抄録
近代日本の大学における地理学研究の基盤としてあげられる歴史学と地質学のなかでも、雑誌『歴史地理』については、地理学史上の位置づけに関する議論が現在に至るまで収束していない。そこで本研究では、『歴史地理』の地理学史における意義を検討する観点から、同誌における論考とその執筆者について詳細な調査・分析をおこなう。『歴史地理』を発行していた日本歴史地理研究会(のちに、日本歴史地理学会と改称)の構成員は、主に東京帝国大学文科大学国史学科の関係者からなっていた。本研究が対象とするのは、1899年の創刊から日本初の地理学講座が開設された1907年までの同誌における論考である。考察の際には、論考とともにそれらの執筆者および歴史地理/歴史地理学観を整理することに留意する。調査の結果、同誌における歴史地理/歴史地理学に対する見解は相対するものも含め、複数みられることが明らかになった。そのなかでも、1巻1号における筆名「こ、し」による有名な論考「日本歴史地理の研究について」では日本歴史地理の研究は国史研究の「輔助学科たるのみ(ママ)」と宣言されている。しかし、同文中における日本歴史地理研究の主眼をみると筆者が歴史地理に対する自身の見解を整理できていなかっと思われる記述がみうけられる。この人物を特定することは困難だが、最も可能性が高い人物として小林庄次郎を挙げることができる。また、筆名「麻郷」が、歴史地理は「historical geographyの訳語」であって表記は「史的地理」が適切であると述べた1巻5号における論考も重要である。この人物については、5巻12号において論考を発表した筆名「紫」と同人物と考えられる。特定はできないが、地理学に造詣の深い坪井九馬三の考え方と似ている点が注目された。このように、『歴史地理』は歴史学のみの雑誌としてよりも、近代日本における地理学の系譜の一つとしてとりあつかわれることが適切であろう。