一方,記憶を統合するという治療方針は,目標として共有しやすい。また,記憶の認知リハビリテーションの手法を取り入れやすい。たとえば「自分がしたことを紙やスマホに記録して,自分のなかのほかの人にわかるようにしましょう」「自分のなかの別人に,その人がしたことを皆に伝えるように働きかけましょう」などと促す。さまざまな記憶デバイスも活躍する余地がある。

Ⅺ. 健忘障壁

健忘障壁とは解離症において分断された記憶の間の壁である。健忘障壁があると,1つの記憶のブロックを想起しているときには,別の記憶のブロックにアクセスできない(しにくい)。新しい記憶のブロックを作るのは,恐怖のために受け入れることができなかったエピソードか,または,自分自身の感情として受け入れることができなかったエピソードからなる記憶である。図3は,解離性同一症における健忘障壁による記憶の分断を示すものである。

図3    解離性同一症における記憶のコラムと健忘障壁

縦のコラムが過去の記録のブロックを示しており,上にいくほど遠い過去の記憶となり,新しい記憶はボトムの部分から登録されて,時の経過とともに上に上がっていく。1番ボトムの部分が現実との接点である。現実との接点を持つ記憶のブロックは活性化され(本図ではスポットライトを浴びている),優先的に想起されるようになる。解離性同一症では,健忘障壁(本図では縦の太線)が生じる。健忘障壁ができると,異なる記憶のブロックへのアクセスを失う。本図は,子ども時代の記憶を多く有する記憶のブロックが,現実との接点を有しており,子ども時代の記憶が目立つようになったことを示す。健忘障壁のために,それ以外の記憶にアクセスできない結果,患者は子どものように振る舞う。子どものときの記憶しかなければ,子どものようになるだろう。

健忘障壁が先にできて,別々のブロックに記憶が保存されることもあるが,健忘障壁が後から生じて,過去に遡って記憶が分断されることもあるだろう。健忘障壁は徐々にできる(徐々に壁が高くなる)こともあるし,ある日,急にできる(いきなり壁が生じる)こともあるだろう。また,健忘障壁の壁の高さは一定ではなく,状況によって変わることもありうる。健忘障壁が高いときには,ほかのブロックでの出来事はまったく想起できないが,健忘障壁が低いときには,部分的には想起できる。

解離性同一症では,記憶は交代でアクティブになる。同時に2つのブロックがアクティブになることはない。1つの記憶のグループがアクティブになっているときには,そのグループに属する過去の記憶が想起される。ほかのグループに属する記憶は想起されない。人格は記憶のグループにつけられたラベルであり,分断されているのは人格ではなく記憶である。

Ⅻ. 解離性全般性健忘

解離性同一症が横の分断であるとすれば,解離性全般性健忘は記憶の縦の分断といえる。しかし,解離性全般性健忘を,2つ目の人格状態になったまま,元に戻らない状態と考えれば,縦横を区別することはそれほど重要でないのかもしれない。

XIII. 神経心理学的な記憶評価

解離症に記憶の問題が大きいのは明らかだが,通常のフォーマルな記憶検査では,その異常は検出されにくい(表3)。

表3    解離症の典型的な神経心理検査結果


○は正常所見,×は成績低下,×××は特に成績低下が著しいことを示す。

解離性限局的健忘にみられる時間的に限定された記憶の欠損は,情緒の安定したときに安全な場所で行う記憶検査では検知されない。解離性全般性健忘の自伝的記憶に関する検査は,ほとんど0点なのが特徴であり,特に自己アイデンティティ(名前や生年月日に加えて,履歴書に書くような経歴)の障害が強く目立つ。解離性同一症の逆向性健忘の検査結果は,どの人格状態にあるかで一定しない。同じ人格状態の間のことは想起できるだろう。

まとめ

PTSDと解離性健忘では,トラウマの潜在記憶,古典的条件付け,フラッシュバック,長距離のプライミングなどを考えながら診断を行い,前頭前野と辺縁系の相互作用をイメージしながら,トラウマのエピソード記憶を少しでも安全なエピソード記憶で上書きする。解離性同一症は,人格の分裂ではなく,記憶の分断である。診断には神経心理学的な考え方が,治療には記憶の認知リハビリテーションの手法が役立つ。

COI

本論文に関連し,開示すべきCOI状態にある企業,組織,団体はいずれもない。

文献
 
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