2009 年 18 巻 p. 33-43
身体と主体性の思想史に、心理学の受容を関連させて論じた鈴木氏の議論を受け、本稿ではその認識利得、すなわち身体/主体性を考える議論に心理学の営みを組み込むことの意義について検討した。そのためにまず、日本に導入された心理学の理論的枠組みが検討され、次に鈴木氏が心理学の特徴として述べる「心という不可視の領域を身体という可視的なものの状態として読み取り、数値化する」ことの同時代的な位置価が検討された。この検討により、本稿では主体性を語る議論から身体を脱落させたものとして心理学を捉えるのでなく、むしろ身体への言及を通して自律的な主体を想定させる制度として捉えるべきだとした。本稿ではこうした議論の射程を「活動主義」を唱えた樋口勘次郎の議論や現代の身体と主体をめぐる議論に即し確認しつつ、鈴木論文の意義を再確認した。