抄録
アレホ・カルペンティエル (Alejo Carpentier, 1904-1980) の『失われた足跡』(Los pasos perdidos, 1949) に登場する人物の造形には、シュルレアリスムへの批判を読み取ることができる。一方、フリオ・コルタサル (Julio Cortazar, 1914-1984) の『石蹴り遊び』(Rayuela, 1963) には、シュルレアリスムに肯定的な人物造形が認められる。この二つの作品の人物造形に認められるシュルレアリスム観の違いは、作中人物に形象化されている概念の違いを反映しており、延いては、二項対立の乗り越えの試みの違いとも関係している。『石蹴り遊び』に見られるのが二項対立を無効化する試みだとすれば、『失われた足跡』に見られる二項対立の乗り越えの試みは、あくまでも二項対立に基づくものである。そして、『石蹴り遊び』の作中人物に形象化されているのが非言語的ユートピアであるとすれば、『失われた足跡』は、言語の内における二項対立の乗り越えの試みの限界を示していると言える。