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原稿種別: 表紙
2009 年 18 巻 p.
Cover1-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2009 年 18 巻 p.
App1-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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松下 良平
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
i-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 目次
2009 年 18 巻 p.
Toc1-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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鈴木 康史
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
1-14
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
近代日本に西欧思想が流入する中で、人間観の変容が起こるが、それは必然的に身体観をも変化させる。本論ではそうした変容について近代的主体をいかにして表象するかに焦点を合わせながら議論した。啓蒙思想家福沢諭吉は「一身」として法的、経済的主体を表象したが、そこでは「行為する身体」は「精神」とともに「一身」を構成する要素であった。次世代の井上哲次郎は福沢の「一身独立」論を「身体の道徳である」と批判し、自らは「精神」によって哲学的な主体を表象する。それは、心理学者元良勇次郎による統一科学構想の挫折を受けた「心身二元論」の受容によって分節された「精神」と「身体」をいかに考えるのかという問題でもあった。井上は「身体」を排除せず、むしろそれを「精神」=「人格」によって支配する従順な身体を構想した。しかし、そうした政治性に反発する次世代の教養派、人格主義者たちによって、身体は透明化されることとなったのである。
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樋口 聡
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
15-24
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
鈴木康史氏のフォーラム報告論文は、明治期日本の思想家を取り上げ、近代的人間を表象する用語、例えばpersonという英語に対する訳語が「身」からいかにして「人格」へと変容したのか、そして「身」がいかにして「精神的なるもの」に取って代わられたのか、といった問題を考察し、そこに「主体」の表象の変容を見ようとするものである。その変容とは、「主体」から身体的な領域が抜け落ちていくことであり、さらに「人格」の観念の登場とともに「身体」は徹底的に無化され、透明化する身体へと帰結した、と鈴木氏は考える。主体が変容し、身体が脱落し、そして身体が透明化した、というのである。本稿では、鈴木氏の問題提起の面白さを受けとめつつ、主体から身体が脱落するという図式的な見方がはらむ問題点を指摘した。
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鈴木 晶子
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
25-32
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
翻訳という作業は、ただ明治期日本における西洋思想の摂取の場合だけに行われてきたわけではない。聖なる書の翻訳をはじめ翻訳作業は思想伝播の原動力となってきた。パラダイム転換の際に生じる専門用語の揺らぎは、思考様式や理論の変容の兆しだといえる。パラダイム転換という大きな変化はもちろん、個々の人間がテクストを読み、テクストを書くという営みも広義の翻訳作業だと見立てることができる。この観点からするならば、主体や身体の思想系譜をたどるためには、例えば、生理的身体ともいうべき近代的身体イメージの導入とそれに伴って生じた伝統的な身の思想の後景化といったような、概念の一義性だけでなく多義性へも配慮した分析が必要となる。また、心身の二元論と一元論といった対抗図式、あるいは思想導入や理論構築の失敗や成功といった判断基準を思想史研究に持ち込むことにはいかに慎重でなければならないかも明らかになってくる。
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田村 謙典
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
33-43
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
身体と主体性の思想史に、心理学の受容を関連させて論じた鈴木氏の議論を受け、本稿ではその認識利得、すなわち身体/主体性を考える議論に心理学の営みを組み込むことの意義について検討した。そのためにまず、日本に導入された心理学の理論的枠組みが検討され、次に鈴木氏が心理学の特徴として述べる「心という不可視の領域を身体という可視的なものの状態として読み取り、数値化する」ことの同時代的な位置価が検討された。この検討により、本稿では主体性を語る議論から身体を脱落させたものとして心理学を捉えるのでなく、むしろ身体への言及を通して自律的な主体を想定させる制度として捉えるべきだとした。本稿ではこうした議論の射程を「活動主義」を唱えた樋口勘次郎の議論や現代の身体と主体をめぐる議論に即し確認しつつ、鈴木論文の意義を再確認した。
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森岡 次郎
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
45-62
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本稿では、「青い芝の会」と「障害学」という二つの思想運動について取り上げ、障害者解放のために用いられた理論の特徴を明らかにすることを目的とする。障害という問題を社会的に構築されたものとして捉えること。障害「当事者」の立場から、社会を構成する人々の心性や欲望のあり方に対して、批判と告発を行い続けること。障害者たちが積み重ねてきた議論によって開けた地平があり、残された課題がある。彼らが達成した成果と残された課題を引き受け、社会構築論的カテゴリー内部における無限の反省と相対化のプロセスを克服するための試みとして、「他者への欲望」という視座を提示してみたい。
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野平 慎二
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
63-72
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
森岡氏の報告は、障害/健常といった二項図式的なカテゴリーの恣意性を指摘し、「他者への欲望」を教育的な倫理と捉えることで、その図式の克服を試みた意欲的な報告である。同時にそこには、構築主義が批判してきた意識哲学的な思考がなお混在している。本稿では、フォーラムでの質疑応答を踏まえながら、森岡氏の報告における「当事者」理解、および「他者への欲望」概念の理解を中心に検討する。そして、森岡氏の議論の前進にとっては、意識哲学から抜けきらないまま二項図式的なカテゴリーの放棄を試みることではなく、構築主義的視点を徹底させることが必要となることを提起したい。
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根村 直美
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
73-81
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
現在、社会構築主義の立場から「抑圧」を問題化する諸理論は、非対称的で二項対立的なカテゴリーを設定することによるアポリアを避けて通ることできなくなっており、その乗り越えが大きな課題となっている。そうした状況の中、現実の教育実践を手がかりに、社会構築主義の立場から「抑圧」を問題化する障害者解放理論が直面するアポリアを乗り越えるための理論的地平を提示しようとしている森岡氏の試みの意義は大きい。そこで、本稿においては、森岡氏の提示する理論的地平、特に、その鍵概念「他者への欲望」を検討し、氏の理論的考察の今後の課題を明らかにすることを試みた。具体的には、「他者への欲望」を鍵概念とする理論的地平が果たして二項図式に直接的に切り込んでそれを「無効化」するような枠組みたりえるのか、また、現実の教育関係をモデルにしたその分析の視点が教育者の側に終始してしまっているのではないかという点について指摘した。
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高橋 洋一
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
83-91
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
健常/障害をめぐって、われわれはどこから語ることができるのであろうか。報告論文では、「青い芝の会」や障害学にみられる理論的な瑕疵の克服に向け、健常/障害の枠組みが無効となる地点から、「他者への欲望」という視座の提示が試みられる。しかし、「枠組みが無効になるような地点」とはどのようなものであろうか。またそのような地点から語ることは可能であろうか。この問いをめぐって、本稿では障害者解放理論の特徴として明らかにされた「社会構築論的な二項図式」と「当事者性」を、医療従事者-患者関係におけるコミュニケーション研究の成果と突き合わせながら議論を先鋭化することを試みる。このことで、健常/障害を問うことにおいては、それを問うわれわれがどのような立ち位置や足場にあるのかという極めて自己言及的な問いまでもが求められることを明らかにしたい。
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原 聡介
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
93-102
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本学会がいわば収支決算を行うためには、その存立理由をどう認識するかが問われるであろう。本稿は、第10回大会における提案論文「教育思想史研究の課題と方法」と基本的には同じ趣旨のものであるが、本学会の存立について、「教育的思惟の歴史的構造の解明」という固有の課題認識のもと、とりわけ教育哲学会との棲み分けを明確化する必要があることを強調する内容となった。本学会本来の作業が真理探求としての思想研究でなく、今日の教育現実を支える教育的思惟の歴史的理由を究明する思想史研究であること、そのためには思想は研究の与件として取り扱うべきこと、最後に本学会が対峙すべき教育現実とは近代問題であり、多くの事象がそこに収敏することを論じた。
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今井 康雄
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
103-109
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
近代教育思想史研究会は「思想運動」と「教育学の再構築」という二つの側面を持っており、この両側面を結びつけていたのが「近代批判」というモチーフであった。私自身の関心は「近代」よりは「現代」に傾斜しており、その背後には、教育に関する私たち自身の自明性の地平を対象化したい、という動機があった。そうした自明性の地平を対象化するためには教育思想のレベルへの接近が必要であると思われた。「冷戦後」の教育システムの再編成に伴って、教育思想研究には「兵站」としての役割が割り振られるが、教育思想研究の役割がシステム内の実効性に解消するわけではない。自明性の地平の対象化という課題は依然として重要である。この課題を持ちこたえるためには過去と現在を架橋する枠組みが必要であり、そのような枠組みの構築が教育思想史学会には求められるであろう。
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広田 照幸
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
111-121
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
教育学を根本的に問い直すという、教育思想史学会が当初掲げた思想運動としてのねらいは、この十数年間に充分達成されてきたと言えるだろう。だが、いつの間にか、『近代教育フォーラム』の諸研究は、教育現実と切り結ぶという側面が弱くなっているように思われる。本稿は、その理由を考えるために、教育思想史研究の展開と、その背景にあった知的世界の見直しや教育現実の問題状況の変化との関係を整理している。研究会-学会の設立の頃には、たまたま近代教育学批判の作業が知的世界の見直しや教育現実の問題状況とシンクロしていたという幸福な状況であった。だが、その後、大きな変化があった。狭義の教育思想とは異なる知的系譜からの教育改革論が力を得てくると、教育関係の権力性に焦点を合わせ、それを「近代」という枠で考察する研究とのズレが生じてきたのである。歴史をもつと重層的にとらえつつ、「教育」概念を拡張して、教育に影響を及ぼす多様な時代の多様な思想を研究対象に含んでいく作業が今後必要とされているだろう。
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山内 紀幸
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
123-135
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
第3世代は、卵から生まれ、研究者のヒヨコとして歩み始めたにもかかわらず、教育思想史研究における自らの足場を見つけられない状態であった。この研究(まがいのもの)は、この第3世代の視点から、教育思想史(学会)の変容と現在の会員の布置の状況を明らかにしようとするものである。教育思想史(学会)は、「巻頭のことば」の分析から、大きく「批判運動の展開」の第I期、「自明性の揺らぎ」の第II期、「対象の拡大と越境」の第III期に分けることができた。第3世代は、沈黙、吐露、生存というプロセスを経て、現在に至っている。会員の教育思想史(学会)のスタンスは、フィールドABCにまたがる広範囲なものであり、それは第3世代にも共通していた。「総点検」という目的は、今や私たちの共通言語ではなくなってきたが、「(総)点検」は今も息づいている。フィールド保障により、「新しい語りの創造」が継続され、「外への語り」が積極的に行われていく学会であることを願う。
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松浦 良充
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
137-146
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
教育思想史学会第18回大会のシンポジウムは、「教育思想史学会の思想史」への取り組みの一つである。研究会発足以来の私たち自身の来し方行く末について、主として外部との関係に焦点をあてて考えることをねらった。論点は、近代教育(学)批判としての教育思想史固有の課題を徹底するという立場から、それにとらわれずに広く「外へ」の拡張を誘う立場にまで至った。学会の固有性へのこだわりと、外部世界つまり他の教育研究領域(学会)や社会との積極的な交流(拡張)はどのようにして両立できるのか。筆者の観点から、4人の論者の主張への応答と疑問を提示する。筆者自身は、内向と拡張を架橋するための戦略を、「思想」の再定義にもとづく実証的な思想史の試みに求めたい、と考える。
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矢野 智司
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
147-153
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
4人の論者の議論は、一見すると多岐にわたっているように見えるが、「教育思想史研究」「教育思想研究」「教育現実」の3概念をどのように捉えるか、その3概念の相互の関係をどのように関連づけるかによって整理することができる。4人の発表論文を、「教育思想史研究」「教育思想研究」「教育現実」の3概念が作りだす緊張関係という枠組みから捉え直し、4人の論者のそれぞれの位置関係と差異、そして論の特性とそれが孕む問題点とを明らかにすることで、近代教育思想史研究会-教育思想史学会の歴史を評価し、現状を捉え、さらに未来の形を構想する。
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西村 拓生
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
155-163
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
シンポジウムの焦点の一つは、思想史研究と教育の<現実>との"つながり"の問題であった、と見る。かつての近代教育思想史研究会の「成功」の一因は、近代批判によって当時の教育問題が解決できる"かのような"期待をいだかせたが故であった。しかし、それは必ずしも思想史研究一般の可能性ではなく、時代の追い風を得た僥倖だったのではないか。今日、近代批判の契機がアクチュアリティを失いつつあるように思われる一方で、教育の<現実>を作り出しているのは畢意<言葉>である、という見切りが、この学会で育ってきた世代の研究者には共有されているように思われる。それが、ポストモダニズムの時代の思潮を最もよく"こなし"得たこの研究会一学会の、もう一つの達成だったのではないか。今後も思想史研究を通じて教育という営みの「語り直し」の拠り所であり続けることが、教育思想史学会の存在意義の一つであると考える。
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川瀬 邦臣
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
165-172
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
4人のシンポジストの発表内容を私なりに要約すれば、本学会の使命(原点)の再確認(原)、教育現実との関連を深める研究の要請(広田)、「知的創造のためのトポス」のさらなる拡充(山内)、「自明性の地平の対象化」という課題の達成のための教育思想史の探究(今井)、と整理できよう。本学会の原点を (1)教育の近代性(「近代問題」)の解明、(2)近代教育の哲学的・思想的研究と歴史的研究の結合、(3)「相互の批判の有効性と重要性」を豊かに保証する場の創造、の3点と捉え、4人のシンポジストの提案論文に対してこれらの3つの観点に即して私なりの「評価」を試みた。そのうえで、創立以来の本学会の研究活動には(2)の観点での成果が欠落していることを指摘し、とりわけ歴史的研究の賦活を通して教育思想史研究本来の課題の達成こそが求められることを強調した。
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上原 秀一
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
173-180
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
教育思想史学会規則第2条の「教育的思惟の歴史的構造」を、「教育を規定する思考様式の諸要素の相互関係の仕組みに備わった長期的には変動し短期的には不変な側面」と理解したい。近代教育思想史研究会の学会化の際に、それまで会員に賛同が求められていた「設立趣意書」がなくなった。設立趣意書は、会員に共通の研究方法の基礎を規定した、重い意義のある文書であった。私は、設立趣意書の立場に立った教育思想史研究が将来さらに発展していくことを願っている。シンポジウムで、原聡介氏と今井康雄氏から「教育的思惟の歴史的構造」を解明する方法論上の新たな論点が示された。設立趣意書に言う「今日の教育問題」を「ミクロなレベルの日常的出来事」ととらえた広田照幸氏の議論に対して、実際に例示された教育問題はそのようなものではなかったのではないかと述べた。学会「第3世代」の立場から「外への語り」を重視する山内紀幸氏の提案については、これが「教育思想史なき教育思想史学会」の提案になりはしないか心配だ。
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藤井 佳世
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
181-188
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
近代教育思想史研究会(後に教育思想史学会)は、「新たな教育学の構築のためには近代の教育と教育学に対するきびしい批判的吟味がなされねばならない」(『近代教育思想史研究会』(仮称)発起人会へのお誘い)という考えのもとに始まった。この考えは、「近代教育思想史研究会」へのお誘い(設立趣意書)において、「近代教育学批判という思想運動」と表現されている。シンポジウムにおいても、批判的研究としての教育思想史研究という視点は維持されていたように思われる。そこで、本稿では、近代教育学批判における「批判」の捉え方を中心に考察を行う。まず、シンポジストにおける「批判」の捉え方を確認し、次に、『近代教育フォーラム』における「批判」の捉え方の変遷を確認する。さらに、批判についての考察を進め、「批判」は「不快」な位置にあり、「いま・ここ」からなされるものであることを述べる。最後に、「近代教育学批判」と教育思想史学会について考える。
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今井 康雄, 田中 智志, 田村 謙典, 北原 崇志, 広田 照幸
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
189-201
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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松浦 良充, 北詰 裕子, 山梨 あや, 中村 夕衣, 〓 高燕
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
203-213
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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吉田 敦彦, 井藤 元, 水田 真由, 河野 桃子, 纐纈 好子
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
215-227
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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下司 晶, 中橋 和昭, 渡辺 正一, 力間 博隆, 天野 幸輔, 古屋 恵太
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
229-242
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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渡邊 福太郎
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
243-256
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本稿はウィトゲンシュタインの自我論をてがかりに、教育における関係性のなかで他者が自我に対して果たす役割と、この関係性のなかで自我に伝達されうる事柄の解明を通じて、ウィトゲンシュタイン哲学の教育学的意義を自我論の文脈からとらえなおすことを目的としている。ウィトゲンシュタインは生涯にわたって、語りえぬものとしての自我の存在の確実性を問題にした。その結果ウィトゲンシュタインは、自我の確実性の基盤であるとともに、それを不安定なものに陥れることを通じて自我のさらなる創造的拡大を可能にするものでもあるという、他者との二重の関係性を認識するに至る。子どもの自我の確実性を保障すると同時に、その確実性を揺るがすことを通じて生成、変化の契機を提供しなければならないという矛盾した課題を背負う教育にとって、ウィトゲンシュタインの哲学は教育における自我と他者との関係性を新たに分析するための視座を我々に示している。
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金森 修
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
257-260
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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森田 伸子
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
261-266
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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奥野 佐矢子
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
267-272
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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川津 貴司
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
273-277
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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藤川 信夫
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
279-283
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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伊藤 敏子
原稿種別: 本文
2009 年 18 巻 p.
285-288
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2009 年 18 巻 p.
289-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2009 年 18 巻 p.
291-292
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 付録等
2009 年 18 巻 p.
292-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 付録等
2009 年 18 巻 p.
292-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2009 年 18 巻 p.
293-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 付録等
2009 年 18 巻 p.
295-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 付録等
2009 年 18 巻 p.
295-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 付録等
2009 年 18 巻 p.
296-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 付録等
2009 年 18 巻 p.
296-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 表紙
2009 年 18 巻 p.
Cover2-
発行日: 2009/09/12
公開日: 2017/08/10
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