悲劇と他者の視点から、教育におけるコロニアリズムを抜け出す契機がもたらされるという丸山氏の主張は、教育の希望に向けて新たな展望を開くものである。この意義を一層明かにするために、本稿では三つの問題提起を試みる。それは、(1)知識への懐疑主義についての著者の立場、(2)「知りえない他者」という言明によって著者が志向する新たな知性の方向性、および、(3)ポストコロニアリズムの政治的論争とウィトゲンシュタインの他者論の結びつけかたにおいて、著者が政治と哲学と教育の関係をどのようにとらえるのか、ということに関わる問いである。そうした問題提起を通じて、著者が主張するような形で「教育のまなざし」を根源からゆさぶる力を教育哲学が獲得し、教育の希望へとつなげるためには、教育哲学者の言明(what he or she says)の意味するものを、それを語ることば、あるいは語る様態(how he or shesays)によって具体的に示すことが求められる、ということを明かにしたい。