抄録
東京都新宿区崇源寺・正見寺跡の17 世紀後半~ 19 世紀前半を主体とする2 つの寺院跡の一般都市住民層の墓域より出土した木棺の用材の樹種と形態を検討し,当時の身分・階層差と森林資源状況の変化の影響を評価した。円形木棺257 基と方形木棺178 基の部材902 点について,樹種同定と,長さ・厚さの計測,木取りの観察,部材の枚数の計数をおこなった。崇源寺・正見寺の両墓域とも,円形木棺ではスギが,方形木棺ではモミ属とアカマツがそれぞれ主体であり,これは将軍家や大名家の木棺用材とはまったく異なり,当時の身分・階層の差が木棺用材に反映していた。円形木棺用材は,17 世紀後半~ 18 世初め頃まではアスナロやヒノキ・サワラが多く用いられていたのに対し,時期が下るにつれてスギやアカマツ,モミ属などに置き換わり,各部材の厚さは横ばいか厚くなった。文献史学や植生史研究の成果と対比し,崇源寺・正見寺跡から出土した円形木棺用材は,17 世紀後半~ 18 世紀はじめ頃までは木曽川・天竜川流域の天然林からもたらされた移入材であったが,時期が下るにつれて,天然林資源の枯渇と,江戸近郊における木材生産の活発化や植林と,「江戸地廻り経済圏」の発達によって青梅・西川地域などの江戸近郊の天然林や人工林からもたらされた木材に置き換わったと考えた。