【背景】片麻痺憎悪における麻痺肢への憎悪感情や自傷行為の生起条件ならびに経時的変化については十分に検討されていない。【方法】右半球損傷1例に対し,発症4日目から30日間,1日4回の頻度で①麻痺肢の非所属感②麻痺肢の他人帰属感③麻痺肢に対する憎悪感情・自傷行為に関する質問評価を行った。【結果】本例は麻痺肢を自己と認識した際に憎悪感情を抱き,自傷を行ったと回答した。一方で,麻痺肢を内縁の妻と認識した際には自傷をしなかったと回答した。憎悪感情や自傷行為と,非所属感や他人帰属感といった身体パラフレニア症状の経過は一致しなかった。【考察】本研究の新規性は,片麻痺憎悪の症状を自己報告による行動データを用いて経時的に検討した点にある。本例の憎悪感情は,麻痺肢を自己と認識した際に生じ,誤認対象だった内縁の妻との関係性が自傷行為を抑制したと解釈できた。憎悪感情や自傷行為は,麻痺肢の自他帰属感および誤認対象が影響する可能性がある。
Background:The conditions under which feelings of hatred and self-injurious behavior toward a paralyzed limb develop and change over time in Misoplegia have not been thoroughly investigated. Method:A patient with right hemisphere damage was assessed four times a day for 30 days, starting from the fourth day after onset. The assessment consisted of questions regarding:1) feelings of disownership of the paralyzed limb, 2) feelings of the paralyzed limb belonging to someone else, and 3) feelings of hatred and self-injurious behavior toward the paralyzed limb. Results:The patient reported feeling hatred and inflicting self-harm when recognizing the paralyzed limb as their own. Conversely, the patient reported no self-injurious behavior when perceiving the paralyzed limb as their common-law wife. The courses of hatred and self-injurious behavior did not align with the progression of somatoparaphrenia symptoms, such as the sense of disownership or the feeling that the limb belonged to someone else. Discussion:The novelty of this study lies in its longitudinal examination of hemiplegic hatred symptoms using self-reported behavioral data. In this case, it was interpreted that feelings of hatred arose when the paralyzed limb was recognized as the self, and the relationship with the common-law wife, who was the object of misidentification, suppressed the self-injurious behavior. It is possible that feelings of hatred and self-injurious behavior are influenced by the patient's recognition of the paralyzed limb as self or other, as well as the object of misidentification.
片麻痺憎悪(misoplegia)は,Critchley(1955)が初めて記述した,「麻痺肢に対して異常な嫌悪を向け,ときに麻痺肢への暴力を伴う症候」である。Critchley(1955, 1974)の報告以前から,麻痺肢へ異常な認識や行動を示す症候が報告されており,その1つに身体パラフレニア(somato-paraphrenia)がある。身体パラフレニアは,1942年にGerstmannが提唱し,自己所有感の消失を伴う身体認識の異常として取り上げられた(Gerstmann 1942)。
片麻痺憎悪と身体パラフレニアは,おもに右半球損傷によって引き起こされる麻痺肢への異常な認識・行動であるという共通点がある。しかし,片麻痺憎悪と身体パラフレニアの関係性については,現時点では不明確な点が残る(Loetscherら 2006,Vallarら 2009)。一例として,片麻痺憎悪に着目して先行研究を渉猟すると,片麻痺憎悪が出現する背景として,麻痺肢が患者自身に帰属するか否か(自己か非自己か)という観点からは検討がなされていないことが挙げられる。
われわれが介入した症例は,ある時に麻痺肢を内縁の妻と誤認し,内縁の妻と誤認した際には暴力行為をしなかったが,自身の手と認識した際には暴力行為をしたと訴えた。この訴えは,「片麻痺憎悪患者においては一般的に麻痺肢を自己と認識していない場合に自傷行為が出現する」というDelgadoら(2018)の指摘とは反対のパターンを示していた。本研究の目的は,本例における麻痺肢への自傷と麻痺肢の自他帰属感の関係を検討することであり,この点を検討することは片麻痺憎悪のメカニズムを探索するための新たな視点を提示できる可能性がある。
【症例】70歳代,右利き,男性,教育年数は12年。入院前は自由業に従事していた。
【既往歴】右後頭葉梗塞(約10年前),高血圧症,脂質異常症,左変形性膝関節症。
【現病歴・経過】テレビ鑑賞中に左半身の麻痺が生じていることに内縁の妻が気づき,当院へ救急搬送された。発症2日目からリハビリテーションの介入を開始し,本研究にかかわる評価も実施した。発症4日目から,下に詳述する身体認識の異常を示唆する言動が観察されはじめた。発症10日目に測定したMini-Mental State Examination(MMSE)の即時想起の課題中には,「桜…桜は花札のなかにもあるから…」などと課題中の刺激に関連した話を開始し,そのまま話し続けるなどの様子がみられた。発話は多弁であり,易怒性 / 被刺激性の亢進を認め,病棟スタッフとはしばしばトラブルが生じた。左口腔顔面の麻痺により,軽度の構音障害がみられたが,内言語の障害は認めなかった。また右手による道具の使用,パントマイム動作に異常はみられず,抑うつや不安,多幸,意欲障害を疑う症状も行動観察上みられなかった。発症30日目にリハビリテーション継続目的で回復期病院に転院した。
【神経学的所見】初回介入時の意識はGlasgow Coma Scale(GCS)にてE4/V5/M6であり,意思疎通に問題はなかった。場所,日付の見当識は保存されていた。視力そのものにあきらかな異常はみられなかった。一方で顔面を含む左片麻痺を認めた。Brunnstrome stageは左上肢Ⅳ / 手指Ⅳ / 左下肢Ⅳで,左上下肢の腱反射が亢進し,左側のBabinski反射が陽性だった。左半身の痛覚・触覚,深部感覚のいずれも脱失していた。座位,および立位でPusher症候群を認めた。入院期間の30日間で,神経学的所見の明らかな改善は認められなかった。
【放射線学的所見】発症4日目に撮像した頭部MRI拡散強調画像では右側頭-後頭-頭頂葉におよぶ広範な梗塞を同定した。右島後部,右前頭弁蓋部の一部にも病変がおよんでいた(図1)。

【神経心理学的所見】発症10日目時点のMMSEの得点は20/30点で,時間の見当識や即時想起,計算,書字指示,自発書字,図形模写の項目で減点を認め,得点は退院まで変化がなかった。同日測定したFrontal Assessment Battery(FAB)は5/18点であり,把握行動以外のすべての項目で減点がみられた。発症14日目に測定したBIT行動性無視検査日本版(Behavioural Inattention Test:BIT)では,通常検査20/146点と著明に得点が低下しており,右向き徴候も観察される重篤な左半側空間無視を呈していた。BITの得点は,転院先での入院時評価においても24/146点と明らかな改善はみられなかった。
【身体認識の異常】発症4日目に言語聴覚士が体調について尋ねると,「男が首を突く」「首を絞められる」「彼女に足をこつんとされる」などと訴えた。詳しく聴取すると,左上肢を自傷していると訴えた。ただし,自傷の対象は自己であると説明した。この自傷行為は本人の訴えとして聴取され,入院期間を通して医療者が直接的に自傷の場面を観察することはできなかった。ただし左上肢に複数個所のあざが確認された。
身体状況に関する質問をすると「動かしづらい」と話し,片麻痺を積極的に否定はしなかった。しかし,この片麻痺の認知は入院期間中に変動し,口頭で身体状況を確認した段階で麻痺を訴える日もあれば,医療者が麻痺の存在を指摘した後でないと麻痺を認めないこともあった。また自身の日常生活動作(activities of daily living:ADL)能力を過大評価する傾向があり,「俺は歩ける」と話すなど,積極的な片麻痺の否認(anosognosia for a hemiplegia)はないが,片麻痺に対する病識の低下(anosodiaphoria)がみられた。発症27日目には「体の調子はどうですか」という質問だけで,一貫して麻痺を訴えるようになったが,ADL能力の過大評価傾向は残存した。また,左上下肢の肢位に無頓着な様子がみられた。
麻痺肢への憎悪・自傷と麻痺肢の自他帰属感の関係を検討するために,半構造化面接法を用いて本人に症状について聴取し,その経時的変化を記録した。
評価は発症4日目より開始し,本例に対して原則1日4回の口頭質問を実施した。具体的な質問は,「①この手を自分の手に感じますか」(自己所属感の有無),「②この手を他人の手に感じますか」(他人帰属感の有無),「③この手に腹が立ちますか,この手を殴ったり痛めつけたりしていますか」(片麻痺憎悪・憎悪感情と麻痺肢に対する自傷行為の有無)の3項目であった。各症状の有無の判定については,本例に対して「ある(YES)・ない(NO)」で回答するよう求めた。麻痺肢の擬人化(personification)の症状については,回答中の言動をもとに評価した。また,質的な検討を加えるための内省報告の記述として,「④この手は誰の手ですか」という質問を行い,本例の回答を記録した。他人帰属感の有無を尋ねた際に,「他人の手に“感じる”」と表現した場合は「ある」と判定し,「たまにある」と話した場合は,「いまはどうですか?」と質問時点での症状の有無を回答するよう求めた。また質問間で一貫性がない回答(例:「質問④で「私の手です」で答えたが,質問②で「自分の手に感じない」もしくは質問③で「他人の手に感じる」と答える)がみられたが,矛盾を指摘するなどの対応はせず,返答をそのまま記録しカウントした。質問の時刻は,9時,12時,15時,19時の4時点に設定した。質問は言語聴覚士,作業療法士,看護師が行い,質問者には筆頭著者が実施方法と記録方法を指導し,データ収集の方法を統一させた。具体的には,質問の際は可能な限り左手を視覚的に認識させること,質問の文言は変えないこと,返答は書き漏らしなく詳細に記載することを統一した。言語聴覚士,作業療法士には,必ず訓練前に質問するよう指示した。
2. データの分析入院期間の30日間を,身体に関する妄想のような症状を呈したⅠ期(妄想期),麻痺肢を誰の手でもないと話したⅡ期(左手使用者の不在期),症状が全体的に寛解していったⅢ期(寛解期)に分類した。症状の変化に基づいて期間を設定し,3項目の質問による症状出現数を質問数で除して算出した各症状の出現割合を基に症状の変化を分析した。また,質的な検討のために,本例の内省報告を詳細に記録した。
症状の経過を確認するため,各期間における症状の出現割合の変化を図2に示した。具体的には質問①に「NO」と答えたもの(自己所属感の欠如,すなわち非所属感)の割合をプロットした。また質問②は「YES」と答えたものをプロットし,片麻痺憎悪は質問③の憎悪感情に関する質問に「YES」と回答したものをプロットした。内省報告の経過および聴取した内省の一部については表1に記載した。

1. Ⅰ期 妄想期(発症4~17日目)
質問評価の結果,片麻痺憎悪は22回の質問回数のうち19回,非所属感は25回のうち11回,他人帰属感は25回のうち7回の頻度で症状が確認された。Ⅰ期の前半は誰かに体を触られるという訴えが目立った。発症4日目に「(男が)首を突く」「首を絞める」「彼女に足をこつんとされる」などと訴え,触られ方,触ってくる相手については訴えの多様性がみられた。また左手への憎悪感情を訴え,自傷の有無を問うと,自傷行為を認めた。その対象について「殴るのは自分の手。彼女を殴ると(自分と彼女は)他人だから,(彼女が自分に)嫌気がさす」と話した。会話の文脈から,「彼女」が内縁の妻を指しているとわかった。また,首を突いてくるという男性に対しても腹立たしさと不快感を訴えた。この日,他者に体を触られるという現象について,その相手が内縁の妻であると誤認すると自傷行為は出現せず,自身の手や男の手であると認識すると腹が立ち,ときに自傷行為をすると訴えた。このような訴えが目立った期間中,視覚的に注意を向けた左手については「自分の手」であると正しく認識しており,非所属感や他人帰属感は生じていなかった。また,他者が自身に触れてくるという自身の訴えの異常性について自覚がある様子で,「科学的なところ(病院)でこんなことを言うのはおかしいと思う」とも話した。
発症9日目からは,他者に体を触られるという訴えが消失し,非所属感,他人帰属感が出現した。また「左手ごときが俺に逆らう」という訴えがみられたが,このような反応は全経過を通じて1回のみであった。また,この訴えを述べた際,大林ら(2008)の症例のように麻痺肢に人格を持たせ語り掛けるような様子は観察されなかった。発症16日目に自傷行為が消失した。左手の帰属先は「他人の手」「あなた(医療者)の手」などと変動し,明確な固有の他者に帰属させはしなかったが,自身のものではないという主張も観察された。「自分のじゃないけどそういう思い込みでしょうね。実際は自分の手なんだろうけど,どうしても自分のものじゃないと感じてしまう」という内省もきかれ,葛藤しながらも左手を自身のものであると判断できることもあった。
2. Ⅱ期 左手使用者の不在期(発症18~22日目)Ⅱ期は,左手の帰属先が消失したように思われる内省が目立った時期である。片麻痺憎悪は質問回数14回のうち11回,非所属感は14回のうち10回の頻度で症状が確認された。他人帰属感は14回のうち1度も症状が確認されなかった。発症18日目に「自分の手ではないし他人の手でもない。誰の手かわからない」と話し,他人にも自身にも左手を帰属させない発言が聞かれた。まれに「自分の手」「あなたの手」と話す場合もあったが,基本的には「わからん」「俺の手じゃない」という発言が持続した。また「常に腹は立たなくなったけど,たまに思うように動かないと切り落としたくなる。左手や左足には愛着が持てない」など,麻痺肢への憎悪感情に関する特徴的な内省も聞かれた。
3. Ⅲ期 寛解期(発症23~30日目)片麻痺憎悪は質問回数21回のうち10回,非所属感は21回のうち6回,他人帰属感は21回のうち2回の頻度で症状が確認された。発症23日目に帰属先について,「わからん…」と話した直後,自発的に「いや,私の手」と打ち消した。「私の手じゃないと思いたいが自分の手」のように,最終的には左手の帰属先を自己にあると述べるようになった。
本例は,発症初期に麻痺肢に対する妄想様の症状と麻痺肢に対する自傷行為を伴う憎悪感情が出現した。その後,身体に関する妄想のような症状はいったん消失したものの,身体認識に関するさまざまな異常が出現し,経過のなかで左手の帰属感も変化した。
以下,身体パラフレニアと片麻痺憎悪の位置づけを整理し,本例の症状を分析するうえで重要と思われる着眼点を示す。本例に観察された片麻痺憎悪とその他の症候の経過から,片麻痺憎悪と身体パラフレニア,そのほかの関連症候に関して検討したうえで,本研究の限界を述べる。
1. 身体パラフレニアと片麻痺憎悪の位置づけ片麻痺憎悪に関する先行研究には,大きく分けて2つの見解が存在する。1つは,Gerstmann(1942)が提唱した身体パラフレニアの概念に片麻痺憎悪が含まれるとする見解である(峰松 1991)。この見解では,自己所有感の消失に妄想的な要素が加わる身体パラフレニアという症候のなかで,片麻痺憎悪が生じると解釈されている。もう1つの見解は,身体パラフレニアと片麻痺憎悪が独立して生じる可能性があるとされるものである。Vallarら(2009)は身体パラフレニアについての総説を書くにあたり,その射程として,身体パラフレニア,すなわち,半球損傷部位の対側の身体に関する妄想的信念(たとえば肢の所有権を否定する)を呈した脳損傷患者についての報告をまとめた。Vallarら(2009)は「本論文では,麻痺した肢の人格化や片麻痺憎悪などがたとえあったとしても,実在する肢についての妄想的信念が伴わない症例については,ここに含めなかった」と記載している。この記述からVallarら(2009)は,麻痺した肢の人格化や片麻痺憎悪には,必ずしも身体パラフレニアが伴うわけではないと考えていることがわかる。また,Loetscherら(2006)の片麻痺憎悪に関するミニレビューでは,片麻痺憎悪を呈した7症例のうち4症例で身体パラフレニアを認めず,片麻痺憎悪が必ずしも身体パラフレニアを伴わないことを示唆している。
身体パラフレニアの概念に片麻痺憎悪が含まれるとする見方では,麻痺肢を自己と認識せず他者に帰属させた状態で殴打行動が生じると解釈される(Delgadoら 2018)。一方,身体パラフレニアを伴わず片麻痺憎悪が単独で生じる場合(Mossら 1996,Cantagalloら 1998,Loetscherら 2006)には,麻痺肢を自己と認識したうえで憎悪感情や殴打行動が発生している可能性がある。しかしCritchley(1955)を含む既存の報告には詳細な経過の記述が乏しく,報告された片麻痺憎悪例における憎悪感情や自傷行為の対象が自己か非自己かという視点から考察されていない。身体パラフレニアに片麻痺憎悪が包摂されるとすれば,殴打の対象は必ず非自己であると考えられるが,両者が独立した症候である場合,必ずしも非自己に限定されない可能性がある。本例では,麻痺肢を自己と認識した際に憎悪感情や自傷行為が認められ,非自己と認識した際でも男性であるか,また内縁の妻であるかなどという対象者の違いによって憎悪感情に変化が生じた。このように,憎悪感情の発生やその対象の変化には,麻痺肢の自他帰属感と,誤認した他者との関係性が複雑に影響していると考えられる。
次項からは,本例の麻痺肢に対する認識と片麻痺憎悪の時系列的変化から,現状において片麻痺憎悪をどのように捉え,位置づけるのが適切か検討する。
2. 片麻痺憎悪とその他の症候の経過は一致するかⅠ期において本例の自傷行為は自己に対して行われ,「首を突いてくる男の手」に対して憎悪感情や腹立たしさを示し,自身の左手を内縁の妻と認識した際には「殴らない」と明言した。これらの訴えから,麻痺肢の自他帰属感が憎悪感情や自傷行為に関連している可能性が示唆される。また,自傷行為があった期間中,「自分の手なのに自分の手みたいに動かないから腹立つ(表1,発症10日目)」と内省を報告し,自傷行為が消失したのちも「たまに思うように動かないと切り落としたくなる。左手や左足には愛着が持てない(表1,発症18日目)」など,麻痺肢への憎悪感情は,非自己ではなく自己に向いていると解釈可能だった。
図2をもとに期間ごとの変化に注目すると,片麻痺憎悪の症状が軽減していく経過のなかで,非所属感と他人帰属感は異なる出現頻度パターンを示しており,経過に一致がみられなかった。では麻痺肢を他者に帰属させる妄想的態度と片麻痺憎悪には関連があるのか,「④この手は誰の手ですか」という問いへの返答から検討すると,Ⅰ期では「あなたの手」(発症6日目)や「他人の手」(発症16日目)との回答を7回(総質問数25回)認めたが,Ⅱ期では観察されず,Ⅲ期では2回(総質問数21回)のみ他人の手であると回答した。このように,身体パラフレニアの中核的な症状である麻痺肢の所有権の否定と妄想的な訴えは浮動的であり,片麻痺憎悪の改善と麻痺肢を他者へ帰属させる態度の頻度も,測定しえた限りでは一致しなかった。このことから,本例が呈した片麻痺憎悪を身体パラフレニアに包摂された概念であると解釈することは困難であると考えられた。
3. 片麻痺憎悪と関連症候に関する考察ここで片麻痺憎悪と身体パラフレニアはどのような関係性であると解釈可能かを検討する。1つの仮説として,この2つの症候を生じさせる脳損傷部位がある程度重なっており,解剖学的・機能的な関連性により,同時に障害されやすい症候であるという可能性がある。その結果,身体パラフレニアと片麻痺憎悪が出現した症例と,身体パラフレニアは認められず片麻痺憎悪のみ出現した症例,また片麻痺憎悪を伴わない身体パラフレニア例という差異が生じたのかもしれない。
“同時に障害されやすい症候”という枠組みで過去の片麻痺憎悪例を俯瞰すると,感情制御の困難さという因子も重要である可能性がある。Pearce(2007)は片麻痺憎悪の総説において,片麻痺憎悪を生じさせる脳内の病変が,感情的な衝動の抑制・制御に影響を与える可能性について言及している。片麻痺憎悪例7症例を扱ったLoetscherら(2006)のミニレビューでは,4症例において易怒性の亢進や衝動的行動,抑うつなど感情制御の困難さが生じていた。本例においても易怒性の亢進がみられ,病棟看護師とのかかわりのなかでトラブルが生じていた。このような感情制御の不良さと片麻痺憎悪との関連については,検討の余地があると考えられる。
片麻痺憎悪はさまざまな要因が影響して生じる症候であり,その要因の組み合わせの差異が病態理解を複雑化している可能性がある。本研究で言及した麻痺肢の自他帰属感という側面から片麻痺憎悪例を検討することの妥当性について検討を重ねるとともに,症状の発現に関連していると考えられる複数の要因を基にした症例報告の蓄積が重要であると考える。
4. 本研究の限界本研究の評価手法は患者の自己報告に依存している。エピソード記憶の良好さを根拠に,本例の内省の聴取は有用であると考えたが,感覚的な報告や自他帰属感の問題は特に解釈に注意を要する。加えて,患者の憎悪感情や自傷行為といった感情・行動の評価も自己報告に依存しているため,これらの症状の真の性質や程度が正確には把握できていない。また,評価を行った全期間において,左手への自傷行為の場面を医療者は直接観察できなかった。直接的な行動観察が可能であったならば,感情・行動評価の信頼度が向上するため,この点も解釈上の限界であると考える。
最後に,本研究は神経心理学の枠組みでこのような現象を考察したが,本例の自傷行為と,麻痺を伴わない症例の自傷行為の間にどのような相違点があるのかについては,さらなる議論が必要と考えられた。この点については,脳卒中後に自傷行為を行った症例の報告を蓄積するとともに,麻痺の有無や麻痺肢への妄想の有無などの条件を踏まえて症例間の比較検討を行う必要がある。
本例に研究目的や成果報告の方法について,文書及び口頭にて説明し,同意書への署名を得た。
本研究の要旨は第46回日本高次脳機能障害学会学術総会(2022年12月)において発表した。著者全員に本論文に関連し,開示すべきCOI状態にある企業,組織,団体はいずれもない。
データ収集にご協力いただいた,JCHO熊本総合病院の清水翔三先生,秀島健介先生,永溝桃花先生,そして看護部の皆様に厚く御礼申し上げます。