2019 年 2019 巻 29 号 p. 162-167
戦後学校建築のはじまりにおいて,「鉄筋コンクリート造校舎の標準設計」(1949)のモデルスクールとして建設された西戸山小学校(1950)は,学校建築の質的向上を図ろうとしたエポックメイキングな建築だという評価と,従来的な学校建築を踏襲したものだという評価が相半ばしている.このような評価の混在はどのように理解することができるのか.本報告では,戦後から1960年代までの学校建築計画研究の展開を参照して,当時の学校建築の評価を分ける「計画性」の合格ラインがどのように引かれていたのかを考察する.